1841年、トーマス・クック自身の属する禁酒協会メンバーのための日帰り割引鉄道旅行からはじまり、スコットランド、1951年ロンドン万博ツアー、下層中産階級・上層労働者を対象とするパリ万博ツアーへと、その企画は拡大する。欧州大陸、中東、エジプト、果ては富裕層を対象とする世界一周旅行まで手掛ける。
その実績は積み重ねられ、特にインドでの旅行といえば「大英帝国の代理店」トーマスックック社を利用するのがデファクト・スタンダートとまでなる。
(インド・ニューデリー空港のクック社の両替所では良い思いをしなかったが。)

トーマス・クックの編み出した新機軸の数々。
・複数の鉄道会社を利用する団体旅行とオプショナル・ツアー(p33)
・団体旅行のためのガイドブック編纂と発行(p34)
・団体旅行のための積立金(p60 博覧会クラブ)
・イギリス発の旅行雑誌(p64 The Excursionist)
・世界初の修学旅行(p74)
・夜行列車による貸し切りツアー(p74 Moonlight Trip)
・パリへのパック旅行(p88 ロンドンからエディンバラ行きより、パリ行きの方が安価だったとは!)。これにはイギリス人が欧州旅行に旅券を必要としなかった(p124)特権的地位が有効に作用したのはもちろんか。
・エジプト、パレスティナへの100人単位での団体旅行(p138)
・上層中流階級をターゲットにしたホテル・クーポン(p163)

注目したいのはトーマス・クックの信念ともいえる「公共性への奉仕」だ。すなわち、安価な団体旅行による文化的・歴史的遺産や自然へ触れる教育的価値、遠隔地の人々との交流と、世界平和への貢献(p76,115)。
この信念が、ビジネス最優先の後継者=実の息子との確執を生み出したとなれば、哀しいものがあるが、

・ラホールでラドヤード・キップリングの知己を得ていたとは個人的に嬉しい限り(p218)。

・有名曲「フニクリ・フニクラ」がトーマス・クック社の依頼によるナポリ・ベスビアス火山ケーブルカーのテーマソングだったとは(p229)。

貧しい身からイギリス最大級の企業を育て上げたクック。アメリカン・ドリームならぬ「セルフ・ヘルプ」の精神は、われわれを奮い立たせてくれる。生きている限り、僕も人に喜ばれる仕事をしようと思う。

トーマス・クックの旅 近代ツーリズムの誕生
著者:本城靖久、講談社・1996年6月発行
2016年9月17日再読了

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