自分や家族を支えるのは身分や既得権益ではなく、本人の"気概"であることを本書は教えてくれる。それは2015年の日本でも同じことだ。

『ふらんす人形』
1930年代の横浜を舞台に、辛苦の毎日を懸命に生きる男女の姿を描く350ページの長編。
・戦前の神戸港。第一突堤やオリエンタルホテル、元町・三宮の街の情景が描かれ、地元民の僕には感慨深い序盤だった。
・「高粱の切株と赭土の他に何もないと云ってよい荒涼とした大気」(p35)の満洲と、「まったく日本的な、味の細かい景色」との対照的な自然の描写は印象的だ。

「広漠とした原野の中に、支那人だけの中に入って二十年生きてきた」(p57)満洲帰りの老人、三村宗助。偽名を使わざるを得ない"過去"のある男だ。時効を待てずに内地へ帰還した理由は、娘たちに会いたいとの一心にある。過去の犯罪からの逃亡、贖罪の意識と実践。垣間見えてきた明るい未来。だが黒い仲間の敗走の事実とともに、運命は無残に暗転する。
足を洗ったはずの過去の亡霊に襲われた感(p347)。この暗転は絶望的だ。

本作の狂言役でもある小説家、木谷。数か月ぶりの日本の地を満州と比べて「アメリカニズム、ボルシェヴィズムの植民地には違いひない」(p44)と謳う三十路のインテリだ。大連からの帰国船で三村宗助を知り、横浜の山下公園ではその印象をライカに写し取る。これが遺影となろうとは。

断髪のモダンガール、キキ。神戸での恋愛は結婚に成就せず横浜へ逃げ、人殺しの父親と他界した母親の姿を胸に秘め、今夜も酒場で男たちの相手をする。"役者"のような派手な化粧は往来を行く奥様方やお嬢様方の冷笑を受け、男勝りの言動は自らを窮地に追い込む。田舎から出てきた妹だけが唯一の心の拠りどころ。手芸学校へ通わすのにも、金が要る……(p169)。
「今の世の中では、どんな大切なものでもマッチや煙草と同じように商品に扱われて、金を持ってゐる人だけが、自由にする。呪いながらでも、この法則に屈従しない限りは、生きていくことができない」(p98)
不安、辛さ。そして迷走する希望が物悲しい。
映画『巴里の屋根の下』のメロディーを登美子が口ずさみ、それを勤務先のホール・ライラックのレコードに同じと知ったキキ=浦子の驚きよう(p268)。知らぬ間に自分の手を離れてしまった妹を想う複雑な気持ちが随所に現れる。

キキ、職場仲間の陽子とも元は御令嬢でいられた身分。それが「酒場の女」として厚化粧し、フランス人形のように生きる強さは哀しみでもある(p92、173)。
それでも、キキと登美子の姉妹にささやかな幸福が予感できる終幕(p358)に「良し」と言いたい。

『熱風』
「そんな亡びて行くより他はない家に変わる新しいものを考えた方が正しいんぢやアないか?」(p383)
外交官試験にトップ合格しながら入省を拒絶された達二。学生運動に身を投じて退学となった弟の存在。つきまとう刑事。富豪とプロレタリアート。没落してゆく中産階級……。時代は違えども個人の悩みは変わらない。

他に短編『海の謝肉祭』を収録。

大佛次郎セレクション
ふらんす人形
著者:大佛次郎、未知谷・2008年7月発行
2013年11月10日読了、2015年4月3日再読了

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