フランス・リヨンに生を受けた日本人外交官の娘にしてフランス語の作家、山田菊。晩年にフランスの国家勲章、レジヨン・ドヌールを叙勲されたにも関わらず、日本ではほとんど知名度がなく、その作品の邦訳もなされていない悲運の女性だ。
本書は、戦間期パリ文壇サロンで"ラ・ジャポネーズ"と呼ばれた若き日の活躍、第二次世界大戦中の日本での苦難の日々、戦後フランスでの二度目の開花と、その栄冠と比べてあまりにも暗い晩年までを丹念に掘り下げた、ある日本人女性の記録である。

・フランス語で思考して話して暮らし、父の影響を受けてカソリックに帰依せずに"個人の生き方"を貫いて育ったキクにとって、帰朝したその目に映った祖国日本の姿は「異星」のようであった。フランス人の母の意志により、群れることに幸福を見出す大衆とは一線を画し、山田一家とその娘はあくまでもフランス流の生活を続ける。
・家庭の事情。16歳からAP通信社にアシスタントとして勤務したキクは、文筆の魅力にひかれる。フランスの通信誌に自分の文章が掲載された喜びはいかほどのものだっただろう。
・早すぎる父の死。1923年のパリへの出発。2年後の著書『Masako』が評判を呼び、キクは一躍文壇サロンの華となる。作家としての講演、日本舞踊の披露、生け花教室の師匠として「ラ・ジャポネーズ」はフランス各地を駆け巡る。
・戦争は個人の人生を破壊する。中国における日本の振る舞いは彼女を「戦争キク」と呼ばせる。失意のうちの帰国は、さらに彼女を打ちのめす。フランス語しか話せない敵性人物。戦前の著作物からスパイ容疑で収監される日々。変わるスイス人の夫……。日本の敗戦こそ、彼女にとって朗報だったに違いない。
・戦後のフランスは、ふたたび彼女を受け入れる。売れたのは大衆向けの『三人のゲイシャ』だったにせよ、亡き母をモデルにした『神無月』の完成度の高さはフランス出版界を唸らせた。そして日本婦人初のレジヨン・ドヌールの叙勲。
・国際交流の発展、特に日本とフランスのそれは、かつて日本文化を媒介したキクの役割に終わりを告げる。過去の作家となったキクと売れない画家である夫の二人に、生活苦がのしかかる。そして、痴呆の発症……。

日本人の生活の細やかな肌ざわりを知り、それをフランス的なものの考え方でで紹介し、「フランス人にとっての日本」を体現したといっても過言ではないキクの人生。晩年はあまりにも辛いが、その華やかな名声こそ、広範囲に日本に伝えられてしかるべきである。

ラ・ジャポネーズ キク・ヤマタの一生
著者:矢島翆、筑摩書房・1990年12月発行
2017年8月29日読了

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