ヴィクトリア時代に刊行された総合雑誌を対象に、そのインド論、中国論、日本論を分析することによって、当時のアジア・イメージの変遷と「文明化の使命」の史的変遷が描かれる。
インド・イメージ(第4章)と中国イメージ(第5章)が本書の半数を占め、引用される当時の雑誌評論文の数量は圧倒的だ。日本に関する情報の少なさはやむを得ないところ(第6章)。

・インドについては、統治手法の変化が決定的となる1857年の大反乱をキーに据えて1800年代を四期に分け、70を超える雑誌評論文を読み解き、その傾向からイギリス人にとってのインド・イメージの変遷を考察する。
・「停滞した物質文明と、イスラム教とバラモンに支配され、カースト制にとらわれた中世的な精神文化」のイメージに彩られたインドを、「普遍的な西洋文明」の光をもってヨーロッパ的なレベルに引き上げるべきであるとする「文明化の使命」(p88)論は、大反乱を経てもなお主流であった。だがドイツとアメリカに追い上げられてワールド・パワーとしての大英帝国の地位の低下が明らかになる1880年代になると、インドを不可分の帝国領土とする帝国主義的論調が堂々と目立つようになるという(p103)。

・地の果て、極東の古い帝国である中国に対しては、18世紀に論じられた好意的なイメージ=安定した穏健な専制的帝国に対し、いかに西洋文明を輸出するかという議論が、1850年代から盛んになる。こちらも50を超える総合雑誌の評論文を引用・解説しつつ、イギリスにとっての中国イメージの変化を読み解く。
・1890年代になると、険悪化する国際関係の中で、いかにして中国でのイギリスの通商的利益を維持するかに主眼を置き、中国の改革、すなわち近代化・文明化を「強制」すべしとの論調が力を得てくる。改革の一向に進展しないアジアの老大国に対し、「きわめて無知で迷信的な」中国人、「馬鹿げた慣習」の横溢する中国は「東洋における巨大なタコ」だ、等の厳しい表現が顕れるのもこの時期だ。

・1850年代にはほとんど注目されなかった「人形の家の文明」を持つ日本は、停滞する中国と比較され、さらにはジャポニスムの影響もあり、1860年代頃より好意的なイメージで捉えられるのみならず、日清戦争を契機として、アジアにおける大国、男性的国家と評されるようになる。ただ、西洋文明の摂取に熱中するあまり、自身の相対的な芸術的・文明的価値を認識できなくなった(p217)との評論も存在したのだな。

包括的なアジア・イメージは1800年代後半を通じて変容し、それはイギリス自身のイメージにどう影響を与えたか。アジア諸国の工業化の影に怯え、それは「文明化の使命」に疑義を投げかける。そしてパクス・ブリタニアの衰えが見え隠れする1880年代以降は、社会進化論や人種主義の勃興により、全人類の「単一の連合体」への統合を目指す「帝国の使命」をもって世界に君臨するイギリスへと、セルフ・イメージを変遷させた。ここに、帝国主義の正当化が完成する。

自由貿易と「文明化の使命」の両輪をもって、世界をイギリスのイメージに従って変革しようとする衝動。すなわち、文明世界という外観を持ち、自由貿易によってリンクされた農耕の国際分業が貫徹した世界(p253)の実現は、19世紀中葉のヴィクトリニアリズムの楽観的な時代の産物であったというのが、本書の結論である。

大英帝国のアジア・イメージ
著者:東田雅博、ミネルヴァ書房・1996年3月発行
2017年12月7日読了

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