アメリカ合衆国の裏庭、繁栄から取り残された南米コロンビアの中流家庭に育ち、高校卒業後もバイトに日々を費やすマーロンに訪れた転機。それは憧れの女性、レイナから持ちかけられた人生の逆転劇、アメリカ行きだ。

物語は三つの時間軸、ニューヨークからフロリダへのバス移動、メデジンからニューヨークへの密入国行、レイナとはぐれたニューヨークでの貧しく惨めな生活を交差させつつ、常にコロンビアの影に追われるマーロンの独白により進められる。

・祖国コロンビアを捨てる。人生の重大な変遷を企てたのは自分ではなく、レイナ=他人の意思である。そのことが持つ意味をマーロンが理解するのは、グローバルな底辺労働者として1年4ヶ月をニューヨークで過ごした後のことになる。

・コロンビア人の多くがそうであるように、マーロンとレイナに入国ビザが発行されることはない。レイナは旅行代理店を装った不法密入国請負組織、パライソ・トラベル社から持ちかけられた入国の手段に興味を示す。
憧れは時に強迫となり、善悪を超越した観念を生み出す。親戚の結婚資金を盗むことも正当化させてしまうのは、不幸の始まりでもあった。

・弱者はさらに弱者を虐げる。パナマ、グアテマラ、メキシコ住民にコロンビア人への同胞意識など無い。彼らが「旅行者」から搾取する様は目を背けたくなる。パスポートや身元特定書類を川に捨てられる情景(p220)も痛い。

・ニューヨークに着いた当日、煙草を吸いに表に出たまま、レイナとも生き別れとなる。孤独の中で警官に追いかけられるマーロンの不安。ヴィジュルを活かした描写と相まって焦燥感が伝わってくる。(p11)

・頼るのはやはり同胞か。半ば狂人となって「好奇心なんて存在しないこの街では、誰一人として自分の足元以外のものに目をくれない」(p60)ニューヨークを彷徨うマーロンが、クイーンズ地区にコロンビア・レストランを見つけたのは偶然の幸運なのだろう。経営者夫婦、"ギョロ目の"労働者仲間は生涯の恩人でもある。

・行き着いたアパートは、弱者に相応しい惨めさを醸し出す。夜明けまで富裕層の遊ぶラケットボールの音が壁に反響する、風呂無しシャワーなしの三人部屋を受け入れざるを得ない。それでも「レイナが見つかるまではニューヨークの生き地獄をも生きていこうと決心」(p162)したマーロンの心は揺るがない。

・だがレイナの所在を掴めぬまま、春夏秋と季節は走り、年を越えてしまう。部屋の住人に誘われるまま、女郎部屋を訪れたマーロンは、不法入国仲間の女と再会し、ついにはレイナの消息を知らされることとなる。マイアミへ!

「いかなる人も自分の運命に対し全責任を持つべきだと僕は確信している。…恋愛感情から誰かに従うのは…盲目的な献身という以上に、思慮不足なのだ」(p212)
「他人の意思に自分の存在を預けてしまい、自分を見失った者たちの一人の姿を、僕の中に見たのだ」(p230)

悲惨を乗り越えた希望の果ての、結末に待つものは悲劇であった。だがこれこそマーロンが自己を取り戻すための通過儀礼であり、<時>がくれた贈り物(p293)。真の意味でのハッピーエンドと言えよう。

PARAISO TRAVEL
パライソ・トラベル
著者:Jorge Franco、田村さと子(訳)、河出書房新社・2012年8月発行
2013年10月5日読了