駐留米軍人と日本人の母を持ち、アメリカ人として東京に育った著者。アメリカ人と異なるアメリカ人の視点、フランス留学と1968年の革命、リベラルなアメリカ大学生時代、教師として赴任先で目にした地方の保守的な傾向。これらの体験を胸底深く秘め、自粛ムードに"抑圧"された昭和末期に来日した彼女は、小さな抵抗者たちとの出会いをキッカケに、歴史的な著作を日米の世に送り出すことになる。
『天皇の逝く国で IN THE REALM OF A DYING EMPEROR』
第二次世界大戦の被害者としてだけでなく、加害者としての自らを省みる新たな試み。それが力によって圧殺されようとしていた自主規制の時代にあって、著者は孤独なルネッサンスに臨む個人の行動哲学を丹念に描いた。
「自分にできることはごく僅かでしかない、でもひょっとしたら自分にしかできないことがあるかもしれない」(p333)という認識。
1995年に6月に読み終えたときの、その衝撃だけは印象に残っている。

本書では『天皇の逝く国で』の出版された背景と、2010年の日本社会の、特に貧困をめぐる"現実認識と文学"論、社会主義の意義についての鼎談が展開される。

特に第八章、小林多喜二とプロレタリア文学、その"摘まれた芽"をめぐる議論は圧巻だ。
・日本では1930年代に絶えたプロレタリア文学が、アメリカでは1950年代のマッカーシズムまで残っていたとは知らなかった。
・ポスト=モダン、終焉したとされる社会主義の意義と、人々の夢と犠牲をどう見るのか。冷戦後の物質的不足によらないアジア・アフリカ諸国の貧困=先進国による収奪と援助の二面性(伊勢崎賢治氏の『紛争屋の外交論 ニッポンの出口戦略』で読んだばかりだ)に向き合う決意(p57)

社会正義に関わる個人の闘いの物語こそ、著者のこだわりの源泉なのだな。

ノーマ・フィールドは語る 戦後・文学・希望
著者:Norma Field、岩崎稔、成田龍一、岩波書店・2010年4月発行
2012年9月15日読了