その昔、毎日新聞社の週間エコノミスト2008年5月13日号の記事「学者が斬る 南部スーダンの復興に学ぶ」を興味深く読んだ。ダルフール問題とは別に、2001年に長い内戦を抜けて包括平和に至った南スーダンの復興の様子がレポートされ、日本をはじめ国連加盟国による復興援助とPKO活動が行われる地で、世界中どこでもガメツク商売する中国人だけでなく、ウガンダとケニアの商売人のエネルギッシュな姿が書かれていた。漠然と「隣国だから」と思ったが、かつての「大英帝国仲間」であることを知り、目から鱗が落ちた。

さて、大英帝国に関する歴史書はあまた存在するが、本書は、現代の先進工業国に住む我々の顕在的、かつ、潜在的な「帝国意識」に焦点を当てる。

・帝国と帝国主義に関する明確な定義はありがたい。「帝国とは、広大な支配領域のなかに多様な民族集団などを含み、しばしばその支配圏を拡大しようとする政治体である」(p10)「帝国体制が、国民国家という新たな形をとってきた複数の『中心』によって同時に推進されて世界を覆うという帝国主義の時代を経て、現代の世界は生まれてきたのである」(p19)

・イラク戦争後に盛り上がったアメリカ帝国論に関する著者の立場は明快だ(p25,28)。現代世界に帝国の概念は当てはまらない。アメリカは帝国に非ず、それはグローバルな世界強国であり、他の国民国家の対外政策に影響を及ぼし得る唯一のヘゲモニー国家である。

・帝国意識とは何か。それは肌の色に代表される「民族・人種差別意識」、他国支配を当然視する「大国主義的ナショナリズム」を軸とするものであり、帝国を意識することで「イギリス人意識」を強めていったといえよう(p55)。「民族・人種差別意識」は第二次世界大戦を経て弛緩したとはいえ、1997年の世論調査においても30%ものイギリス人の若者が「白人と他人種は平等ではない」との意識を抱いていることには驚愕させられた(p69)。そして帝国の変節であるコモンウェルスの盟主であり続けるイギリスにとって、2016年の「EU脱退」投票の結果は当然のことであったのかもしれない。「大国主義的ナショナリズム」は健在なり。
・日本の場合も対アジアに関して同様であるとともに、「一等国」の地位を経てナショナル・アイデンティティを強化していったことがわかる。そして帝国主義時代のイギリスの「帝国教育」が、現代日本の「愛国教育」に通底するものがあるように思えてならない(p66)。
・王室の安定と国民の帝国意識の拡大とがともに支えあう構図(p82)。それは1887年のゴールデン・ジュビリー、1897年のダイヤモンド・ジュビリーの時代に最高潮を迎える。帝国主義を鼓舞する新聞『デイリー・メール』の記事は、イギリス大衆の優越感に心地よく響いたことだろう(p90)。

・本書ではしばしば、英国のインド統治と日本の朝鮮統治が比較される。インド独立時の識字率はなんと15%、就学児童の割合は35%でしかなかったのに対し、1944年の朝鮮の就学児童の割合は71%(p125)。インド人少数エリートの育成に力を入れた英帝国と、初等教育に力点を置いた日本帝國の差異はあれど、いずれも、植民地支配体制に順化させてゆく手段であった。
・英帝国と日本帝國の支配は民族自決の認識が高揚する1930年代が分水嶺となる。英連邦の発足に対し、日本は皇民化政策を推し進める。そして第一次世界大戦後、帝国主義体制の解体に向かう流れ(p169)に反し、日本は帝国の拡大に邁進する。そして敗戦によって、最終的に大日本帝国の解体を迎える。
・この強制的な大日本帝国の解体は、英仏が体験した「脱植民地化の苦しみの過程」を経ることなく、日本を現代世界の一構成国となした。日本における帝国意識は潜在的に保持され、これが帝国主義世界から現代世界への変化に対する「歴史認識の欠如」の要因であることが指摘される(p188,225)。

「帝国主義への自己批判の眼」(p226)
本書で示すところの帝国意識の類とは一線を画する、健全なナショナリズムとは何か。その答えを見つけ出さない限り、第三世界諸国との真のパートナーシップを得て、近隣諸国との歴史的な和解には至らないと思い知らされた次第。


イギリス帝国と帝国主義 比較と関係の視座
著者:木畑洋一、有志舎・2008年4月発行
2008年5月25日読了、2017年4月18日再読了

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