1930年、世界見聞旅行に出発した今和次郎の珍しい旅行記。現地で調達した絵葉書を新婚3年目の細君に投函したとあるが、その数、10か月間になんと370枚。その通信文と絵葉書を掲載した本書からは著者の生の声が聞こえてくるようで、実に感慨深い1冊となっている。イラストも満載。

・昔の上海、香港の様子は現在とずいぶん違っていたとわかる。

・パリの豪華絢爛さに目を奪われ、ルーブル美術館へ毎日のように通い、カフェで道行く人を観察する。これは現代も変わらぬ贅沢かつ有意義な時間の遣い方だろう。1937年に壊されたトロカデロ宮の絵はがきは貴重だな(p43)。パリの公園を賛美。毛虫が少ないとも(p53)。

・ロンドンでは劇場を賞美。『ハムレット』と『十二夜』を観たとある。セント・ポール寺院は十数年にわたる大修理が行われ、1930年6月25日から一般公開されたばかりとある(p58)。ウエストミンスター寺院にはあまり良くない印象を抱いたようだ。ウインザー城の観光客の描写も面白い。何十年か前のスタイルのおばさんたちって……(p61)。

・ライカを手に入れたベルリンでは男女の姿を観察。英仏に比べて装飾少なく、腕を出して歩くなど合理的だと断を下している。断髪女性の影響を受けてか男の頭髪が奇異であること、「頂上にトンボがとまったかのように」残してバリカンで刈ってしまい、それを丁寧に分けるという(p86)。いわゆるモヒカン刈りか

・下宿の鍵の比較が面白い。イギリスでは簡単な鍵1本を持ち歩き、フランスでは部屋の鍵1本を門番に預けると。ドイツでは鍵束を渡され、ドア1枚に4つの鍵穴。小さな子供まで鍵束を持ち歩く様子にドイツ人の性格が現われていると(p88)。

・中央公園の比較が面白い。「英国の公園が徒に草地なのに対して、独逸のはいたずらに森です。フランスのはいたずらに花園です」(p92)

・ベルリンの舞台と映画。アメリカものと違って最後は悲劇になるのが「独逸的」だそうで、現実離れした「どこまでも理想主義的な哲学を背負込んでいるらしいのです」との感想を漏らす(p95)。

・プラハ。芸術的なカレル橋を評して「月夜の晩のさまよい歩き」には、きっと大変な効果だろうと想像しました、か。わかる気がする(p100)。

・信州や甲州を超える「スイスの美しい景色」(p131)に酔う。これは僕も体験したのでわかる。うまく文章に残せることができればよいのだが。

・チューリッヒに滞在する日本人は、なんと5人のみ。機械工学を専攻する彼らとの昼食で、この地は長期滞在に向かない「きちんとしすぎた都市」であると知らされる(p132)。

・イタリーの客車を牽引するは蒸気機関車ではなく、当時は「石炭汽罐車」と呼んでいたんだな。電気機関車と架線路が普及していたとわかる(p144)。

・中南欧を旅してのパリへの帰路。イタリー国境からパリ行き急行に乗車するも、途中で各駅停車に変わる。乗り換えれば良いものをタイミングを逸し、そのまま余分な数時間をかけてのんびりとパリに戻る(p147)。旅情があって良い。

・「ニューヨークのビルディング街を一人で散歩してみたら、エジプトのピラミッド以来の壮大さです」(p150)。早稲田の留学生が非常に多いとのことだが、いまでもそうなのだろうか。欧州と違って「至るところ、日本めしあり支那めしあり、日本人ありで不自由がありません」(p151)は、長かった欧州旅行の帰路にしてみれば、嬉しかったことだろうと思う。

・ワシントンD.C.のホテルの部屋の見取り図が面白い。欧州のクラシックホテルと違って何もかも機能的にできていることがわかる。オートマト(コインを入れて好みの飲食物を取り出す)のイラストも面白い(p153)。

・欧州旅行も長くなると心情も変化するのだ。「此の頃は西欧人の方が普通に見えて、日本人の顔を見ると、妙に恐ろしい表情に見えます。西欧の子供は、日本人や支那人を見るとこわがると云いますが、尤もな事だと体験するようになりました」とあるが(p98)、僕も似たような経験があるのでわかるぞ。


ナチズム、ファシズムの勃興し始めた戦間期の時代と、ボーイング777がひっきりなしに世界中の空を覆い尽くす現代とでは違いがあるだろうが、いたずらに高みを求めるでなく、地に足の着いた視点でのフィールドワークの楽しさは変わらない。本書を一読し、好奇心を忘れずに旅をしたいとあらためて思うようになった。

今和次郎見聞野帖 絵葉書通信 欧州紳士淑女以外
編者:荻原正三、柏書房・1990年12月発行
2017年4月18日読了

Dscn9761