インド帝国警察官としてビルマに勤務するも、作家になる決意を秘めて帰国した若き紳士、オーウェル。メジャーデビュー作となる本書は、彼の都市下層生活体験が文学作品として昇華されたものだ。
1929年だから昭和一桁の時代。そう遠い昔ではないのに、英仏の首都にしてこれほど悲惨な日常が展開されていたとは、なんとも驚きだ。

パリの安ホテル"三雀荘"、質屋通い、南京虫との闘い、ホテルX(ロティ?)での皿洗い人生、小レストランでの一日17時間6日勤務、等々。サービス業に従事する底辺労働者の人生は、まさに経営者の奴隷であることが明白にされる。

・時は大恐慌下、大学卒の皿洗いなんてゴロゴロいる。
・若い娘も過労と病気でどんどん死んでゆく。
・中産階級以上が謳歌する"花の都"とは、ほど遠い過酷な現実。

金を落とすのはもっぱらアメリカ人旅行者であり、ロシア革命後の亡命者の多くが底辺の生活を強いられていることが随所に記される。コミュニストと警察のいたちごっこも日常茶飯だったんだな。

ロンドンでは無職男として、doss house 簡易宿泊所、spike 浮浪者臨時収容所、救世軍のホステル、エンバンクメントでの野宿、教会での説教付の食事の世話になる。
人間の自尊心を傷付ける法の数々。
ロンドンで行動を共にするパディ氏。紅茶とマーガリン付きパンだけで数年を過ごすと、人間の精神と肉体はどのように変質するのか(p199,204)。そして社会全体の経済レベルが下降すると、民衆の感情、敵意はどこに向かうのか(p203)。恐ろしや。

・ロンドンのスラングと罵詈雑言の研究事例は面白かった(p238)。
・哀しいことに、日本人はこの当時から金づる扱いされていたのか(p217)。
・なるほど、インド帝国の版図といえど、バングラデシュは1937年頃まではベンガル州と別扱いされていたのか(p180)。

奴隷に課す無益な仕事。下層労働者の待遇がいっこうに改善されない理由をオーウェルは的確に指摘する。すなわち経営者と知識階級にとっての「現状維持の都合の良さ」と「大衆に対する恐怖心」(p160)
「餌+鞭=エネルギー」(p157) これは現在も変わらないのだろう。

数年前、悪徳業者にたかられ、役所から迫害される現代日本の生活困窮者の実態が話題となったが、本書においても、"公的施設指定"のコーヒショップが生活困窮者から搾取する様子や(p248)、公園や駅舎から浮浪者を追い払う官憲の姿がありありと描かれる。
時と場所は変われど構造は同じか。

DOWN AND OUT IN PARIS AND LONDON
パリ・ロンドン放浪記
著者:George Orwell、小野寺健(訳)、岩波書店・1989年4月発行
2012年9月30日読了