「老歌手」 Crooner
ヴェニスのサン・マルコ広場に面する有名カフェで生計を立てる助っ人ミュージシャン、ヤネク。今日もギターを演奏しながら観光客を見渡すと、幼い日々に憧れた大物シンガーの姿を見つける。"過去の名声"と卑下する往年の大歌手と体面したヤネクは、想定外の頼まれ事を引き受けることになる。
夜の運河を漂うゴンドラ、レストランに集い人生を謳歌する観光客。声量タップリのヴォーカルは蘇り、ホテルの窓を照らすほの暗い灯りに想いを届けようとする。
1935年の映画「Barcarole ヴェニスの船唄」のポスターをイメージさせてくれる情景は、旅の情緒を大いにかき立ててくれる。
それだけに、哀愁に満ちた結末には夢の儚さを感じずにはいられない。

「夜想曲」Nocturne
腕は超一流、でも売れない39歳のジャズ・ミュージシャン、スティーブ。最高の技術と最高の音楽こそ至上と考える彼を周りは許さない。離縁を切り出した妻とマネージャーに促され、人生を変えるため、整形手術を受ける決意をする。
リハビリ中に滞在した高級ホテルで包帯巻きの有名芸能人、リンディと隣り合い、音楽談がやがて、ちょっとした夜の冒険譚に発展する。
「その他大勢の一人に甘んじる必要はない」(p197)の意思を持ち、華やかな人生を歩んできた彼女に接し、スティーブは自問する。
「人生は、ほんとうに一人の人間を愛することより大きいのだろうか」(p208)
人生の転機をどう考えるのか。何が正しいのか。その答えは、この物語の後ろにあるのだろう。

他に「降っても晴れても」「モールバンヒルズ」「チェリスト」を収録。

NOCTURNES
Five Stories of Music and Nightfall
夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語
著者:Kazuo Ishiguro、土屋政雄(訳)、早川書房・2009年6月発行
2012年8月28日読了