インド洋に面するタンザニア・ザンジバル島を中心とする東アフリカ沿岸地域の歴史をコンパクトに概観できる。

・インド洋西域の季節風が、アラブ人とインド人、そして交易品をアフリカ東海岸へと運ぶ。イスラーム文化の浸透、文化的統合、通婚。ザンジバル島北西端のストーン・タウンをはじめ、人種・文化の多種多彩なコスモポリタン都市の誕生。15世紀にはスワヒリ社会が「文明人」の言葉、スワヒリ語とともに形成される(p24)。
・まるで古代ギリシャのようなスワヒリ諸都市の自律性。そこに付け入ったポルトガル。「人種や民族の境界をこえて人と人を結びつけてきたインド洋世界」(p42)の文化との衝突は、過酷な侵略と統治ともたらした。。
・西洋を駆逐したオマーンが新たな支配に乗り出す。商人世界の大繁栄。多大な利益をもたらす商品は象牙と内陸部の奴隷たち。ヴィクトリア湖とタンガニーカ湖の周辺での奴隷狩りは、ベルギー・コンゴによる支配とどちらが過酷だったのだろう。そこに「奴隷解放」アメリカ人商人による無担保クレジットが効いていたとは、歴史の皮肉か。
・リヴィングストン、スタンリー、マフディー軍。アフリカ人商人ティップ・ティプ、「湖水の人」ミランボ。19世紀の群雄伝さながら。そして列強による東アフリカ分割へ。

アラブ商人、インド商人の混淆、ポルトガルの侵略、オマーン国王による直接統治、そしてイギリス保護領へ。先進的な沿岸部住民による"奴隷供給地"アフリカ内陸部への進出。環境に翻弄されたとはいえ、地域史とはかくも面白いものなのか。

スワヒリ都市の盛衰
著者:富永智津子、山川出版社・2008年12月発行
2018年3月31日読了
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