本書は、特に戦間期に著された膨大な量の旅行記を「海洋文学」として捉え、欧州航路が形成した「心理的な世界像」をシンガポール、ペナン、コロンボ、スエズなど寄港地の順に評価するとともに、和辻哲郎の洋行が生み出した『風土』の意味づけが試みられる。また、欧州航路のオール・レッド・ルート、すなわち英国植民地の"赤"に色取られたアジア寄港地で和辻哲郎ら日本人の見たもの、あるいは見なかったものが論じられる。

・航空機による移動が一般化する以前、日本からの渡欧に際しては安価なシベリア鉄道経由、北米経由の東回り航路も選択肢とされたが、圧倒的に西回りの欧州航路が選ばれたという。この横浜を起点に神戸、上海、香港、シンガポール、ペナン、コロンボ、アデン、スエズ運河を経由して南仏マルセイユへと至る日本郵船の渡航ルートは、そもそもイギリスP&Oの東洋ルートの遡行に他ならず、上海を除くすべてのポイントがイギリスの支配下に置かれていたことには、あらためて驚愕させられた。(横浜や神戸の旧居留地ですら、ある意味、イギリス租界だったとも言える。)

・戦間期、日本発の欧州航路への道を拓いた日本郵船。「日本の延長」と言える自前の航路と船員を有するまでの過程は、想像もできない苦難の連続だったことがわかる。現代日本でも保険業やISO審査などの分野で存在を示すロイドは、明治の世から力をほしいままにしており、「制度」を運用する英国人の才には一目置かざるを得ない(p30)。

・「漱石の劣勢コンプレックス」についても「過度の使命感や、世紀末ロンドンという目的地の重圧」によるものではなく、西回り航路での渡欧が、欧米の慣習への違和感や疎外感を育んだという説明は面白い(p187)。もし東回り航路(米国経由)だったなら、文豪・夏目漱石は誕生していなかったのかもしれない。

・日本人の渡欧の目的の変化。幕末の遣欧使節団、明治初期の国家エリートの留学生の持つ使命感に比べ、1910年代の渡欧者は新聞社主催の海外観光ツアーや、与謝野寛「文明人の生活に親しむため」(p170)にみられるように、目的が多様化したことがわかる。1920年代の留学生の記録からも、日本と西欧の文明を相対化しては比較するなど、なるほど、余裕が生まれている。

「序章:欧州航路の文学」から「第6章:日本人のマルセイユ体験」まではスムーズに読み進められたのだが、「第7章:和辻哲郎『風土』成立の時空と欧州航路」は幾分、哲学的な記述が目立ち、自分には合わなかったみたいだ。


欧州航路の文化誌 寄港地を読み解く
編著者:橋本順光、鈴木禎宏、青弓社・2017年1月発行
2017年6月25日読了

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