ディケンズの生きた時代≒ヴィクトリア朝初期~中期にかけてのロンドンの街と人々の様相が、彼の若き記者時代の記事、小説作品とエッセイ、同時代を生きたヘンリー・メイヒューのインタビュー作品、ジャーナリストのジョージ・サラの記事、外国人旅行者の手記等を通じて活写される。まるで当時のロンドンに足を踏み入れたようなリアルな描写に溢れ、読んでいて実に愉しい気分にさせてくれた。
「街の風景」「ロンドンの人々」「買い物事情」「ロンドンの勤め人たち」「交通事情」「娯楽」「貧困層」「罪と罰」「お上品な人々」から構成され、巻末には地名ガイドと詳細な索引が付く。

・ウエストエンドは英雄ウェリントン公爵の住まいである「ロンドン一番地」アプスリーハウスから、東と南のスラム街まで。尽きることのない若き日の好奇心がディケンズにロンドンの隅々まで散策させ、作品の礎を築き上げたんだな(p37)。
・紳士の象徴であるシルクハット(トップハット)。1797年に初めて同帽子を被って街を練り歩いたのがヘザリントン氏とされる。彼は「臆病な人々を怖がらせるためにわざわざ艶出しの光沢剤を塗りつけた丈の高いもの」を被って街の治安を乱した罪で逮捕されたとある。時代の先駆者に苦労はつきものか(p57)。
・英国王室御用達、ハロッズが開店した当時は、ナイツブリッジ一帯は「二流紳士と二流店舗の街」と呼ばれていたそうな(p86)。駅の売店ウィリアム・ヘンリー・スミス商会、老舗書店ハッチャードなど、18世紀にルーツを持つ企業の紹介も面白い(p93)。
・19世紀中葉の勤め人の朝の出勤光景は現代とそう変わらない。金持ちは自家用馬車、中流層はオムニバス、豊かでない者は徒歩で通勤とくる。その通勤ファッションは意外にも派手な色彩やデザインに溢れていて、オレンジの手袋、深紅のズボン吊り、千変万化するカフスボタン、上着のボタンホールに薔薇の花をさす等、実におしゃれだったんだな(p121)。
・ストランド街の開発、トラファルガー広場の建設は1829年から着手されたのか(p35)。
・ディケンズの作品から馬車旅行の大変さが紹介されるとともに、19世紀に数年間とはいえ定期運行された「蒸気乗合自動車」(p161)など、第5章「交通事情」は面白い。ドーヴァー港が建設されるまでは、ロンドン市内のある駅が英仏海峡横断汽船の出発地となっていたのか(p163)。
・ミュージックホールが流行する前のロンドン市民の娯楽は、もっぱら舞台劇場だったそうで、富裕な者も貧乏人も(質屋を利用してまで)劇場通いをしたそうな(第6章)。
・貧困層、ニューゲイト監獄(p335)、そして公開処刑。「光を! 光を持ってこい!」と叫ぶ死刑囚(p343)。人権意識の発達しただけでも、この濁世はマシというわけか。
・ハイドパーク、ロットン・ロウで乗馬の腕前を披露する若き女性貴族の姿は、さぞ可憐だったのだろうなぁ(p364)。そして舞踏会で「高貴の君」をつかむための血のにじむような努力は滑稽なほどだ(p379)。
・それにしても、ヴィクトリア時代の人々は、現代のわれわれからすれば信じられない習慣をもっていたんだな(p371書斎の"トイレ"、p382トイレットペーパー制作作業)。

解散前の東インド会社に関する記述が多く収められており、個人的に興味を惹いた(p28東インド館、p125、p147チャールズ・ラム)。資料館(p208)の収蔵品が散逸したのには悔やまれてならない。一部がV&A博物館で観られるだけ良しとするか(p210)。

19世紀ロンドンには、イギリス人だけでなく「近代化を経験してきた我々自身のルーツがある」(p405)か。目から鱗。
欲を言えば、巻頭にカラー図絵が集められるだけでなく、本文中にも関連するイラストや写真を収録してほしかった。

VOICES FROM DICKENS'LONDON
図説 ディケンズのロンドン案内
著者:Micheal Paterson、山本史郎(訳)、原書房・2010年3月発行
2017年12月17日読了
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図説ディケンズのロンドン案内
マイケル・パターソン
原書房
2010-02-24