"長い20世紀"の端緒を日露戦争に置き、その世界史に与えた影響と1929年までの日本の国際関係の関わりが考察される。

・アジアとヨーロッパが結びつき、知識や経験が地球規模に広がった20世紀初頭において、ボーア戦争、米西戦争、義和団戦争が行われた。そして1904年の日露戦争は、日本人に世界史への主体的参加を即し、20世紀の主要な主体たらしめた(p5)。

・ウィルソンの十四カ条の平和構想は、必ずしも理想主義的なものではない。ソヴィエトの掲げた急進的な体制転換構想への対抗策であり、秩序ある変化に世界の人々を導こうとするものであった(p36)。

・第一次世界大戦のグローバルな性格は、日本をより深く世界に結び付ける。なかでも二十一箇条要求は、中国人の抗日運動を誘発しただけでなく、日本の予想を超えてアメリカとイギリスの警戒心を強める結果となった。西原借款で有名な西原亀三いわく「火事場泥棒式侵略」との悪印象をアメリカに抱かせた(p36)。

・パリ講和会議での国境策定問題。新独立国の意見は容れられず、強者の論理でまとめられてしまう経緯がすさまじい。日本全権の牧野元首相、近衛元首相の記録によると、クレマンソーの恫喝にルーマニア代表は落涙して悔しがったとある(p41)。ウィルソンの理想や国際連盟の理念と異なり、国際政治の現実はかくも厳しい。

・パリ講和会議を経て、東アジアや太平洋におけるロシアやドイツの脅威が排除され、イギリスにとって日英同盟のメリットはなくなった。中国在留イギリス人やオーストラリア、ニュジーランドによる日英同盟反対の声。アメリカとの特別な関係が最優先される中、ワシントン会議にて日英同盟は破棄された。軍事大国だが経済弱国である「帝国主義の二面性」の弱さから、日本に選択の余地はなかった(p44)。

この後、米英に対する経済の劣勢と依存の構造を十分に認識しながら(p54)、ますます中国に深入りする日本は破滅への道を辿ることになる。せめて、日英米の協商が成っていれば。

アジアとヨーロッパ 日本からの視角 
岩波講座 世界歴史23巻所収
著者:山内昌之、岩波書店・1999年11月発行
2015年2月18日読了