■DOWNTOWN旧市街を歩く
では、お散歩開始。

・ヴァーツラフ広場

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遠くに国立博物館を望む大通り。聖人の名をとって「ヴァーツラフ広場」と呼ばれるここは、「プラハの春」と「ビロード革命」の舞台となった歴史的な場所だ。
思えば1989年の革命の際、後に大統領となるハヴェル氏がさっそうと登場したわけだが、個人的にはアレクサンデル・ドプチェク氏のほうに好印象を抱いている。
ドプチェク氏は、1968年の「プラハの春」を指導し、つかの間の「人間の顔をした社会主義」を実現して解任された共産党第一書記だ。

話は飛躍するが、1993年に講談社より出版された「希望は死なず ドプチェク自伝」によると、「プラハの春」をつぶすためにワルシャワ条約軍が侵攻したわけだが、政府首脳陣と共産党指導部がそのまま踏みとどまり、傀儡政権の成立を防いだことが、ソ連の意図(「チェコ政権からの要請を受け、治安部隊を進駐させた」の言い分)を挫いた最大の要因だったと、そう本人は述べている。
結局、ドプチェク氏ら「プラハの春」の主導者はソ連に拉致され、党と政府の要職から追放されてしまう。

アレクサンデル・ドプチェク氏。1989年のビロード革命後、国会議長(三権の長)に就任した後、睡眠時間を削って働きに働いた信念の人。68歳に交通事故で病院に運ばれたときには、肺炎、胃潰瘍、膵臓炎にかかっていることが判明した。
働いて、働いて、、、頂点から追放されてひとりの林業従事者へ、そして再びの頂点で迎えた死。
壮絶な生き方に、感動を覚えずにはいられなかったことを憶えている。

有名なアール・ヌーヴォー様式のHOTEL EUROPE ホテル・エヴロパを観る。いいな。
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・ナ・プシーコピェ大通りから市民会館へ。
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近隣諸国からの観光客が多いからだろうか、やけに高級車の多い気がする。
6シリーズも意外と多いし、ベントレーなんて想像もしなかった。
代わりにメルセデスは少ない。なぜ?
日本車はMAZDAを数台とTOYOTAを1台見かけた。

・市民会館
プラハの文化の中枢部と言っても過言ではない市民会館。市長執務室もあり。
ここは翌日のツアーに参加し見学することになる。

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・火薬塔から旧市街広場へ
市民会館に隣接する火薬塔。15世紀に建築された黒く特徴ある塔の門を潜り抜ける。
ここから「王の道」を逆さにプラハ城へと向かう。
小さなショップがひしめき合い、劇団員と思しき客引きも多い。
この通りを歩くのは観光客ばかりだろう。

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ガイドブックには「北海道なみの気候」とあるが、周りは半袖かタンクトップばかり。
日本と変わらない暑さの下、長袖シャツで出掛けて、ひとり後悔した。

・旧市街広場、カレル通り、
旧市街広場は、なるほど、観光のひとつのハイライトだな。
ヤン・フス像にティーン教会、キンスキー宮殿が良い。
「これぞ、中世から続くプラハ」といった感じのノスタルジーと活気に満ち溢れて、実に良い。来て良かった。

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■旧市庁舎の天文時計 ガックシ

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有名な天文時計の前に肉料理レストランのオープンテラスがある。半端な時間だが、足がクタクタなので休憩。
真正面の良席が空いていたので速攻で占める。

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この天文時計、毎正時に仕掛けが動くらしく、なるほど、15時前には人だかりとなった。僕は特等席でビールをおかわりしつつ、期待に胸を膨らませる。
15時。オルゴールが鳴動し、時計の周囲の人形が動き出す。

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これでお終い???

ガイドブックには「神秘的な動きの天文時計」「天使の両脇にある窓が~」と書いてあるが、期待しすぎたって感じ。
「え~」と嘆息を残しつつ、立ち去る観光客の群。僕も「金を返せ(ビール1,000mlとチキンサンドで600CZK)」と言いたいなぁ。

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■カレル橋を渡る
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プラハと言えばここ、カレル橋。14世紀に架けられた由緒正しい橋梁の全長は500メートルを超える。
立ち並ぶ30体の聖人像の下には、絵描きやパフォーマー、土産物売りがひしめき合っている。
でも、人多すぎ! 今度来るときは早朝にしようと思う。

カレル橋遠景
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さぁ、プラハ城へ!
……こんなに坂道がキツイとは。足が棒のようだ。
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しかも、到着したのが16時30分なので閉館前。トホホ。

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気を持ち直して、城に対面する宮殿に入るオープンカフェへ。
ここから眺め見下ろすプラハ市街の眺めは実に良い。
カフェのお姉さんの笑顔も実に良い。

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このシュヴァルツェンベルク宮殿にはナショナル・ギャラリーがあるのだが、ここは翌日に鑑賞することにする。

17時、プラハ城衛兵の交代式を観る。あれだけ直立不動の姿勢を貫き、観光客にちゃかされても表情一つ変えなかった衛兵諸君は、まさしくプロフェッショナルだ。

チェコスロバキア初代大統領、マサリクの像を観る。王宮に対面しつつ、毎夕、彼は何を思うのだろうか。

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城を降りて、聖ミクラーシュ教会を経て、マーネス橋を観て、ヴルタヴァ川を右手に歩く。
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チェコ橋を渡ってユダヤ人地区へ。
新旧のシナゴーグ、旧ユダヤ人墓地(やはり写真は消去した)を観る。

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ブルタヴァ川右岸からプラハ城を望む。
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ふたたび旧市街広場へ。
ここは夜間も活気に満ちている。

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夫人が良人を罵倒する像。なんか気に入った。
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夕食はホテル内の有名レストラン「Gourmet Club グルメ・クラブ」へ。
きちんとセットアップ・スーツに着替えて行ったのに、アメリカ人観光客はポロシャツですか……。なんだろうね。

ここちよいピアノの生演奏をBGMに、クラブガニのスープを試す。美味。
牛肉のステーキも柔らかで良し。
ニューヨークチーズケーキ(大きい)とコーヒーで締める。

「ずいぶんと予定が狂ったが、明日も元気に歩こう」と旅行手帳に書いて寝た。

続く。