第一次世界大戦の最中、イギリスとドイツの間で繰り広げられる諜報戦の日常。主戦場は中立国スイス。
家族や思い人を巻き込み、同胞を敵国に売り、わずかばかりの報酬と満足感を得て、スパイは夜に何を想うのか。
作家であり、英国諜報機関に属するアシェンデンの目線で物語は進む。頭脳戦による命の喰らいあい。派手なスパイアクションを期待する人には不向き。

・スイスやドイツに放った複数のエージェントを統括するアシェンデンでさえ、本国の指令"R"からみれば、一つの手ごまでしかない。「裏切者」の章では、そのことが強く描かれる。
・「その背後で」~「英国大使」の章は秀逸だ。人生の岐路において、その選択は正しいものだったのか。後悔しない人生とは何か。「やりたいことをやって、あとは運に任せる生き方も悪くないと思うがね」(p317)平凡な言葉だが、若き日の恋愛の日々を想う、老大使の人生訓でもある。
・グレート・ウォーは総力戦。アシェンデンの決断ひとつで、多数の民間人を巻き込む爆破作戦が決行される。その重い決断を、コインの裏表にゆだねる弱さ。これもスパイの一面である(p357)。
・ラスト「ハリントンの洗濯」はロシア革命に直面した運命の日が描かれる。彼が命と引き換えに手にしたものを考えると、とてもシュールであり、人の愚かさがここに顕現する。

この作品にストーリーはないが、リアリティは抜群だ。著者がエージェント時代に実体験し、また見聞きしたであろう事物が一個の作品に収斂したものと考えるのが良いと思う。

ASHENDEN OR THE BRITISH AGENT
英国諜報員アシェンデン
著者:William Somerset Maugham、金原瑞人(訳)、新潮社・2017年7月発行
2017年7月23日読了

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