第二次世界大戦前の世界システムを構成する大日本帝国。その植民地帝国のなかで宗主国、日本はどのように視られていたのか。

本書は、衣食住と人の振る舞い、都市生活、日常生活に染み渡るイデオロギーといった側面から、帝国主義の文化的構造を探求する。
・帝国の近代化とグローバルな近代化との明白な違い(p16,249,268)。インドや朝鮮の近代化が、決して彼らのために行われたものでないことがわかってくる。
・グルタミン酸ナトリウム「味の素」(第2章)とハワイ・沖縄の豚(終章)が、大日本帝国とアメリカ帝国の邂逅を経て太平洋地域全体に拡まる軌跡は、本書のテーマの理解を深めてくれる。
・旧来の文明ヒエラルキーから新しい物質帝国主義への変遷。大日本帝国崩壊後に、日本の草履=ハワイ語のクレオール英語surippahを起源とする「ゴム草履」がハワイから西海岸、そして全世界へ普及する過程では、戦後の米兵の果たした役割が考察される(p266)。

第4章第2節の「文化生活と帝国秩序」の記述は興味深い。
・帝国の意味。内地の日本人にとってのそれは、世界文明の本性的な拡大の一部であり(p154)、文明化を確認する手段の一つでもあった。
・超越的な世界文化から、天皇制ファシズム国家に変わる新たな国民文化として、文化の意味は戦後に大きく変わる(p183)。

東京を東アジアの新しい政治・軍事・経済の中心である「帝都」と位置づける試みとして、内外の臣民の修学旅行、植民地住民代表の観光旅行が取り上げられる(第6章)。
・欧米人の「外客」に対し、植民地原住民の来日は、それまで啓蒙・教化を意味する「観光」と位置づけられていた。観光という熟語が現在の意味として定着するのは1902年より後、1909年頃だそうな(p234)。

新自由主義による途上国の搾取、貧困地域へ押しつけられる環境汚染、移民問題で表面化した民族ヒエラルキーなど、新しく残酷な事実の積み重ねられる現在、世界構造システムを考察する上で、帝国主義時代の非対称な出会いがもたらした諸問題、その断片を垣間見たことで、「強者の論理」の連綿たるつながりを再確認させてくれた。


帝国日本の生活空間
著者:Jordan Sand、天内大樹(訳)、岩波書店・2015年10月発行
2017年1月3日読了

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