2016年2月に永眠した現代イタリアの知の巨人、ウンベルト・エーコ。彼の遺した最後の小説は、あるメディア王の権力拡大のために画策された日刊紙「ヌメロ・ゼロ」の発行準備に追われる編集部と、戦後イタリアの陰謀史を交差させ、厳正に生きる者に「記憶すること」の意義を問いかける。

・新聞準備号の編集部を舞台に、読者の意図を汲んだ表現手法、告発者の信憑性を落とし方、取材者との取引、ターゲットとする人物の貶め方など、メディアの「空恐ろしい情報操作のテクニック」の数々が披露される。こんなものを日々われわれは読まされているわけか。

・50男の主人公が見出した、30歳の女記者との幸せな日々。だが、ムッソリーニ生存説、バチカン銀行、ローマ法王暗殺事件、情報機関「グラディオ」など、戦後イタリア史の闇の部分を追究する一記者が殺害されると、事態は急変する。

・著者は記憶を失うこと、無関心になることに警鐘を鳴らす。「Xという事件も情報の大海におぼれてしまうわけだ」(p156)、「でも、私も忘れていたのよ。新しい暴露があるたび前の暴露が消されてしまうかのように。全部引っぱり出すだけでよかったのよ」(p193)

・主人公を含む新聞編集部と影の出資者以外、すべての関係者が実名で登場する。影の出資者ですら、ベルルスコーニ大統領のことを想起させてくれる。どこまでがリアルでどこからがエーコの生んだ世界なのか、あるいは想像とは現実世界と紙一重であるのだろうか。

「世界そのものが悪夢なんだよ」(p197)、情報操作の現実的恐ろしさは、ある日を境に突如報道されなくなる官僚関係の微妙なニュースや、Google検索から削除される事件の痕跡など、われわれ日本人にとっても無縁ではない。
濁世の中で生き抜くこと。第四の権力者であるメディア報道の真の意図を見抜き、自己を護るためにも、確固としたリテラシーだけでなく、個人なりの哲学が必要ってことだな。

NUMERO ZERO
ヌメロ・ゼロ
著者:Eco UMBERTO、中山エツコ(訳)、河出書房新社・2016年9月発行
2017年10月15日読了
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ヌメロ・ゼロ
ウンベルト・エーコ
河出書房新社
2016-09-21