男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

カテゴリ: 経済・政治・国際

サンデーモーニングでアフガニスタン大統領選挙が取り上げられていた。(2009年8月30日) 現職のハーミド・カルザイ氏が得票率41%、対抗馬のアブドゥッラー(アブドラ)氏は39%。大規模かつ組織的な不正が次々と報告される中、決選投票が行われる見通しだ。

問題は何か?
番組によると、カルザイ氏はパシュトゥーン人で国の南部が支持基盤。対するアブドゥラ氏はタジク人で、母体政党は統一国民戦線=旧北部同盟だから、北部が基盤だ。

伊勢崎賢治氏=昨日読んだ「自衛隊の国際貢献は憲法九条で」の著者が出演していた。彼によると、
「最悪、国家が南北に分断される可能性もある」
いっそ、そっちの方がうまくいくのでは? パシュトゥーン側は、パキスタンに併合されたりして。

で、アブドゥラ氏は2002年の暫定政権時の外務大臣。と言うことは、旧軍閥とつながりがある? 悪名高い腐敗の源? カルザイ政権そのものも腐敗が糾弾されているし。

表面的な統一国家を保つか、分裂するのか。どっちに転んでも、腐敗した極貧国家のままか。アメリカが出て行き、他の先進国も手を引き、残るは発展途上国ならぬ「絶望途上国」。世界が見捨てるであろう破綻国家寸前の石油の出ないこの国に日本が介入し、公平な民主国家に仕立て直すのか?
もしかして、ババを引かされる?

【ウイークリーワールド】不正と暴力に悩まされたアフガン大統領選 3日に暫定結果
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090829-00000539-san-int

<アフガン大統領選>米が第2回投票を要請 カルザイ氏激怒
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090828-00000118-mai-int

そうそう、日本では今日、衆議院選挙か。こっちは"絶望先進国"だが、投票権だけ行使しておこう。

日英凋落 戦略描けず影響力喪失
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090829-00000039-san-int

ラサで新たな大規模デモ=「数千人参加」-チベット亡命政府
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080330-00000006-jij-int
「インド北部ダラムサラに拠点を置くチベット亡命政府は29日、中国チベット自治区ラサで現地時間同日午後2時ごろ、数千人規模のデモが発生したと発表した。14日の暴動が中国当局に鎮圧されて以来、ラサでの大規模デモが伝えられたのは初めて。
 亡命政府のウェブサイトに掲載された声明によると、デモはラサ中心部にあるラモチェ寺前のほか、近くのジョカン寺(大昭寺)前などでも行われ、数千人が参加した。中国当局は装甲車両や戦車を投入してデモを強制的に阻止したという」

1989年の暴動はラサのみ。今回は周辺の省に拡がり、衰える気配を見せない。89年と違うのは、ネットと携帯を駆使し、ダライ・ラマの穏健路線に従わない「行動派」が主導権を握る点だ。
携帯カメラで撮影した「警察による僧侶への暴行」記録動画が瞬時に米国のチベット支援団体のアドレスに送信され、すぐに世界中に公開される。
公開されないのは、当局が閲覧を制限する中華人民共和国内だけ。

オリンピック開催を前に予想されていたとはいえ、当局も手を焼いている様子。
しかし、片っ端から連行して拷問にかけ、組織を根絶やしにするんだろうなぁ。
国外組織の支援にも限界があるだろうし。
文化大革命じゃないけど、今回の活動が下火になり、オリンピックが終わって世界中の関心が低くなれば、本格的に「チベット民族に対する教育」が行われるんだろうなぁ。
他力本願みたいで気が引けるが、次のアメリカ大統領はどう中国に対峙するのだろう。自国の経済危機を救うため、宥和政策を進めるのだろうか。そうなれば、チベット自治区のチベット人は、湾岸戦争後のイラク・クルド族みたいに見捨てられるのは確実。
哀れ。合掌。

ラサの暴動で、中国政府はチベット人の強制逮捕に乗り出した。その規模、数百人。
現地で何が起こっているのか? 知りたい。知りたいが、外国メディアの入域が禁止されている? それじゃぁ中共政府"大本営発表"を鵜呑みにするしかないのか?

19時のNHKのTVニュースを観た。現地から引き上げた日本人旅行客の一団が列を成して帰ってきた。で、報道陣のマイクに向けられた言葉は……
「何も話すなと言われている」
耳を疑ったぞ。
誰に命令されたんだ? 旅行会社か? 中国政府にか?
まさか、在上海日本国総領事館じゃないだろうね?(これが最も可能性が高いなぁ。)

彼らは、ラサへ何をしに行ったんだ?
チベット文化を、その地で暮らす人々を、その風習を観に行ったんだろう?
チベット密教(チベット仏教)とポタラ宮を目にして、異文化と人類に通底する共通項を感じたのではなかったのか?
あるいは、現地の人々とのふれあいの中から「何か」を見つけ、自分に投影する。それも目的の一つだろう?

その地で、文化が破壊され、「中国化」され、大げさに言えば民族浄化されつつあるラサの現状を目にして、憤慨するものがあったはず。
暴動に直面するのは怖い。被害が及ぶ前に、自分たちの安全を確保することに賢明なのも、当然だろう。
でも、その状況が生じたのは何故か、知っているはず。
現地の情勢、一次情報を知っているのは、自分たちであることも知っているはず。
それが、「何も話すな」と言われたから、口を閉ざすのか?
報道陣のマイクには言えないこともあるか……ブログに期待しよう。
(たぶん、旅行者名簿を入手した中国軍に監視されると思うけれど。)

中国政府、米ユーチューブを遮断=チベット暴動映像を警戒か
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200803/2008031800616&rel=y&g=int

「報道の自由」って言葉は、彼の国に無いことを思い出した。
そのうちオリンピックも「外国メディアの報道禁止」となり、中国人選手のメダル独占、世界新記録大連発、ってことに。(笑)
茶番劇。

[補記]
状況をキチンと書いてくれる方もおられますね。大変でしたね……。
http://plaza.rakuten.co.jp/kaycom/diary/200803170000/

肥大化する公務員組織は、必要のない仕事をひねり出しては、自己存在の正当性を主張する。いつの時代、どの国でも見られる光景だ。だが、それが市民に害を及ぼすとしたら……。

カフカの三大長編の一つ、審判を久しぶりに読んだ。
高層アパートに住む銀行員、ヨーゼフ・K。若干30歳ながら、類い希な才覚によって支店長の要職にのし上がった彼は、ある朝突然、寝室で逮捕される。
身に覚えのないところで起訴されているという。奇妙なことに、身柄を拘束されるわけでなく、これまで通りの生活に支障も無く、月に1~2回の公判への出頭のみが命ぜられた。
最初の日曜日、9時に裁判所を訪ねたKは、そこが高層住宅の一部であり、裁判所職員の一住居を間借りした臨時の法廷であることを知る。
驚愕は続く。裁判官と下級判事専属の肖像画描き、画家にまとわりつく幼い姉妹、おびただしい数の事務員、彼らすべてが裁判所の関係者だという。さらに、弁護士と裁判所職員のもたれあい、クライアントであるはずの被告人を奴隷のように扱う弁護士、何年待っても進展しない、気まぐれな裁判システム……。
Kは最初は突き放す。やがて一族がかかわり、職場でも周知の事実となり、肉体的、精神的に裁判に深く巻き込まれてゆく。
相変わらずの怠慢な裁判は続く。だが気まぐれか、必然か。その「仕事が完遂」されるため、ちょうど1年後の同じ日に、ヨーゼフ・Kは処刑されねばならなかった。

身近に突然起こる恐怖の光景。ある意味、全体主義のこれは、ドイツ的、あるいは、ゲルマン気質と呼べなくもないだろう。

自己増殖する官僚機構に制動をかけ、適正な姿に戻すのは政治家の責務であり、ひいては為政者を選択する国民・市民の義務でもある。
公務員は必要だろう。だが、公的機関としての役割が低下したのなら、その組織も縮小すればよい。公的組織の必要性を強調するのなら、非営利団体NPOが十分、その役目を果たすだろう。

どこの自治体も、膨大な赤字財政を放置・先送りし、破綻直前になってやっと「行革」らしきものを立ち上げる。兵庫県もそうだ。
今朝(2007年11月18日)の神戸新聞によると、兵庫県「県職員文化祭」なるイベントが、神戸国際会館を借り切って開催されたそうな。
これは兵庫県庁の職員と家族、OBだけが参加できるイベントだ。主催は職員互助会らしいが、その予算1,200万円の半分、実に600万円もの税金が投入されたという。残る600万円は県からの補助らしいが、それも我々の税金だろうが。
賃料もバカにならない「こくさいホール」では、職員によるダンスやバンド演奏が披露されたという。(まさか、仕事そっちのけで練習してたんじゃないだろうね?)
一般の県民にはサービス低下、各種補助金削減という痛みを強いておいて、バカ高い報酬を得る自分たちだけで、ノホホンとお祭りを愉しむのだ。その「まるで特権階級のサロンを思わせる」閉鎖的なお祭りに、われわれの血税が惜しみなく投入されるのだ!

なになに? 「中止も検討されたが、やむを得ず開催した」だって? 楽しみにしている職員が多く忍びない? 1年かけて準備してきたサークルの努力を無駄にしないため? そんなん、知るか!
う~ん。現代日本もある意味、カフカ的世界だなぁ……。

Der Process
審判(カフカ小説全集2)
著者:フランツ・カフカ、池内紀、白水社・2001年1月発行
2007年11月11日読了

AFPニュース等によると、11月3日、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ(Pervez Musharraf)大統領=陸軍参謀長が全土に非常事態を宣言したそうだ。憲法は効力を停止し、非常事態宣言を差し止めた最高裁のチョードリー長官は解任され、大統領の息のかかった新長官が任命されたそうだ。

http://www.afpbb.com/article/politics/2306636/2309890
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071104-00000040-san-int

1999年10月のクーデターで実権を把握したとき、彼は腐敗政権に嫌気をさしていた国民の支持を得た。これは「内政問題」として仕方がないのだろう。だが、前年にインドとパキスタンがともに核兵器の保有を宣言した直後でもあり、「核兵器を有するイスラム軍事政権の誕生」により、世界は緊迫度を増した。(当時のニューズウィーク日本版1999年10月27日号の表紙「核の危機 アメリカ議会は核実験禁止条約を拒否し、核保有国パキスタンでクーデター」の大きな見出しは鮮烈だった。)
結局、強硬な制裁は行われず、なだめて現状を維持する政策を主要国は選んだ。

その後の「9.11」では、米国とイスラム諸国の板挟みに遭いながらも、国益を優先して対テロ戦への参加を表明し、唯々諾々と軍事作戦を遂行することで、米国から事実上の承認を得た。これが、ムシャラフ氏の地位の盤石化に作用したのだろう。

だが、公約であったはずの「陸軍参謀長の辞職」は実現していない。最高裁長官の罷免騒動、選挙へのあからさまな介入、ライバル政治家の帰国問題が次々と持ち上がり、軍部の強硬派とイスラム原理主義者との確執も解決していない。
支持を得ていた国民の間では、毎月のようにデモが繰り広げられている。
先日の大統領選挙の結果、ムシャラフ氏は3期目の就任を果たした。だが、これは暫定的なものであり、参謀長を兼任したままの大統領就任の憲法上の判断が下される最高裁判決が、目前に迫る。無論、良い結果は期待できず、国政は一挙に混乱に陥るだろう。

そこで、今回の戒厳令だ。反大統領派の最高裁長官の解任が目的とも言えるこの変事を、いったいどう収拾するのだろうか。
そしてパキスタン国民は思うだろう。
「そこまでして地位にしがみつきたいのか?」

それでも、ムシャラフ氏のパキスタンは興味深い。軍事クーデター後のイスラム国家で強権政治の発動となれば、反欧米、イスラム原理主義へ傾倒しそうなものだが、実際には現実的な国際協調路線を貫いてきた。
なぜだろうか。
イスラム教徒が大半を占める国にありながら、ムシャラフ氏はキリスト教系の高校、大学を卒業した。さらに父親は外交官、母親は国際労働機関(ILO)の職員であったことを鑑みれば、国際感覚が十二分に養われたことは、想像に難くない。
ライバル政治家の支持者を中心とする反体制派への弾圧を除けば、経済改革を推し進めるなど、内政も比較的リベラルだ。これも、これまで国民の緩やかな支持を集め続けた要因だったのだろう。

ブット元首相との確執もさることながら、ナワーズ・シャリーフ前首相とのいがみあいもまだまだ続く。アフガニスタンとの国境沿い、事実上の無政府状態が続く北西辺境州でのアルカイダ系テロリストの暗躍に手を焼く状態が続くようなら、米国が黙っちゃいない。
英国(ブット氏亡命先)とそのメディア、エジプト(シャリーフ氏亡命先)はじめ中東諸国、対テロ戦争の"同盟国"であるブッシュ米国の思惑を含め、三つ巴の様相は、その先が見えてこない。

クーデターの原因として、カルギル紛争を巡り、インドとの対話で収拾させようとするシャリフ首相と、あくまで軍事作戦で片を付けたいムシャラフ参謀長の間の確執があったとされる。
そうであれば、だ。今回の危機が長引いて国民の批難が高じれば、「国民の目を外部に向け、内政の失敗をカバーする」との定石に則り、カシミール地帯の紛争を再燃させる可能性も否定できない。
当面はホットな状況が南アジアで続きそうだ。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/472997.stm
http://www.presidentofpakistan.gov.pk/

英国BBCニュース
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7077310.stm

こっちはアルジャジーラ・ニュース
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/CE10D815-2B86-4AF4-8D76-D1C74AB114AD.htm

で、これが国民に向けて戒厳令を発令するムシャラフ氏
http://www.youtube.com/watch?v=ya86zLFxHrs

2007年9月時点において、国連加盟国は192を数える。そのうち150ヶ国以上が、二〇世紀中葉まで存在した帝国の支配下にあった。前世紀の残滓を払拭した現在でさえ、グローバル経済体制に従属しているのが実態だ。
帝国、そして帝国主義。それは突如、消えたのか。否、姿形を変えて存続しているのか?
本書は、有史以来の歴史を俯瞰し、現代まで連綿と続く東西の帝国の意味を概観する。

帝国主義。それは他国民を従属させ、収奪する行為であるがゆえに、必ずしも好意的にはとらえられない。それが現代日本人の感覚であり、おそらく世界共通の認識なのだろう。だが19世紀後半の帝国主義の時代は「植民者こそが英雄」であり、原住民を文明化する使命を担う正しき行為とされていた。大日本帝国もまたしかり。朝鮮半島、中国大陸、東南アジア諸国へ侵攻するのに、これ以上の大義名分はなかった。しかし、1930年代になると欧米で帝国主義への疑問が生じ、日本だけが時代の後追いを続けていたことは悲劇でもあったが。

遠くローマの時代から、帝国の中枢に位置する者にとって「野蛮人を文明化すること」は自分たちに課せられた使命だと信じる傾向があった。それは宗教、特にキリスト教とイスラム教の使命感と混淆したためである。(だから、同様の帝国である古代中国には、周縁国家に対する文明化の意図は生じなかったのだろう。)
しかし、支配される側にとっては、帝国主義は収奪そのものである。
「人住まぬ荒野をつくって、それを平和と呼ぶ」
我々が信奉する基本的人権、民主主義の概念、そして国際法。これらでさえ"帝国の遺産"であり、西洋の価値観の押しつけだとする論調すら見受けられる。

現在、帝国と呼べるのはアメリカだけとされる。直接的な植民地政策を行使しないものの、地域の支配体制を通じて経済と外交、ときには文化を間接支配し、利益が驚かされるときには軍事的手段を用いて「あるべき姿」に矯正する。その意味では、新しい世界帝国とも言える。
長期的にはどうなるのか? 伝統的なヨーロッパ文化と異なる、より民衆的なアメリカの価値観が普遍化し、一方で各国・地域の伝統文化・人生観と混じり合い、かつてのローマ帝国とも異なる「緩やかに統合された世界」が大きな趨勢になるのだろうか。

2007年10月からTV放映が始まる「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」が、上に述べた世界観に近いようだ。このアニメの舞台、すなわち石油資源の枯渇した西暦2300年の世界は、アメリカを中心とした陣営(日本も参加)、中国・ロシア・インドを中心とした陣営、アフリカを支配下に置く欧州連合の3極が太陽エネルギーを奪い合い、中東・東南アジア・アフリカの貧困国からなる「見捨てられた世界」はテロに専従するという、ありうるリアル未来図を予想させてくれる。(日本がアングロサクソンに占領されて全てを奪われる、コードギアスの世界観よりは救われる。)

……脱線が長すぎた。
個人的には、近代の典型的な陸上型帝国である、オーストリア=ハンガリー帝国の姿が印象に残った。多民族にして民主的な帝国を建設するという、どう考えても無理がある政策を実践し、ある程度まで成功させた(当時は大英帝国もフランスも、少しでも民主的権利を植民地に与えてはいなかった)。その画期的かつ穏和な方針が、かえって民族闘争に拍車をかけ、帝国の解体を加速させたのは皮肉だったと言える。

EMPIRE : A Very Short Introduction
帝国
著者:スティーブン・ハウ、見市雅俊(訳)、岩波書店・2003年12月発行
2007年8月29日読了

朝鮮戦争時に「米軍の代わり」として国内治安を主目的に設立された自衛隊。40年に渡る強大なソ連極東軍との対峙、湾岸ショック、カンボジアPKO、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、イラク派遣を経て、その性質は大きく変貌した。
自衛隊と言えども将官は旧帝國軍出身者が占めていたわけで、戦後の防大出身者が陸海空の幕僚長に就任したのは、わずか15年前らしい。大東亜戦争に関わっていない幹部がトップに立ち、国民の自衛隊を見る目もズイブンと変わってきたことで、ようやく諸外国レベルの活動が許される状況となったと言える。
年が明けると防衛庁が防衛省に変わる。自衛隊管理官庁から「政策企画・立案」官庁へ脱皮するわけで、表面の冷静さとは別に「この機を逃さず」に表舞台へ出てくるのだろう。

この本、フジサンケイグループ出版社ならではの「自衛隊ヨイショ。国防軍への昇格を期待」する内容だったが、その筋の通った記述は正論と言える。
石破前防衛庁長官による「他国から誘導弾による攻撃が予想される場合、その基地を攻撃することは自衛の範囲内だ」との発言が大問題となったが、実はこれ、50年前(1956年)に当時の鳩山首相の見解として国会で述べられており、これを歴代内閣が踏襲しなかったことが問題であると提起している。他の重要法案を成立させるため、野党と協議してこの種の安全保障に関わる議論を避け、安易に妥協してきたことの結果が、こんにちの歪んだ防衛政策につながったと言える。
たとえば法律上、海外派遣における「武力の行使」と「武器の使用」は異なるものとされている。また、武器の使用は上官の判断ではなく「自己責任で行え」とも。いざ事態に直面した自衛官に、これを遵守しろと言うのはひどい話だ。諸外国に理解されない法律は改めるべきだ。

「自衛隊のPKO活動や国際緊急援助は、日本国の国際的地位と名誉、発言力を高め、そして世界の平和と安定のための任務である」
それはその通りだと思う。だけどこの著者に限らず、最近勢いを増してきた
「憲法前文の精神を追求するためにも憲法九条の改正に取り組まねばならない」
との主張には賛同できない。
なにかと批判はあっても、なにも日本の国際貢献はPKOや実力部隊の派遣だけではない。拡大解釈で自衛隊の活動範囲の拡大は実現できるし、それで日本国民の理念を具体化できるるだから、何も憲法を変える必要はない。
もっと言えば、明治以来こんにちに至るまで、日本には実質的な文民統治の経験は少ない。ヘッポコ社民党を代弁するつもりはないが、「軍部の権力」を抑制する視点からも現行憲法下での自衛隊の管理が適切と言える。

そのとき自衛隊は戦えるか
著者:井上和彦、扶桑社・2004年3月発行
2006年12月15日読了

決して景況感の良くない日本が、なぜ発展途上国とその国民に援助を行う必要があるのか? 高い税金を払っているのだから我々に還元するべきなのに、外国の援助を行うのは何故か? 本書はこれらの問いに簡潔に、そして説得力を持って答えてくれる。
援助の目的。それは慈悲や愛からではなく、日本の国益のためだ。日本の国益とは「相対的に自由な世界経済体制の維持であり、そのためには、発展途上国の持続的成長の確保が必要」であり、それが「第三世界の安定につながり」長期的に見て日本国民の国益になると著者は説く。
また、ODAの金額ばかり増やしても片手落ちで、農産物の輸入障壁を撤廃する、あるいは低減する等の政策が伴わないために、政策一貫性の無い自己満足の世界に陥る危険性も指摘される。
「日本国内の既得権益をこわしても自由貿易体制の進展に日本は血を流すべき」であり「公正なグローバリゼーション・日本モデルを打ち出すべき」との主張には拍手を送りたい。

著者は、長期的視野に立った国益に基づく援助こそ中心にするべきで、積極性な人道的援助は得策ではない、との立場だ。日本の政治的能力と影響力が貧小であることがその理由だ。そして憲法解釈上・能力上の問題からPKO、国連平和維持活動への参加には反対の立場だ。唯一、この点だけが不満に思った。
たとえ能力で劣っていても、積極的に参加するべきだと僕は思う。経験の積み重ねが貴重な財産となり、やがて政治的能力に転化することに望みをつなぐために。

日本の国際貢献
著者:小浜裕久、剄草書房・2005年11月発行
2006年11月26日読了

1990年初頭より散発的な戦闘が行われ、1999年のカルギル紛争でピークを迎えるカシミール紛争。2006年現在も解決の目処が立たないまま、隣り合う核保有国、インドとパキスタンが領有を主張してやまない地域の、まだ比較的平和な時代の旅物語。

仏教に帰依したアショカ王に始まり、その後の為政者がヒンドゥー王朝、ムガール王朝、シーク王国、1846年以降のジャンムー・カシミール藩王国=英国間接統治へと変遷した豊かな歴史と、その産物でもある多様な文化・手工業産物が紹介されます。
現地の人々の息づかいまで伝わるような紀行文と、大判かつ豊富な写真が、旅を共有した気分にさせてくれます。

それにしても、由々しきはカシミール問題。これは、1947年のインド、パキスタンの分裂しての独立にさかのぼる、英国帝国主義の無責任な置き土産です。現地の人が独立を望もうと、パキスタンへの帰属を望もうと、インドが許すはずもなく、ゲリラ化した住人とインド軍との小競り合いが続いてきました。さらにはアルカイーダ系列のムジャヒディンが多数、この地域に雪崩れ込んだことにより、事態はいっそう複雑になっています。

アフリカ・スーダンのダルフールといい、ナイジェリアのビアフラ(古い!)問題といい、パレスチナ問題といい、旧宗主国の勝手な政策が現地人の生活を滅茶苦茶にし、命までをも奪う現実。世はグローバリゼーションと言えども、100年前の帝国主義の残滓は、いまもいたるところで火を噴いています。

ロマンチック・インディア カシミール
著者:茂市久美子、藤田弘基、ぎょうせい・1988年5月発行
2006年5月15日読了

かつての勢いを無くしつつあるトニー・ブレア英国首相ですが、従来の社会主義の「良い部分」と自由経済の長所を生かそうとする政治手腕は評価できるものと言えます。1980年代のサッチャリズム、レーガノミクスに代表されるニュー・ライト、すなわち新保守主義路線からの脱却を説いた本書が、イギリス労働党に与えた影響が大きいとされています。

不平等の是正、すなわち資本主義をどう統御するかについては様々な議論が行われていますが、結局は野放しの自由経済は「弱肉強食」でしかなく、それが1990年代の経済危機(南米、ロシア、東アジア)を招いたこと、国別・地域別の貧富の差がますます拡大することは明白です。
本書では、資本主義の利点を生かしつつ、人間的に作り替えることが社会民主主義の目標の一つであり、魅力であることが明らかにされます。
第二次世界大戦終結後の政治の主流となった社会民主主義=高度福祉社会体制も、石油ショックを経て新自由主義に取って代わられます。冷戦の終結が社会主義を過去のものとしたこともあり、社会民主主義を立て直す議論が欧州で行われてきました。本書はその集大成とも言えます。

日本にも二大政党政治が根付くと期待されていますが、強者=自民党の政策を部分的に借用・改変し、あたかも自分たちの政策であるように振る舞う民主党=小自民党ではあまり期待できそうにありません。投票率の低下も納得できるというものです。
小沢さん、鳩山さんには耐えられないかもしれませんが、社会民主主義の考えを取り入れた政策を前面に押し出してはいかがでしょうか? 小泉さんに幻滅したサラリーマン世帯の支持率を確保できるかもしれません。

The Third Way : The Renewal of Social Democracy
第三の道 効率と公正の新たな同盟
著者:アンソニー・ギデンス、日本経済新聞社、1999年10月発行
2006年4月1日読了

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