「人生における最高の幸福は何であるか。……わたしの意思は祖国に有益な仕事をすることに決まった。……(日本を含めて)世界のより大きな部分をわが支配下に吸収することは、あらゆる戦争の終末を意味する」(p50)
1895年をピークに南部アフリカの「私的支配」を確立し、イギリス本国をすら牽制したセシル・ローズの言葉である。胸奥深いところから表出される彼の哲学であり、行動の指針である。ここに、当時のアングロ・サクソンの抱く帝国主義的理想が見事に表現されている。

ローデシア。すなわち現在のザンビアとジンバブエである。1986年までとはいえ、一市民の名をもって国名とされた例は、後にも先にも皆無であろう。しかも国や国際機関ではなく、一営利企業によって命名されたというから(p113)驚かされる。

本書は、1814年にケープ植民地の支配権をオランダ東インド会社から奪取したイギリス人が、その支配地をいかに膨張させてきたのか。また、南部アフリカを事実上支配したセシル・ローズその人の思想と行動を、時代背景とともに詳らかにし、一時代の英雄の功績、あるいはその深い罪状を考察するものである。

・19世紀後半、原住民との戦いに疲弊したボーア人(トランスヴァール、オレンジ)とイギリス人(ケープ、ナタール)は、過去の遺恨を捨て去り、画期的な南アフリカ連邦の創生に合意しつつあった。同年、西グリアナランド(オレンジ自由国の西方、ケープ植民地の北方)にダイヤモンドが発見されることがなければ、歴史は現在と異なったものになっていたに違いない。イギリスは西グリアナランドの併合を一方的に宣言し、ボーア人との対立は高まる(p23)。

・原住民の奪い合い。すなわちボーア人は"半農奴"として、イギリス人のダイヤモンド企業は採掘労働者として。近代南アフリカ史は、原住民労働者を求めての領土拡大の歴史でもあった。

・1870年、17歳の病弱な少年がナタール港に降り立った。イギリス帝国主義にとっての英雄、アフリカ民族主義にとっての「仇敵」であるセシル・ローズの伝説はここから始まる。兄の農業を手伝った後、ダイヤモンド採掘事業に活躍の場を得た彼の、キンバリー鉱山を代表する事業家として頭角を現すまで、わずかに数年を要したのみだ。ダイヤモンド鉱山の買収に次ぐ買収。20歳でオクスフォード大学に入学して6年で卒業する頃までに、彼はケープ植民地で知らぬ者なき大富豪となる。1892年には全世界のダイヤモンド産額の実に90%を、ローズの会社が占めることとなる(p76)。

・長年続くトランスヴァールとの対立、イギリスの一部隊が全滅したズールー戦争、ケープ・ダッチに代表される農業家の利権とダイヤモンド企業による鉱業権益の衝突。これら政治的な紛争の最中、27歳のローズは、ケープ植民地の下院議員選挙に西グリクアランドから出馬し、当選する(p49)。

・「ブリティッシュ南アフリカ特許会社」 すなわち1889年にヴィクトリア女王の勅令として認可された特許状は、議会の認可を必要としない(p92)。ここに、ローズの会社が所有する軍隊による帝国主義戦争が、ローデシアの地を舞台に開始される。

・第三章「南アフリカのナポレオン」に、現在のケープ、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナをわがものとしたセシル・ローズの権勢が記される。南部アフリカ第一の富豪にして、南アフリカ特許会社の事実上のトップ、そしてイギリス・ケープ植民地の首相の地位に就いたとある……。彼はダイヤモンド・金鉱山利権と農業利権の複合体を支持層とし、無慈悲な南部アフリカの侵略者としての姿を鮮明にする。

・原住民=黒人は徹底的に服従させる。「階級支配は必要であり、……野蛮の状態にある原住民を取り扱うのに、私たち自身とは違った態度をもってすべきである」とはローズの言葉である(p125)。通行券制度、治安維持法、そして隔離政策。ボーア人の哲学「土地は白人の権利、労働は原住民の義務」を取り入れたことは、1991年まで施行されたアパルトヘイト政策のはじまりでもある。

・南アフリカの政治・経済・新聞社を支配するだけでなく、イギリス本国のジャーナリズムの買収まで手を伸ばす。帝国主義者の手に握られた新聞。「複数の新聞やニュースに書かれたことを信用してしまうことの危険性」(p152)。本書に引用されたJ・A・ホブソンによる警鐘は、現代日本でも十分に通用することだ。

・つくづく感心させられるのは、英国外交の狡猾さだ。ベチュアナランド(北部が現在のボツワナ)を巡ってのトランスヴァール共和国との協議では、同国への宗主権の撤廃の表現をぼかし(p67)、後の南アフリカ戦争で優位に活用することになる。また、同盟国ポルトガルの植民地を分割する秘密協定を潜在敵国ドイツと締結し、直後にポルトガルと友好関係を確認する。この二枚舌外交によって、トランスヴァールへのドイツの干渉を排除することに成功する(p216)。

ローズの栄華も綻ぶ時が来る。自らへの服従を拒絶する「金鉱」トランスヴァール征服への野心。腹心の引き起こした「ジェームソン侵入事件」は当時の国際的慣習を無視したものであり、列強の強い非難を招いただけでなく、ケープ植民地内のボーア人支持層の喪失へとつながる。イギリス人でさえ離反し、ローズは首相の地位と南アフリカ特許会社特別顧問の"玉座"を失った(p178)。

そして、本国の全面的帝国主義的介入によるボーア戦争の勃発。すなわちローズの私的帝国主義の終焉であり、より巨大な帝国主義の前奏曲でもある。

・セシル・ローズが局地的・露骨的な帝国主義者(p186)であったとすれば、大局的・巧緻な帝国主義者であったのはイギリスの植民地相チェンバレンであり、トランスヴァール、そしてボーア人を屈服させたのも彼であった。

・ボーア戦争。2年半に及ぶ正面戦とゲリラ戦は、戦争のあり方をも変えてしまった。村落を焼いて非戦闘員を連行する等、イギリス正規軍による後背地・非戦闘員への攻撃は猖獗を極め、ナチスを彷彿させる「収容所」での民間人の死亡率は実に35%を記録した(p241)。東京大空襲・原子爆弾攻撃・ベトナム戦争に連なるこれらの行為が、「人道上の罪」でなくて何であろう。


ボーア戦争の終結によって成立したのが、現在の南アフリカ共和国である。旧ボーア人国家の指導者がイギリス帝国主義の先兵となり、日本人を含む有色人種への差別=アパルトヘイト政策を強化し、周辺のアフリカ諸国を侵略してゆく様は、大いなる悲劇である。

ダイヤモンドと金。この人心を惑わせる鉱物を支配したのがイギリスなら、第二次世界大戦後にウラニウム資源を狙って南アフリカへ進出したのがアメリカである。少数金融資本の帝国主義的野心に衰えることはない。

「なすべきことはあまりに多く、なしたることはあまりに少なく」(p249)
ボーア戦争のさなか、セシル・ローズの死に臨んでの言葉だ。悔いの残らないよう、僕も貪欲に生きようと思う。

セシル・ローズと南アフリカ
著者:鈴木正四、誠文堂新光社・1980年11月発行
2016年5月25日再読了

Dscn6278_2