男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

書籍・雑誌

若きローズに請われる形で語られる、型破りな女性主人公、レディ・”ヴィタ”・シーモアの思い出話の数々。シーモア子爵とのパリでの出会いと日本旅行での事件、ヴェネツィアでのミス・シレーヌとの壮絶な出会い。レディ・ヴィクトリアシリーズ5作分の前日譚として充実した内容となっている。
・少女時代の”ヴィタ”の運命の地、パリ。19世紀中葉においては、女性だけの学校を作るのは容易ではなかったろう。人間の真と善と美(p45)。そして南北戦争期の白人と黒人の問題。理想は高ければより良いが、この世では現実に対処できる力の大切さが身に染みるエピソード。ミスタ・ディーンの過去も圧巻だ。
・横浜居留地での「伊作」篇は実に切ない。「死に際に会えなかったのは悲しいけれど、その分元気だったときの顔を覚えていられる」(p219)僕はこの言葉に救われた。この一行に出逢うだけでも、本書を手にした甲斐があった。
・時間を共にすること、その時間を永遠の記憶に留めること(p241)。尊い。そして残された者にはやることがあるのだ。

時代と世間の常識にとらわれない、ヴィクトリアと彼女のファミリーの物語は読んでいて心地が良い。続編として、ぜひインド藩王国の内紛話を読みたいな。

レディ・ヴィクトリア完全版1 セイレーンは翼を連ねて飛ぶ
著者:篠田真由美、アトリエサード・2023年1月発行

海を挟んでユーラシア大陸と対峙する同じ島国。似ているようで、実はわれわれ日本人と天と地ほども違う「イギリス人」の成り立ちを理解することから本書は始まる。黎明期から複数の文化を内包する、いわば先天的な帝国の属性を持ち、個々の市民も世界的視野(帝国意識)を有する稀有な国民性。帝国主義の時代を待たずとも、中世にはフランスの半分の領土を一時的に奪うなど、大陸との密接な関係を持ち、20世紀には自国領土に立ち寄るだけで世界一周が可能な「帝国航路(エンパイア・ルート)」を持つに至る。冒険心に由来するこの国のスケールの大きさには、実に興味を惹かれるのだ。
・ブリトン人=ケルト、ピクト、ローマ、アングロ=サクソンの侵略と定住。アーサー王伝説。やがて「アングロ人の土地」を意味するイングランドが形成され、王から権限をゆだねられた伯が支配する構図が出来上がる。デーンの侵略、そしてノルマン=コンクエスト(ノルマン人の征服)によって、独自のイギリス文化が育まれてゆく。
・中世はアンジュー帝国の段階から現われた「封臣たちの共有財産としてのイングランド、統治責任者としての国王」(上p67)という観念こそ、その後の揺れるイギリス史において一定の規範を示したのではないだろうか。1215年に成立したマグナ・カルタに代表される王と諸侯の力関係もしかり。
・百年戦争にバラ戦争。僕はポール・ドラロシュの大作『レディ・ジェイン・グレイの処刑』が好きだが、彼女の悲劇はここに端を発するのか。
・イングランド国教会(イギリス国教会)の起源が国王の恣意的な、それもごく個人的な事情によるものだったとは驚きだ(上p160)。以降、ピューリタン、カソリック信者との血まみれの争いが延々と続くことを思えば、実に罪深いと言えよう。
・通史だから仕方がないが、英国史上ただ一度の共和政期に、オリヴァ・クロムウェルが護国卿として成し遂げたことの記述が物足りない気がする。
・ロンドン大火では「ピューリタン極右、あるいはカトリック信者が放火した」等の流言が飛び交ったという。どこかで聞いたような話だ。
・ホイッグ、トーリーの芽生えは意外なところにあったんだな(上231)。
・ピューリタン革命と名誉革命を経た17世紀の後半、議会制民主主義の原型=常備軍を擁する立憲君主政体を確立し、フランスと並ぶ屈指の強国となった連合王国は、いよいよ世界帝国としての姿を見せ始める。
・17世紀になると、従来の土地ではなく金融・証券に基礎を置く証券ジェントルマンが登場する。やがて彼らが議会の多数派を占め、工業ではなく、投資で世界を支配する構図が出来上がってゆくわけか。国債を大量発行し、長期かつ大規模な戦争の遂行を可能とするシステムも姿を見せ始める(下p14)。そしてインド、北米、中米域での対仏戦争に勝利し、18世紀には商業のヘゲモンとして世界に君臨することとなる。
・ロバート・ウォルポール。なるほど、この若き「首相」のもとでインナー・キャビネットが形成され、その長が主導して政治を行う内閣制度が生まれたのだな(下p13)。
・支配階級であるジェントルマンの大半が平民階級に属し、ジェントルマン階層が「オープン・エリート」であったことが、硬直的な貴族支配のフランスとの決定的な違いであったとある(下p19)。そして中流の人々が重税にあえぎつつ、一方では熱烈に戦争を支持する構図が出来上がる。まるで日本の未来を垣間見るような気がする。
・19世紀のピール政権。グラッドストンを起用し、当時課題であった、財政赤字を解消しつつ、関税と消費税を引き下げるというウルトラCをやってのけたとある(下p75)。軍事力を背景に「自由貿易帝国主義」を途上国に押し付けたのか。そして20世紀になるとロイド=ジョージが画期的な「人民予算」を成立させる(下p119:いつの世にもスーパーマンは存在するのだな)。ここに、自由貿易を堅持しつつ、海軍費と社会政策費で膨張する帝国主義財政を、土地課税を中心とする直接税で賄う「社会帝国主義」政策路線が定着する。
・時は飛ぶ。第一次世界大戦が終結すると、伝統的輸出産業の衰退をしり目に、自動車・電機・化学などの新しい産業が活況を見せ、恐慌からの脱出路となった。これが実質賃金の伸び(15%)につながり、下層中流階級の生活を潤した。なにしろ普通の教師の年収の三分の一で自動車を購入できたのだから大したものだ。ファシズムの温床となりうる彼らの生活水準が上がったことが、やがてナチスを育むドイツとの決定的な差となったのだな(下p152)。
・1926年のバルフォア報告書こそ、現在に続く英連邦の基礎となるものであり、第二次世界大戦後のアメリカ、そして欧州連合との関係を難しくした一因でもある。そして国際的危機の深化が大戦争に発展し、帝国の解体の危機を招く恐れから、ヒットラーのドイツ、フランコのスペインへの宥和政策を遂行せざるを得なかったのか(下p155)。実に自国中心的だが、これが国際政治のリアルか。
・国内で民主主義を圧殺し、対外的にはあからさまな侵略行動に走るファシズム諸国(下p162)。日本を含むこれらの国への戦争には新しい「大義」が導入された。そこまでは良かったが、戦後のスエズへの無謀な侵略とみじめな撤退は、大英帝国の威信を揺るがした。帝国主義の時代は終わったことを認めようとしなかった代償は大きい。アフリカ諸国の相次ぐ独立に、東南アジアからのイギリス軍の撤退。帝国の紐帯は縮小した。当たらな時代を乗り切る拠り所は、すなわちEU加盟である。
・マーガレット・サッチャー。節約、努力、自助というヴィクトリア朝的精神を身にまとった「鉄の女」は、ニュー・ライト、それまでの”弱者救済”を後に回す新自由主義、市場原理と個人の自由を標榜した。不況が彼女を苦しめるが、フォークランド戦争がすべてを変貌させた。「誇りという泉」「イギリスを過去幾世代にもわたって燃やし続けた精神」を有権者と共有できたことが、サッチャー主義を加速させた。人頭税による躓きさえなければ……。
・若きトニー・ブレア率いる「ニュー・レイバー」の新しさは鮮烈に覚えている。労働組合との決別。「主要二大政党の政策面での収斂」(下p224)、保守党、労働党とも、その支持者は戸建ての家を所有する中産階級となったが、これは現代日本を含め、およそ議会制民主主義諸国の大勢が同じではないだろうか。

ブレグジット。イギリスのEUからの離脱は驚きをもって受け止められたが、彼の国の歴史を振り返れば、保守性と先進性を併せ持ち、民主主義の規範を有する最先進国のさらなる進化が予想される。

イギリス史(上)(下)
編者:川北稔、山川出版社・2020年4月発行
2023年3月12日読了
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チューダー様式とジャコビアン様式から、王政復古様式とアン女王様式、初期/中期ジョージ王朝様式、摂政様式、初期ヴィクトリア様式、後期ヴィクトリア様式およびエドワード七世様式、戦間期および戦後の様式と、1500年代から1960年代にかけてのインテリアの変遷を、200点以上のイラストとともに愉しめる一冊。
・1700年代の洗練された室内装飾と比べると、初期・中期ヴィクトリア時代のインテリアはゴチャゴチャしているとひと目でわかる。中流層の拡大と「モノを所有する喜び」が、このようなインテリアとなって顕現したのであろう。ナポレオン戦争の跡、英国の人々は大陸の模倣を止め、植民地のそれを含む独自の装飾美術を追求するに至ったことも興味深い(p46)。
・陶器のタイルで装飾されたヴィクトリアン・フロアスタイルは、やはり華やかで良い(p50)。
・中流階級の家で浴室が整備されるのは、後期ヴィクトリア時代~エドワード時代なのか。それまでは自室にお湯を運ばせていたのだから、メイドさんの苦労もわかろうというもの(p59)。
・上部にガラスを取り入れた正面玄関扉の登場は20世紀になってからか(p63)。
・1930年代の居間は、ラジオ受信機を含むアール・デコ様式と前世代のそれが混ざり合い、良い雰囲気を醸し出している(p69)。この延長線上に現代インテリアが連なるわけか。
カラーイラストが豊富なのは良し。個人的にはビクトリア様式~戦間期のインテリアに興味を惹かれた。

British Interior House Styles
An Easy Reference Guide
図説 英国のインテリア史
著者:Trevor Yorke、村上リコ(訳)、マール社・2016年2月発行
2023年1月2日読了
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図説 英国のインテリア史
トレヴァー・ヨーク
マール社
2016-02-20




令和五年の「読み初め」は初心に帰って、漱石の『倫敦塔』にした。漱石にしては珍しく「セピヤ色の水分を以て飽和したる空気の中にぼんやり立って眺めて」いると二十世紀の倫敦が消え去り「幻の如き過去の歴史を吾が脳裏に描き出して来る」作品である。ダンテの『神曲』「地獄篇」の詩編を借りて、永劫の呵責を求めて「此門」をくぐる心持と、冷然と二十世紀を軽蔑するように立つ倫敦塔の感じ方を得て、現実と幻想の狭間を旅する作中の「余」に我が身を重ね合わせてみよう。
・過去と云う怪しき物を蔽える戸張が自ずと裂けて龕中(がんちゅう)の幽光を二十世紀の上に反射する。そは倫敦塔であり、かつ漱石自身の1900年(明治33年10月に倫敦塔を訪れた。まだ19世紀だけど)に対する捉え方であろう。去り行く19世紀、自身の生きてきた時代へのnostalgiaがひしと感じられる。
・ポール・ドラロシュの大作『レディ・ジェイン・グレイの処刑』からインスピレーションを得て、首切り処刑人の前夜の言動を創作するくだりは実に見事だ。エドワード四世の二王子の”暗殺”の場面は借り物らしいが、雰囲気は感じられる。「黒き塔の影、堅き塔の壁、寒き塔の人」とさめざめと泣く彼らの母親=エリザベスの感情は紙面のこちら側にも伝わってくるようだ。
・ポーシャン塔(ビーチャム塔)に幽閉された政治犯の「生を欲する執着の魂魄」。いくつもの「徴」が、その無念さをあからさまに21世紀のわれわれに投げかけてくれる。死より辛いことを考えさせてくれる。
・そして「余」は二十世紀に戻り、その後2年の留学生活を経て、精力的に「作品」を世に問う意欲を見せるのである。

漱石作品の魅力の一つは、東西の美術作品とリンクしているところにある。現在はナショナル・ギャラリーでいつでも観られる『レディ・ジェイン・グレイの処刑』が、1973年までテート・ギャラリーに展示されていたとは知らなかった(注解による)。またロンドンへ見に行きたくなったぞ。

倫敦塔
漱石全集第二巻所収
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年1月発行
2023年1月1日読了
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倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫)
漱石, 夏目
新潮社
1952-07-14


「こいさん、頼むわ。」で始まる、阪神を舞台にした昭和十年代のたおやかで優雅な女の世界。それは日本のベルエポック期ではなかったか。
本書は船場で生まれ育った蒔岡家の四姉妹、なかでも三女雪子の見合い話と、四女妙子の自由奔放な活躍(?)を中心に、主に二女幸子(さちこ)の立ち位置から見ての、芦屋、神戸、大阪、京都、そして東京・渋谷にまたがって綴られる絵巻である。
・30歳を超えていまだに結婚相手の定まらない蒔岡雪子。大阪・船場の旧家に生を受け、幼少から何不自由なく、むしろ贅沢な生活を体験した彼女の意識下には、結婚とはすなわち家の格と財産の多寡であることが刷り込まれている。亡き母親に似た美貌を鼻にかけることなく、日々を静かに過ごす彼女の内面は、いや、刺激に満ちた出来事を渇望しているのではないだろうか。
・蒔岡妙子。当世きってのモダーン・ガールである彼女の行動に、幸子とその夫、貞之助(=谷崎潤一郎がモデル)は今日も振り回され、ため息を吐き、それでも愛してやまない末の妹なのである。近代都市大阪・神戸を闊歩するのみならず、日本舞踊をたしなみ、学生時代の趣味が高じて人形の制作販売で収入を上げる彼女の性質は、あきらかに三人の姉とは違っている。彼女は幼馴染の船場のボンボン、奥畑との駆け落ち事件を引き起こし世間を騒がせたのみならず、下巻でもある「事件」の渦中に身を置き、本作のひそやかなラストシーンにひと悶着を起こす。いや、それでも憎めない女性なのだ。「冒険的生活」(下巻p244)好いじゃないか!
・かつて栄華を誇った蒔岡家は芸能に没頭した父の代に没落し、店は他人の所有となった。それでも芦屋の高級住宅地に大きな家を構え、複数人の女中を雇い、上流階級の暮らしを満喫する姉妹たち。日中戦争が激化しても毎年恒例の春の京都旅行は欠かさず、大阪の三越百貨店に足しげく通い、オリエンタル・ホテルのグリル・ルームで美食を満喫し、隣人のヨーロッパ人との交流は華やかだ。そんな最中に発生する大水害は、一家の生活にも影響を及ぼす。大水害がきっかけとなり妙子の新しい自由恋愛が始まるが、「身分違いの恋愛」はかつての家の栄華を忘れられない幸子にとっては許容されない話である。その点、会計事務所に勤める貞之助のほうが「現実的」であることがわかる。
・阪神大水害の渦中、溺死を覚悟した妙子は、必死に自分を救おうとする板倉の姿を目撃する。このくだりが僕は好きだ(中巻p95~)。
・一家の多彩な国際交流も本作の魅力の一つである。「露西亜で生まれて、上海で育って、日本へ流れて来た思うたら、今度は独逸から英吉利へ渡る」(中巻p299)白系ロシア人のバツイチ女性のカタリナはアクティブだし、隣家のシュトルツ夫人の娘「ルミーさん」は片言の日本語で幸子の娘、悦子と遊ぶ幼いドイツ人だ。日中戦争が激化する中、彼らとの別離は印象的だ。
・蛍狩り。「僅かに残る明るさから刻々と墨一色の暗さに移る微妙な時」「真の闇になる寸刻前、落ち凹んだ川面から濃い暗黒が這い上がって来つつありながら……けはいが視界に感じられる時に……」(下巻p34)。谷崎の筆が冴えわたる、とても美麗で興味深い場面だ。

江戸の名残りである日本の伝統美と阪神間モダニズムの見事な融合は、絢爛豪華な絵巻物を眺めているよう。
本作の時代設定は昭和11年から16年、すなわち日中戦争の真っただ中にあり、太平洋戦争の直前でもある。豪奢な家がゆっくりと滅んでゆくさまを描きながら、谷崎は同時に古き良き日本が滅んでゆくさまを示唆したのかもしれない。

細雪(上)(中)(下)
著者:谷崎潤一郎、新潮社・1955年10月発行
2022年11月20日読了
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細雪(上)(新潮文庫)
谷崎潤一郎
新潮社
2013-08-09





本書の登場人物は1860年代に生を受け、世紀末に青年期、壮年期を送った著名人である。彼らの共通点は、よく言えばドラマティックな、その実、波瀾万丈の人生を流転してきたことに尽きる。
・ラフカディオ・ハーン。日本に定住・帰化し小泉八雲と名乗った彼については、恥ずかしながら「妖怪の話に詳しい」くらいの認識であった。大英帝国陸軍軍医とエーゲ海の島の娘の子として生まれ、祖国アイルランドでは厚遇されず両親と別れ、幼年期に失明し、ために残る片目も極度の近視となり、叔母に敬遠され……窮状の少年期。独りアメリカへ移民してのみじめな新生活から、どんな苦難を乗り越えたのだろう。やがてジャーナリストとして頭角を現し、黒人混血女性とのロマンスに至る。しかし人種差別に耐えかねて女性を捨て、ニューオーリンズで記者となり……。もともと『古事記』を読むなど東洋に感心を抱き日本に惹かれていた彼は、折よく記者としてニューヨークから日本へ向かうこととなった。横浜からの仏教への関心、松江での教師生活、小泉セツとの結婚、熊本の第五高等学校を経て神戸クロニクルの論説記者となり、東京帝国大学の英語講師となる。中心を外れて楕円の周縁に生きる「はずれもの」の人生。「失われた過去を現前させることが、夢であり、アイデンティティの発見」(p19)であった彼の人生を知り、深い思いにとらわれた。
・アンリ=マリー=レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファの人生も凄まじい。アルビの名門貴族の家に後継ぎとして不自由のない幼年期を「城」で過ごすも、14,15歳で相次いで大腿部を骨折し、両足の発育は絶望的となる。身長152センチで杖を頼りに歩く彼は、やがて嫡男の地位をはく奪され、芸術の世界に身を投じることとなる。「人生が逃げてゆく」(p51)絶望的な意志で絵画にしがみつき、情熱を傾け、才能を開花させ、ゴッホ、ドガと出会い、あの名作『女曲馬師』を世に送り出す。ジャポニスムの特徴を自らのものにして永遠に昇華させた彼の最大の業績はポスターを現代芸術に引き上げたことである(p72)。あの最高の作品、そう、いま見ても実に斬新な構図と色彩の『ムーラン・ルージュ』が僕は好きだ。
・セルゲイ・ヴィッテ。帝政ロシアはカフカースに生まれたこの人物、近代化に遅れたロシアが堅固な君主制を維持しつつ先進国に追いつくためには「国家が経済活動を引っ張り、上からの工業化を速いテンポで進める以外にない」との信念を持ち、鉄道官吏、鉄道会社員として頭角を現し、アレクサンドル三世に目を付けられ、40歳にしていきなり鉄道局長に抜擢された。シベリア鉄道の構想こそ彼のものであり、交通大臣、そしてシベリア委員会の実質的なリーダーに就任する。ヴィッテ体制の確立は、富国強兵策のそれであり、政府主導の軍事的性格の濃い工業化の強行が行われ、農民・民衆は工業化の経費は負担させられるも、その恩恵はきわめて少ない状態に置かれた(p138)。現在、そして今後の日本もこうなりそうな予感(政府高級官僚の誰が仕掛けているのか知らないが)。
・ボルドー大学教授にしてフランス・デュルケーム学派の総帥、エミール・デュルケームの半生も興味深い。ドイツに占領されるロレーヌ地方でユダヤ教の家庭に生まれ、高等師範学校(入学定員50名!)への入学を果たし「真の社会学は歴史学である」の言葉を座右の銘に「的確で創造的な、非常に強靭な精神」(p153)を持って勉学に励み、哲学教師の職に就く。そして勃発する陸軍大臣ブーランジェのクーデター未遂事件。「熱しやすく冷めやすい大衆」「偶像を利用する権力者」を背景にしたいつの時代にも起こりうる危機だが、最後は愛人の病死を追って自殺するブーランジェに対しても、自殺のケース・スタディとして捉える。「個人の自律性が社会的連帯の基礎」(p165)となり、社会的紐帯の喪失がこのような事態を生むのだな。「人びとに生への意欲を与えてくれる集団環境」は国家、宗教集団、家族の他に、諸個人の熱い連帯が期待される新しい「職業集団」である、か。なるほど(p170)。そして近代日本の軍隊は「まさに未開人の遺物であった」(p168)は、わかる気がする。
・ドレフュス事件を知ったエミール・ゾラの「わたしは糾弾する!」論説は、フランス中を論争に巻き込んだ。2年間で三つの内閣が倒れ、七人の陸軍大臣が更迭されるという激震。軍首脳部の反ユダヤ主義の偏見と予断、そして「軍の名誉と権威」が、世紀の冤罪事件、恥ずべき醜態を後世にまで伝えることとなったのだ。その中では、友人の名誉より「真理を優先」(p215)したある弁護士の勇気は称賛されるべきだろう。まったくひどい話だが、安倍政権下でも同じような事件があり、十分に検証されないまま、もみ消されてしまったような……。弱腰マスコミには期待できないのだな。
・南方熊楠。彼の「自分の眼で見て、耳で聞いて確かめる。本は自分で読んで考える」(p249)姿勢にはまったく同感だが、それにしてもずば抜けた才能の持ち主。和漢三才図会や諸国名所図会、太平記を12歳までに写本し、中学を経て東大予備門(第一高等学校:漱石と同期入学!)に入学するも講義をさぼって読書に熱中し、そして中退。単身渡米し複数の大学、専門学校を中退し、最終学歴は「中学卒」(当時の)ときた。ロンドンでは大英博物館に雇われ、そしてあのネイチャー誌に「日本人・中卒」で論文を発表するのである。タイムズで論評されて一躍時の人となるも、博物館で館員を殴ってお払い箱。やむなく帰国するに至る。なんともドラマティックな。

日清戦争に勝利した日本。「軍国」と「愛国」の熱気に酔い、朝鮮・清国蔑視の感情をつのらせる国民大衆の世論を背景に、日本政府は過酷な講和条件を清国に突きつける。陸軍や国粋主義者の中には北京侵攻論も生まれたとある(p142)。これがロシア、フランス、ドイツの「三国干渉」を生み、世紀末の欧州に「黄禍論」が蔓延した背景である。それは亜細亜への膨張の野望を隠そうともしない日本帝国へのあからさまな悪意ある眼差しであり、それを西洋諸国の大衆が支持したことを、われわれは省みる必要がある。

かさなる軍事的敗北と、帝国のかつての栄光を取り戻すのが不可能と知った時、ハプスブルグ帝国の文化的エリートたちは外征ではなく、人間の内面世界を発見し征服することに精神を集中し始めた(p191)。それが世紀末ヴィーンの文化の爛熟を生むのであるが、だがしかし、ひるがえって現在の日本では、かつてのジャパン・アズ・ナンバーワンはどこへやら、中国のG2への台頭を横目に、GDP世界27位への転落から「あきらめムード」が蔓延し、テレビは馬鹿番組のオンパレード。教養のかけらもそこにはなく、享楽の毎日を送る途上国に陥ってしまった。もはや「あなた任せの民主主義」すら放棄し、閉塞感から抜け出す努力すらせず、どこへ向かうのやら。
もはや、ファシズムへ向かう未来しか見えてこないが、せめてブレーキをかけなければ。

世紀末の文化史 19世紀の暮れ方
著者:大江一道、山川出版社・1994年2月発行
2022年12月30日読了
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世紀末の文化史―19世紀の暮れかた
大江 一道
山川出版社
1994-03-01





1920年代から30年代にかけて黄金のときを迎えた船舶旅行。優れたクルーに豪華な設備に楽しみの食事、そして出会い。現代の航空旅行では味わいがたい歓びがそこにあった。本書は、明治期から戦前昭和にかけての大西洋航路、太平洋航路、欧州航路に就航した「優秀客船」のサービスと、旅人たちと船員の人間模様を中心に、現代の目線からオーシャンライナーの魅力を「再発見」する一冊となっている。
・世界最大クイーン・メリー号のキュナード・ライン、かのタイタニック号を就航させたホワイト・スター・ライン、プロイセン号(漱石洋行時に乗船)とオイローパ号の北ドイツ・ロイド社、そしてハンブルグ・アメリカ・ライン。四強の支配する大西洋航路を年間100万人もの人びとと大量の貨物が行き来し、港には歓送迎の人があふれ、カラフルな紙テープが舞い下りる時代光景は、とてもわくわくする。
・チップ問題は明治の昔から日本人の悩みの種で、つい多額を渡してしまうのも昔っからだったんだな(p54)。その見栄っ張りが周りに迷惑をかけるということも知らずに。
・日本人は容姿を整えることをおしゃれだとはき違えている。それは「他人に不愉快を与えない」ための礼儀であり、船旅の大原則である(p59)。
・「船に乗りて心地良きは。きのふ亜細亜のそらを離れて。今は阿弗利加の地に臨み。あしたは巴里の花を詠めて。ゆふべに倫敦の月にうそぶき」(p69)。そう、日本にはヨーロッパを目指す「欧州航路」があり、代表するは日本郵船であり、大阪商船であった。冷静に考えるとすごいことだ。
・当時は豪華客船ではなく「優秀客船」と呼んでいたんだな。「巨大で高速で、近代文明の精粋を凝らした、豪華なる旅客設備をなし、しかも、荘重と迫力と軽快を巧みに織り交ぜて具現する外貌を持ったもの。近代資本主義と科学、文化値芸術の結晶」(p94)
・太平洋航路は、大西洋航路に比べて規模は小さい(年間8万人)が、日本にはなじみの深いものである。最大の船はカナダ太平洋汽船のエンプレス・オブ・ジャンパン号だが、日本郵船も秩父丸、龍田丸、浅間丸を投入し、優秀客船の豪華さで競ったとある(p106)。
・1940年に就航した新田丸は、世界初の客室冷房装置を装備していたとある。何より、その外貌の美しさは他船を圧倒するのではないだろうか(p147)。

スエズ運河を渡る歓び。稚内とサハリンの大伯(コルサコフ)の連絡船。上海航路。そして世界一周クルーズ船。規模は違えど、当時の船旅の楽しみがが、本書の紙面からあふれるばかり。
洋行。戦前昭和まで憧れの響きをもっていたこの言葉も、ジャンボジェット機の登場により死語となって久しい。だが船旅の楽しさは、その洋上にこそあることを、僕はウシュアイア発着の南極探検船『Ocean Adventurer号』に乗船して身をもって知った。わずか11日間の短い旅だったが、これくらいがちょうど良かったと思う。できれば再び、外洋での船旅を体験したいと切に願う。
神戸~上海航路(運行されているのがうれしい)への乗船を考えてみようかな。

船旅の文化史
著者:富田昭次、青弓社・2022年4月発行
2022年12月24日読了
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船旅の文化誌
富田昭次
青弓社
2022-04-29





漱石夏目金之助が文部省命により渡英し、いやおうにも触れざるを得なかった泰西美術の数々。それらが幼いころから培ってきた漢文の素養と東洋美術興味と邂逅し、彼独自の芸術観を涵養したことが、後世に残る文豪の作品世界を築き上げたのだ。
本書は、美術の観点から漱石その人と作品に焦点を当て、西洋世紀末芸術、特にラファエル前派兄弟団の作品が留学時期と帰国後の漱石に及ぼした影響、日本の近代文学と美術、漱石作品の装幀、『倫敦塔』『猫』『三四郎』に顕れる西洋美術、『草枕』での転機と、やがて晩年の「東洋思想への回帰」に至るまでを追う一冊となっている。
・ロンドンのナショナル・ギャラリーで、あるいは書籍の中の「一枚の絵画を見ても、ただ鑑賞するだけではなく、自己の思想と対決し、あるいは文学作品の中に人間のエートスとして復活させることを忘れなかった」(p23)。漱石の非凡さがわかるな。
・『倫敦塔』。ポール・ドラロシュの巨大な絵画『レディ・ジェイン・グレイの処刑』に漱石は感銘を受け、初期の傑作に結実したとのことだが、多くの観客がナショナル・ギャラリーの一角で、その歩む足を止めて見入ったことだろう。僕もその一人だ。凄まじいまでのオーラを放つこの絵画にはじめて対峙した瞬間の衝撃。心を奪う芸術作品というものは、たしかに存在するのだ。
・『こころ』の装幀は漱石の精神活動の内面を象徴して、作品自体と美術が巧みに調和していることを見逃してはならない(p140)。橋口五葉らの協力もあり、明治の世にあって文字と視覚芸術の交渉を成功させた漱石の実績は注目に値するな。
・『草枕』も好きな作品の一つだ。湯煙にゆらゆらと霞む那美さんの裸体の漱石一流の表現は、日本的な美しさと西洋の美しさが微妙に異なることを示してもくれる。「桂の都を逃れた月界の嫦娥」(p213)。「那美さんの裸体の美は西洋画と対極をなす夢みるような水彩画の春宵の幻影でさえあった」(p214)
・<美>は理解されるものでもなく、感じ取るもの。自分の心の内部にあるセンチメントが美をつくるのである(p217)。『草枕』の意図している<美>の世界が時間と空間を共有し、いやその両者を超越したところの漱石は存在したいと願う(p223)。深いな。
・「徹頭徹尾自己と終始し得ない芸術は自己に撮って空虚な芸術」(p329)とは、その通りだと思う。
・漱石死の直前の揮毫『則天去私』。<自己本位>という西洋的知恵による西洋思想の超克(p323)。それは<自己本位>を放擲したところから生まれた東洋思想への回帰であった(p349)、か。

西洋の藝術と邂逅し、悩み、考え抜き、最後は東洋思想の境地に帰った漱石。「門を叩け、さらば開かれん、ではなく、門を叩いて自分で進んでゆくのだ」(p267)。彼のこの後ろ姿を追い、自分もやがてこの境地に達したいと思う。

漱石と世紀末芸術
著者:佐渡谷重信、美術公論社・1982年2月発行
2022年12月17日読了
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漱石と世紀末芸術
佐渡谷 重信
美術公論社
1982-02T




夢と現実の狭間でモダニズムと日本趣味が邂逅する。そう、谷崎潤一郎の『細雪』は戦前昭和期を舞台にした現代日本文学の大傑作である。本書は、現代社会の視点から『細雪』の書かれた時代背景、登場人物の立ち位置、作品に込められた谷崎の思惑を読み解き、やがては散ってゆくであろう「花園」の美しさを、大正・昭和初期の文学評論の大御所が熱く解説する一冊となっている。
・「『細雪』は、なにごとにも積極的な妙子と、受け身な雪子という対照的な二人の姉妹をめぐる物語で、その二人をバランスよくうまく支えているのがいちばん分別のある幸子ということになる」(p111)と、幸子、雪子、妙子の関係をズバリ言い当ててくれる。本作の面白さはここにある。
・大阪・船場、神戸・芦屋、東京・渋谷と物語の筋と場所を追いながら、著者一流の時代解説は非常に興味深く、識ることの楽しみを覚えることができた。大阪の資生堂パーラー(p39)、神戸から始まった日本の洋服とゴルフ(p78,82)、ユーハイムとフロインド・リープ(p79,153)、モロゾフ(p148)、トア・ロードの白系ロシア人音楽学校と戦前のピアノ・ブーム(p75)、中山岩太の藝術写真と芦屋カメラクラブ(p134)、ツエッペリン伯号船長のライカが日本人に与えた衝撃(p135)、日本初の美容院(p199)、昭和十年ごろからのパーマネント・ウェーブの流行(p203)。そして未曽有の被害をもたらした神戸の大水害は、中央当局の意を汲み取ったマスコミ各社が報道を控えたとある(p222)。ひどい話だ。
・奥畑の丁稚奉公を経てアメリカで修業し写真館を開業した、妙子の交際相手である板倉を、幸子と雪子が「ごく自然な蔑視」(p139)の目で語る姿は正直辛い。「あたしかて、板倉みたいなもん弟にもつのんは叶わんわ」。この時代の上流階級からしたら当然なのだろうが、それでも板倉に同情せざるを得ないな。
・なるほど、著者は妙子推しなんだな。僕もそうだ。彼女のアクティブな行動力とタフな精神力を見習いたいと思う。

雅の京都や芦屋から、軍都東京へと向かう雪子。彼女が下痢に悩まされる『細雪』らしからぬラストシーンは、やがて迎える戦争の時代へと突入する不安への予感か。「遠くから戦争という雷鳴が聴こえてくる。列車はその中へと走ってゆく」(p194)
挽歌の美しさ(p18)。『細雪』の時代設定は昭和11年から16年、すなわち日中戦争の真っただ中にあり、太平洋戦争の直前でもある。豪奢な家がゆっくりと滅んでゆくさま(p9)を描きながら、谷崎は同時に古き良き日本が滅んでゆくさまを示唆したのかもしれない。
静かな余韻。
「いずれは散ってしまうと覚悟はしていても、それでもまだ、あの時代、かろうじて美しい花園があった」(p292)。

『細雪』とその時代
著者:川本三郎、中央公論新社・2020年12月発行
2022年12月1日読了
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『細雪』とその時代 (単行本)
川本 三郎
中央公論新社
2020-12-08


帝国主義を理解すること、それは総合的な視座から世界の近現代史を知ることである。本書は、ヨーロッパならびに周辺から見ての帝国主義を解説する数多の論説を取り上げ、その現代的意味を模索する一冊となっている。
・最初は「ヨーロッパ文化の伝播」を目指した人道主義が、やがて直接統治による博愛的帝国主義に変遷する。文化的な横柄さ。「実力のみが、他の人種によって容易に理解される唯一の言語」(p40)であることが理解されるようになると、非ヨーロッパ世界の利害を従属させたり軽視する意識が白人の間に育まれ、それが帝国主義の土壌となる。
・ヨーロッパン内での抗争に敗北、あるいは劣勢的立場に追いやられた国家と国民は、その埋め合わせとして、ヨーロッパ外への膨張を目指すようになる。イギリス海軍に敵意を持ち、さらプロイセンに敗れた1870年以降のフランスがそうであり、かつての帝国を夢見るスペイン、ポルトガルなども同様である。新興国ドイツも黙ってはいない。そして民衆文学や青少年文学による帝国主義的思想の、特にイギリスにおける拡大。こうして地球規模での帝国主義的競争に拍車がかかるのである。

本書、あるいはホブソンの議論によれば「政府と大衆の意見への不当で非民主主義的な影響力の行使をとおして、少数のビジネス・エリートと受益団体が自分たち自身の利己的な目的のために」本来の資本主義を悪用して変質させた状態も帝国主義の一形態といえる(p17)。ならば現在の日本政府の姿は何なのか。民主主義的形態ならぬ、国民に向けた明らかな帝国主義的政体に見えてくる? いや、気のせいか。

EUROPEAN IMPERIALISM, 1860-1914
帝国主義
著者:Andrew Porter、福井憲彦(訳)、岩波書店・2006年3月発行
2022年9月12日読了
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帝国主義 (ヨーロッパ史入門)
アンドリュー ポーター
岩波書店
2006-03-28




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