19世紀の先端技術を象徴する蒸気機関車と鉄軌道。日本では新橋駅を端緒とし、帝都東京の中枢にまで鉄道路線が敷かれたが、伝統的都市景観を誇るパリでは様相は違った。

本書は、19世紀パリに沸き起こった鉄道およびメトロ敷設の熱狂、それに対峙するパリの歴史性を背景としながら、時代の要請に取り組んだ人々の物語=近代フランス流「ジェネラリスト・エンジニア」のあり方を興味深く提示してくれる。

・鉄道網を道路や水路と等価ではなく、抽象化した技術的概念と捉え、種々の物体や事象が流れる基盤と位置付ける(p54)。このフランス流、あるいかサン=シモン主義者の思想は興味深く、今日の情報ネットワーク社会を考えるうえで示唆に富む。

・機関車への接し方においてもイギリス人とフランス人に差のあることが面白い。現場の発想から創造的な構造物を作り出す(p20)イギリス人に対し、フランス人にとっての機関車とは、思想を形にする手段(p24)とある。

・フランス人にとって「エンジニア」とは、特定の学校を卒業した者に与えられるエリートの称号である(p229)。この点が、幅広い層を包含する日本の技術者とは意味が異なる。その特定の学校こそ、エコール・ポリテクニックとエコール・デ・ポンゼショッセであり、その他を含む技術教育体系がわかりやすく示される(p23~)。

・平和を実現しても小紛争は起こるであろうから、平和を持続する礎として鉄道は必要であるとのサン=シモン主義者の見解(p49)。鉄道=先進技術力と置き換えると、これは今日のアメリカ帝国の「平和」においては、やはり軍事力が「平和を持続する物質的な礎」であることと似通っているようで、興味深い。

・気になる記述が1点。官僚ではなく民間エンジニアを育成するエコール・サントラルに対し、技術界の空白を埋める補完的役割を果たせばよい。国が主導する鉄道網の構想については、ポリテクニック卒業者に任せれば十分だなどの記述は、まるで民間技術者を卑下するよう(p45)。ここはマイナス評価だな。

鉄道網と駅を巡っての都市論争、メトロ構想とパリ市当局の争い、メトロ駅舎のデザインに関する論争など、幅広い鉄道技術と都市哲学を扱う本書を通読すると、合理的精神と、背反するユートピア思想(p220)を併せ持つフランス人エリート・エンジニアの二面性が浮かび上がってくる。それは文明開化より英米とドイツ式技術を中心に邁進してきた日本の技術界、あるいは社会そのものに、新たな視点を与えてくれる。


近代都市パリの誕生 鉄道・メトロ時代の熱狂
著者:北河大次郎、河出書房新社・2010年6月発行
2015年8月31日読了

Dscn3710