1851年、世界初の万国博覧会がロンドンで開催されたが、ただの展覧会に非ず。先行する小規模展示会を含めて準備に数年を要しただけでなく、携わった先人のただならぬ熱意と創意工夫が込められた「人類史初の壮大なイベント」であったことが、本書を通読して理解できた。

・強烈なリーダーシップで国際博覧会を成功に導いたアルバート公の存在もさることながら、内国博覧会を国際的一大イベントに仕立てたコール(p11)、一職人から身を起こした水晶宮の生みの親、パクストン、当初はパクストンの会場案に反対しながら、建築委員会の一人として公正かつ必要な助言を惜しまなかったブルネル(p34)など、携わった男たちの誠意と熱意の物語でもある。
・鉄道会社の役員会の間に、パクストンが机上の吸い取り紙に描いた一枚のデッサンが、後の世に伝説となる万博会場「クリスタル・パレス」を生み出す。p29から記述される、政府高官への意見具申から、アイデの素描、王立委員会メンバーの説得に至る経緯は、いかに「スピード感」をもってことが進められたかが伝わってくる。
・で、クリスタル・パレスの何がすごいのか。秘訣は「設計のスマートさ」にある(p48)。8を基調とする合理的な設計、ガラスと鉄による構造や"バクストン・ガター"をはじめとする革新的な構造、建築効率化のために考案されたガラス屋根葺き専用ゴンドラ、その他随所の工夫が盛り込まれ、「万博最大の展示物が、実は水晶宮そのもの」と言われる所以となった。革命的なエンジニアリング。正直、技術者として感動を覚えた部分だ。
・残念ながら日本は「万国産業製造品大博覧会」出品国に名を連ねていないが、イギリス人の手によって6点の日本製品が展示されていた。これが後のジャポニズムの源流になるのだと思うと、縁深いものを感じざるを得ない(p77)。

平和産業の祭典、世界最初の万博の終了を待つかのように、大規模戦争が各地で勃発する。特にイギリスを窮地に立たせたクリミア戦争は兵器産業の重要性を認識させ、アームストロング砲の登場によって陸軍兵器体系は一新される。
・よって1962年のロンドン国際博覧会は、アームストロング社を讃える「兵器産業の博覧会」となったが、そこに幕末遣欧使節団の姿があった。彼ら薩摩藩、佐賀藩出身の幕府役人が"文明"と"兵器"を目の当たりにし、やがてイギリスの支援を得て討幕へと動くわけだから、実に興味深いつながりだ(p186)
・第二回ロンドン国際博覧会への日本の出品物の評価も興味深い。現代で言うところの製品、システムを超えてソリューションを提供する国民性ってところか(p193)

1867年のパリ万博を経て、日本の国際博覧会熱はヒートアップし、ついに1910年の日英博覧会の開催に至る。
日本帝国の"いま"を、とりわけ世界最強にして同盟国のイギリスとその国民にアピールする絶好の機会。今後ともないであろう国宝級の搬出・展示を行ったそうな。
・日本歴史館に東洋館、美術の館……面白そうだ。
・話題をさらったのはその展示物より、2種類の日本庭園だったそうで、写真からもその力の入れ具合がわかる。
・祝賀会での加藤駐英大使のスピーチが良い。「…日本国民が世界に向かって示したいのは、彼らは技術と職業に没頭しており、その目的は、人類の幸せと和合を推進させる以外にない」こと(p259)、そして大英帝国との変わらない友情を望み、日本人がその資格を有することを形で顕したのが、この博覧会である、と。

産業と美術の融合と国民の教養の増進を願ったアルバート公や、中産階級として新しくパトロンとなったマンチェスターの工場主たちの意気込みも、一章を割いて解説される。


産業革命の熟成した時期を図り、先進技術と"感性"のハーモニーを競い、国民の啓発に努めたイギリスの先見性はさすがだと思う。
今後もますます重要なファクターとなるであろうデザイン・センスを磨き、趣味と仕事に活かせるようになりたい、と思わせてくれる一冊となった。


大英帝国博覧会の歴史 ロンドン・マンチェスター 二都物語
著者:松村昌家、ミネルヴァ書房・2014年5月発行
2015年2月2日読了

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