駐日フランス人将校、ピエールと邂逅した八日間の恋愛日誌。凝縮された人生の瞬間。

軍人一家に育ったが故の家長主義的束縛から逃避し、1920年代東京ならではの束の間の自由恋愛に身を焦がす著者30歳の、それでも一線を引く姿勢。
"奔放な自由恋愛"の過程は、著者の観た一夜の夢として語られる。なるほど、時代だな。
半処女という表現もなかなか新鮮だ。

丸ビルのレストラン、銀座のカフェー、新橋、新宿、東京市電。
ドイツ語とフランス語が織り込まれた文体は、戦前昭和のモダーンな雰囲気を否応なく盛り上げる。
そして省線横浜駅のプラットホームでの、永遠の別離。


空爆で瓦礫と化した東京を超越し、古稀を迎えた著者。封印した恋愛を振り返り思うのは、森鴎外のこと。夫人に告白したエリスとの恋愛のこと。自ら翻訳したファウストの最終章、マルガレエテのこと。
「永久に把握すべからざるものに想を懸けた私の彷徨の姿を私は見たのであつたから」(p176)」
永遠の高みを目指した自身との重なりを想起しつつ、物語は閉じられる。

本書冒頭には、著者とピエールの肖像画、肉筆原稿が掲載されている。この辺りの配慮は嬉しい限り。


現実に存在したピエールを彼方に置き、"観念のピエール"に想いを抱くことで著者の愛は成就される。
それは90歳で亡くなるまで独身を通した著者の幻影の中にこそ活きる、永遠の少女の夢想なのか。
「愛の永遠性は観念の世界に於いてのみ永世不変だといふこと」(p173)
この思想に科学が作用する時代がいつか訪れる。記憶とhumanの定義付けの問題が提起されうるとして、著者"なおちゃん"の想いが活かされるなら良いな。

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アルスのノート 昭和二年早春
著者:野溝七生子、川本三郎(解説)、展望社・2000年7月発行
2013年8月6日読了