世界旅行の創始者といえばトマス・クック社が思い浮かぶが、日本ではどうだったのか。日露戦争後、まだジャパン・トラベル・ビューローが創設される前の1906年に、満洲韓国周遊旅行と初の世界一周旅行を企画・催行したのが朝日新聞社であった。本書は、そのメディア側の事情と歴史的・社会的背景、新興帝国としての日本人の心理を明らかにする。

・イベントとしての観光旅行は新聞記事のネタとなり、世間の話題となり、ひいては新聞の広告収入や発行部数のアップにつながる。その流れが現在まで続いているんだな。

・最初の満州・観光国旅行において、観光客は何を見たのか。それは日清・日露戦争の戦跡であり、その土地の風習・歴史にはほとんど無関心な旅、すなわち自己の形成した枠組みの中での旅行となった(p85)。自分の2017年9月の大連・旅順旅行がまさにそうであり、この枠組みは日本人の枷でもあるな。

・西欧と北米を対象とする1908年の日本初の世界一周は、帝国を代表(p109)しての旅行であり、「同じ」文明国としての矜持を求められた。服装、言葉遣い、立ち居振る舞い……「見られる」ことを意識しての毎日は窮屈だったかもしれない。

・日露戦争後の帝国意識が、最初の海外観光旅行を生み出す契機となった(p47)。欧米帝国主義国では、世界旅行はみな、最初から「見下ろす観光旅行」であった。一方、日本の場合は異なる。従属国、植民地を傘下に収める帝国になったという意識(p45)、1900年代後半の高揚感。それは「見られる」自己、特に先進帝国主義国家である欧米諸国に対する劣等意識と、未開の国々に対する優越意識が混交する。その屈折した感情が世界旅行での訪問先や、訪日観光団を迎えての演出に反映される。

・良く知っているものの発見がツーリズム、良く知られていないものの発見がトラベル、知られていないものの発見が冒険か(p9)。その意味で、今日の観光旅行は、秘境でさえあっても観光旅行者が主催するものは、過大な広告宣伝によってみなツーリズムになる。個人旅行はトラベルよりと言えるな。

1910年、ロンドンで開催された日英博覧会の訪問を目的に募集された第二回世界一周旅行では、参加者による自主的なアレンジが加えられ、結局は第一回と変わらない旅程となる。主催者の目的と参加者の意思のずれが、参加者の世界一周旅行に求めるものを露わにする。できるだけ多くのものを観たい、知りたいという欲求。「未知未見の異郷に遊ぶ快楽」(p187)これはわかる気がするなぁ。


海外観光旅行の誕生
著者:有山輝雄、吉川弘文館・2002年1月発行
2017年10月7日読了
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