男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

書籍・雑誌

20世紀を代表するモダニズム文学。1904年6月16日のダブリンにおける3人の人物を中心に、あまたの人物の生々しいの思考と行動が描かれる。自由気ままなようでいて、その実、計算しつくされた物語構成には脱帽だ。
しかし僕もそうだが、イギリス史とアイルランド史、それにギリシア文学に詳しくないと本作の理解が進まないという難解で困った作品でもある。だが全ページにあふれ出る言葉のマジックは、読んでいて心地良いものがある。また、ボーア戦争(多くのダブリン市民が反イギリスの旗幟を鮮明にした)の影を引きずっているのが興味深い。
・若き文学志望の教員スティーブン・ディーダラス(著者の生き写し)、それに新聞社の営業マンでユダヤ人のブルーム氏が近代化されたダブリンを歩き、論戦を交わし、飲んで食して女を見て、出産に立ち会い、娼婦街で幻想に溺れ、深夜に自宅へ戻る。
・9章『スキュレとカリュブディス』でシェイクスピアの『ハムレット』論を熱く語るスティーブンが良い感じ。プラトンとアリストテレスを対決させる場面も白熱している。
・若い女性視点の13章『ナウシカア』は小説文体で読みやすく、自分をとてつもなく美化した内容もとてもおもしろい。海岸で3人の若い女性をじっとみつめる喪服の中年男性(ブルーム氏)は変人にしか見えないし、「石鹸」には笑わせてもらった(Ⅱ、13章p297)。
・14章は原文の多用な文体に呼応して、祝詞、古事記、源氏物語、平家物語、井原西鶴、キリシタン文学、夏目漱石、菊池寛、谷崎潤一郎の文体をもって翻訳されている。なかなか骨が折れるが、興味深い読書を体験できた。
・16章は回りくどい文体だが、実は慣れ親しんだ形式でもあり、17章は一問一答形式。これらこそ、本作の面白さが収れんされた章だと思う。
・「水の属性」(17章、Ⅲp324)、「月と女性との間の特別な親近性」(17章、Ⅲp384)には圧倒された。
・「歴史というのは……ぼくがなんとか目を覚ましたいと思っている悪夢なんです」(2章、Ⅰp87)「男を倒すための毒の花束」(5章、Ⅰp196)「言葉と身振りの優雅な気品に、血が説き伏せられたのだ」(Ⅰ、7章p341)「重量でも大きさでも、闇よりずっと黒いものなんだ」(8章、Ⅰp438)「芸術が明かさねばならないのは理念だ。形のない精神の本質だ。芸術作品の最高の問題は……」(Ⅰp450)「大道を通る人は少ない。だが、大都に通じるのはその道だ」(9章、Ⅰp474)「人生、愛、ささやかな自分の世界をめぐる航海」(13章、Ⅱp300)
・「悪魔と深い海」(9章、Ⅰp456)って、そういう意味なんだな。
・18章は深夜2時30分、ベッド上のブルーム夫人の生々しい思考が、読点も句点もなしの豪雨的文章となって読者に振りかかる。これを文学として定義したのも本作の凄みだ。
・最終巻の解説が興味深い。なるほど、ヨーロッパに対するアイルランドとにおhンの立ち位置は似ているな。

17章最後の「・」の解釈によって、なるほど、物語は異なる姿を見せるのか。
正直、読んでいて疲れる章もあった(15章)。だが「自分自身に出会うのを避けて世界の果てまで行った者」(15章、Ⅱp568)には考えさせられた。「お前は、望み、欲し、待つだけで何もしない連中とは違う」(14章、Ⅱp393)。そうだ、少しは魅力的に生きる努力をしようと思う。

Ulisses
ユリシーズ(全3巻)
著者:James Joyce、丸谷才一・永川玲二・高松雄一(訳)、集英社・1996年6月発行
2021年1月23日読了
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1900~1902年の風景写真、漱石にかかわった人物の写真(!)に肖像画、デパートの製品カタログ、当時の建築物と社会風俗の品々など、ワット氏の収集した膨大な資料に小解説が添えられ、稲垣足穂氏、恒松郁夫氏の協力もあり、漱石留学時代のロンドンを追体験できる興味深い一冊となっている。
・ちょうど漱石の時代に、紳士の服装がシルクハット+フロックコートからソフト帽+スーツに変わり、乗合馬車を駆逐する勢いで自動車が広まりつつあったのか。そして1901年委テラコッタの外観を持つハロッズ百貨店が新装開店している。
・トラファルガー広場の噴水の彫刻が、現在のものと違っている。1900年当時はこんなだったのだな。
・200年を超える民主主義によって培われた公衆道徳の良さに漱石は驚いている。明治のことを想えばわかるような気がする。
・『味の素』で有名な池田菊苗氏とのロンドンでの邂逅が、ふさぎかけていた漱石の精神を活発に働かせたことがわかる。これを機会に漱石は系統だった、重みのある読書・研究にいそしむようになる。
交通機関を別として。ロンドンの街並みは100年前とほとんど変わらないという。ならば現地へ出向いて漱石の足跡を追体験して愉しむも良し、新たな発見に喜ぶも良し、だな。

漱石のロンドン風景
著者:出口保夫、アンドリュー・ワット、研究社出版・1985年8月発行
2020年12月29日読了
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漱石のロンドン風景 (中公文庫)
ワット,アンドリュー
中央公論社
1995-05T


第一次世界大戦の災厄を二度と起こさないために、いまできることは何か。人類史上初の大規模な軍縮、ワシントン会議に続く、ロンドン海軍軍縮会議が開催されようとしていた。若槻礼次郎を首席全権に就任させるべく奔走し、自らも1930年1月の会議に臨んだ外務省情報部長、雑賀潤。本作は、彼の目を通して米英全権とのタフな交渉、海軍軍令部との軋轢と駆け引き、そして枢密院による反民主政府的な批准審議と、何物にも屈しない浜口雄幸内閣の姿を綴る一級の長編小説であり、当時のロンドンの描写とあいまって、とても興味深く読むことができた。
ロンドンのバーの地下蔵で邂逅する謎の女性、春子の存在も、ミステリーとしての本作のおもしろさを盛り上げてくれた。
・外交官はタフでなければ務まらない。交渉相手国に対しても、国内の右翼と軍人に対しても。条約の締結並びに批准に強硬に反対し、政府に立ちはだかるは、日本海海戦の英雄にして「軍神」、東郷平八郎である。仕事とはいえ、なんとも難儀な。西洋事情を熟知する公家政治家にして最後の元老である西園寺公望が味方に付いてくれたことは幸運だったのかも。
・山本五十六(大佐→少将に昇進)が雑賀の知古であり、随員として参加しているとは知らなかった。
・「論旨明瞭にして有言実行」(p276)。こうありたいものだ。
・当時米英に対して惹起された「国力を度外視した、きわめて感情的な強硬論」(p29)に注意しなければならないのは、現在も変わらない。10年単位で滑り落ちてゆく日本の国力を想えば、対中強硬論など愚の骨頂でしかない。
・大正デモクラシーの華、立憲政党による議会政治はあえなく終焉を迎えることとなる……。それでも外交官・雑賀は、いまや日本を敵対視する米英とのタフな交渉に臨むのだ。

日米英がそれぞれの国内から強い批判を浴びながら、画期的なロンドン軍縮条約を締結・批准した政府・外交当局の華々しい成果に対し、陸軍・海軍は苦い顔で何を悟ったのだろう。ひとり関東軍は柳条湖で浅はかな謀略を実行に移し、大日本帝国中央政府の意向を無視して満州で戦線を拡大した。これを黙認した陸軍は、やがて中国本国への侵略を開始する。海軍でも条約締結に協力した者は排斥され、山本五十六ら強硬な「艦隊派」が権力を掌握し……。
軽挙妄動。日本軍部の独走さえなければアメリカ、イギリスとの関係は違ったものになっていたでろうし、大日本帝国もおそらくは存続していたであろうに。本書を読むと、ABCD包囲網、そしてみじめな敗戦と国民の悲惨は、頑なな日本の軍部の独走が引き起こしたものだとはっきりわかる。
「男子の本懐だ」(p551)。浜口雄幸の生き方には共感させられること幾たび。これだけでも本作を読み終えた収穫といえる。

LONDON RAGING WAVES
ロンドン狂瀾
著者:中路啓太、光文社・2016年1月発行
2020年12月26日読了
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ロンドン狂瀾(上) (光文社文庫)
中路 啓太
光文社
2018-04-27

ロンドン狂瀾(下) (光文社文庫)
中路 啓太
光文社
2018-04-27


ニューヨークの山中商会で実績を積み、渋沢栄一と大倉喜八郎によって日本人初の帝国ホテル支配人を任された林愛作、スキャンダルにまみれながらも、林によって米国から招へいされたフランク・ロイド・ライト、林に案内されてホテルを見学し、やがてライトの助手となる遠藤新(あらた)、林タカ、遠藤都、名もなき職人たち。建築に丸4年、構想から実に12年。世界に誇れる"最新の迎賓館"を実現するための男女の熱い思いが交錯し、衝突し、溶解する。地位を失った者、家族を失った者、完成を待つことなく日本を去った者、それぞれの人生を手繰り寄せながら、物語は綴られる。
・日本人の目には西洋的に映り、西洋人の目には日本的に感じられる、世界のどこにもないホテル(p155)。それがシカゴ万国博覧会でロイドが目にした数枚の日本家屋の絵画に起因しているとは、誰が知るだろう。
・美術品の価値。英語の重要さ(p30,48)。これらは昔も現代も変わらないのだな。
・イギリス皇太子訪日時の火災に、ライト館オープン当日の関東大震災。それらを乗り越えて「帝国ホテルに泊まるために日本を訪れるというブーム」(p308)が引き起こされたことは、生命を賭した関係者にとって最大の弔いとなったことだろう。

「覚悟」と「徹底」。ライト館の建築を言葉で表現すると、こう言えるだろうか。いまや明治村の顔ともなった帝国ホテル旧本館・中央玄関部。フランク・ロイド・ライトの精神が宿った傑作だが、当時の経営者の評判は意想外に低かったのだと本書で知った。情熱の前に立ちはだかる納期とコスト、そして世相の壁。否、それらを曲がりなりにも乗り越えたからこそ「仕事」が永遠に残されたのだといえよう。

The Imperial Hotel Building Story
帝国ホテル建築物語
著者:植松三十里、PHP研究所・2019年4月発行
2020年12月14日読了
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帝国ホテル建築物語
植松三十里
PHP研究所
2019-04-10

しきみさんの挿画が素晴らしく、谷崎の可憐な文章を読みたいのにページを繰る手が動かない。こんな理由でなかなか読書が進まないのは初めてだ。
・磊々(らいらい)、磑多(がいがい)、潺湲(せんかん)などの形容詞を多用し、場の雰囲気をさらに盛り上げる谷崎の手腕と幻想的なイラスト。その二つを見事に融合させる巧みな編集が、本書の魅力でもある。
・しきみさんのイラスト! たとえばp23の「彼の女」なんて、その魅力に吸い込まれそうだし、魔術師の「男性的の高雅と智慧と活発」「女性的の柔媚と繊細」(p60)があまねく表象された造形なんて惚れ惚れさせられる。実に良い。
・「人間界の女王になるより、魔の王国の奴隷」になる方が、はるかに幸福なこと(p65)。良いぞ。そして「私」と「彼の女」の選択は……。

圧倒的な筆力に魅惑的な画力のコラボレーションは、実に103年の時を経て作品に新しい色彩をまとわせた。存分に読書の興奮を味わえた一冊となった。

乙女の本棚
魔術師
著者:谷崎潤一郎、しきみ、立東舎・2020年12月発行
2020年12月13日読了
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魔術師 (立東舎 乙女の本棚)
しきみ
立東舎
2020-12-10


20世紀が生んだ人類史上稀にみる巨人、大英帝国そのものを体現するはウィンストン・チャーチルだ。本書は、幼き頃から彼に心酔した一政治家が「チャーチルの生涯」と、その「チャーチル的なる人間の資質」を論ずる一冊となっている。
確かに、1940年5月のイギリス政治の場に彼がいなければ、歴史は著しく変わっていただろう。ファシズムが欧州を席巻し、こんにちのEUや自由市場は存在せず、アメリカは「帝国」として我が道をゆき、大日本帝国はもっと悲惨な形で瓦解していたかもしれない。
・1940年5月の戦時特別内閣。ドイツ宥和主義者の波の中で、筆頭大臣チャーチル一人が気炎を吐く。ヒトラーとの和解はイギリスの伝統、すなわち自由と民主主義を破壊に導くと。若き時分から鍛錬した演説と人心掌握の才能が、拡大内閣のメンバーに感激をもたらし、あの名演説「血、労力、涙と汗」から「バトル・オブ・ブリテン」へとつながるのか。それにしても「一人の決断」の重みよ。ドイツ空軍の爆撃にさらされた無辜のロンドン市民の死者、実に3万人。それでも彼は闘いを選んだのだ。
・第一次世界大戦では自ら塹壕に身を潜ませ、兵士とともに銃弾に身をさらす。政治の場に戻ってからは人類史上初の戦闘装甲車(機密漏れを防ぐため船上への給水車=ウォーター・タンクと命名された。それが「タンク」となって今に残る)のコンセプトを発明して開発を指揮し、航空戦闘機と空軍を創設した。それがチャーチルだったとは!
・名門貴族の家柄に生を受けるも、閣僚だった父親の愛情に恵まれず、大学へも進学できず陸軍士官となり、戦場ジャーナリズムの分野で才能を発揮した若き日々。政治家に転身してはロイド・ジョージとともに、こんにちの社会保障制度の基礎を提案、いちはやく実現した実績を持つ。30台で入閣。悪名高いガリポリ戦役では海相として責任を取ることとなる。華々しい半生と数々の失敗を携え、1940年5月の「人生最高の瞬間」、首相への就任を迎えるのだ。
・彼が帝国主義者であったことは誰でも知っている。だが(ガンジーへの悪口は別として)「開明的な帝国主義」とでも呼ぼうか、本書によるとイギリス人としての彼の使命感が伝わってくる。そこがナイジェリアで暴君として残虐行為を働いたルガード夫妻などと異なる彼の資質でもある。
・「ほかの多くが見て見ぬふりをしていた邪悪さ」(p46)に真正面から向き合う勇気。「自分自身と自分の理想に賭け、大博打を打つ意志」(p82)、「KBO」(Keep Buggering On 死に物狂いでやれ p269)、そして「必要なことは何でもやる」(p332)。これらがチャーチルの原動力なのだな。
・その生涯でシェイクスピアとディケンズを合わせたよりも長い文章を残し、晩年にはノーベル文学賞を受賞した。その文才はあのミズーリ州フルトンの「鉄のカーテン」演説にも発揮された。驚いたことにスピーチライターを起用せず、鉄道の車内で何度も推敲した手書き原稿を「記憶」し、その演説で聴衆に感動をもたらしたという。今度『第二次世界大戦』全4冊をを読んでみよう。

まず大英帝国、英語圏、そしてヨーロッパ。イギリスはヨーロッパの一部ではあるが、それがすべてではない。このことはチャーチルの残した数々の言葉から垣間見えるし、著者、すなわち現イギリス首相、ボリス・ジョンソン氏のゆるぎない信念でもあるだろう。「ヨーロッパを超越したイギリスという世界観」(p422)がEU脱退を正当化する、ということか。

結局、チャーチル的なる人間の資質とはなんだろう。およそ人類にとって良い方向に「一人の人間の存在が歴史を大きく変え得る」(p15)ことか。それだけではないだろう。言葉にできないシンパシー、それを文章の端々に感じ取って本書を閉じることにした。よし、チャーチルのエネルギーにあやかって前を向いてゆこう。

THE CHURCHILL FACTOR, How One Man Made History
チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力
著者:BORIS JOHNSON、石塚雅彦、小林恭子(訳)、プレジデント社・2016年4月発行
2020年12月11日読了
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チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力
ボリス・ジョンソン
プレジデント社
2016-04-27



本書の中核をなす『日本膨張論』は時代がかっているが、よく読めばなんのことはない、ソフト・パワーの浸透を意味しており、著者の心髄が吐露された名文である。また、いわゆる「世界主義」なるものの偽善性を暴くくだり(「国際的なるものに生命なし」「世界主義に隠れた民族思想」)は、現代的価値観からすれば疑問符が付くものの、心得としては有用だといえよう。
その前段、第二章では現代日本の知の巨人=小倉和夫、渡辺利夫、佐藤優、V・モロジャコフによる解説が開陳される。後藤の「世界認識」と現代日本とのかかわりを理解する一助となった。
・元勲・伊藤博文との議論が熱い(『厳島夜話』)。日本帝国本位の世界の恒久的平和の実現、日中関係が実は世界的問題であること、この時代にしては画期的な独仏同盟、ロシアとの対話などなど。後藤の話を傾聴しつつ、伊藤は「気色凄まじく私を難詰して滔々と数百言~」非難し、数日間、深夜まで議論は尽きなかったという。伊藤にロシア宰相との会談を奨めたことが、ハルビン駅で朝鮮人テロリスト安重根に暗殺される遠因となったことは、後藤にとって悔やみきれなかったことだろう。
・眠れる獅子、清国の実像を暴き、欧米列強の進出を招き、さらにはロシアの南進を招いた日清戦争こそ「士族の商法」とバッサリだ(p84)。そして日露戦争の結果を後藤は憂慮する。
・人生訓も盛りだくさん。理想は「具体的に実現されつつその内容を付与されていくところに真実の価値がある」(p152)と「実現力」の重要さを説けば、(西洋)文明・知識はいたずらに模倣するものではなく「自己に同化し融合させて自己の用に供する」(p149)ことで価値を生ずると、大和民族を諫める。
・英国人の「人道主義的世界主義」なるものに対しても後藤は容赦ない。「甚だ露骨な民族思想の姿を、最も麗しい世界主義であるかのごとく錯覚している」(p158)
・『不徹底なる対支政策を排す』では、列強の動きに乗じて大陸への領土的野心を抱く議論をけん制する。曰く、日本と中国が一心同体となり、東亜の安念を作り出すことが肝要と。その後の歴史の展開には、後藤は目を覆うことであったろう。
・後藤は一個人としてスターリンと面会している。すでにソ連が赤化運動の方針を転換していたころである。後藤の説く日露支の三国協商が成立し、さらに日米協調との効果を発揮できていたなら、そして節操なき軍部の独走を抑えることができていたなら……世界は変わっていたんだろうなぁ(『東洋政策一斑』)。

しかし、何という世界観の違いであろう。第一次世界大戦のさなかにあって、一等国になる予感をもち始めた時代においてさえ「日本人は自信を持たねばならない」(p160等)である。現今の理想も希望もない「先細り時代」の日本人には、後藤の『日本膨張論』は空しい過去の出来事とスルーされるだろうか。否、僕はこれを叱咤激励として自身の胸中に響かせたいと思い、知と実績の巨人の手になる本書を静かに閉じた。

シリーズ後藤新平とは何か 自治・公共・共生・平和
世界認識
編者:後藤新平歿八十周年記念事業実行委員会、藤原書店・2010年11月発行

公爵家の宮殿に生を受け、パブリックスクールと陸軍士官学校を出て将校となる。若き時分から葉巻と昼寝の習慣を持ち、西インドとインドで帝国的視野を拡げ、政治家に転身しては名演説で議会を主導し、閑職にある時は絵筆を握り、ときにレンガ積みに精を出し、優れた文筆家として晩年にはノーベル文学賞を授かることとなる。1930年代にはヒトラーへの宥和政策を続ける政府を非難し続け「戦争好き」と四方から嘲りを受けた……。
そう、彼こそは、ナチスの惨禍から英国と全ヨーロッパを救った男、チャーチルである。本書は、植民地主義時代の大英帝国の盛衰と、その一生涯を帝国と共にした彼の足跡を「帝国主義者」としての側面から追う評伝である。
・若き将校時代から自身の体験談による著作をものとしたチャーチル。著作からは、アジアの土民や「ホッテントット」を調教する「帝国的使命感」が窺える。不快だが、当時一般の白人支配層の認識でもあったのだろう。
・第一次世界大戦の戦車、飛行機と潜水艦の導入を指導したのが彼だったとは知らなかった。
・第二次世界大戦に臨むにあたっての名演説「血、労力、涙と汗」とフルトンでの「鉄のカーテン」演説は、永遠に語り継がれるであろう。

2002年にBBCが企画した「偉大なイギリス人」で見事一位を獲得しただけでなく。5ポンド紙幣にその肖像が印刷された、絶大な人気を誇る人物、チャーチル。その彼をもってしても制止できなかったのが「帝国の解体」だ。世界大戦後、民族自決は当たり前のものとなり、旧来の帝国主義的な行動は許されなくなった。チャーチルはこのことを理解していたにもかかわらず、それでも死ぬまで帝国主義者を貫こうとしたのか……。ある意味、潔い人生だったと思う。

世界史リブレット 人 97
チャーチル イギリス帝国と歩んだ男
著者:木畑洋一、山川出版社・2016年2月発行
2020年11月11日読了
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護国卿クロムウェル。この、王になり切れなかった新教徒はジェントリから身を起こし、国王に与する議員を強制追放するなどして議会を掌握し、王権神授説の支配する近世欧州で禁忌とされる国王の処刑を敢行した。そして欧州中を敵に回しながらもスコットランドとアイルランドを武力で鎮圧しイングランドの支配下に置いた、いわば英国史上の「悪党」にして「英雄」である。
本書は、英国史を彩る「7人の悪党」をピックアップし、その時代の俯瞰を試みる一冊となっている。
・名誉革命の立役者、ウィリアム三世。第三章に示された彼の経歴からは、名誉革命のみならず、オランダ総督、イングランド国王、スコットランド国王、アイルランド国王として欧州各国と同盟し、ルイ14世の野望を挫いただけでなく、確固たる財政基盤を持つ軍事国家としてイギリスを大国にのし上げた功績はあまりにも大きい。その偉大な業績を持つ彼も「オランダ人」として常に国民にさげすまれ、死後急速に忘却されてゆく様は、哀しいものがある。それにして「島国根性」と「集団安全保障」に関する記述は、まるで現代日本のことではないか(p118)。
・パーマストン。あのメッテルニヒから「悪魔の子供」と言われ、ヴィィクトリア女王にも忌み嫌われた、英国黄金時代の外相、首相である。彼は「世論」と「新聞」を駆使しつつ、LiberalismとNationalismの風潮をかぎ取ったConference Diplomacyを主導し、Pax Britanica時代を築き上げた功労者である。ローマ市民演説(p188)はその最たるものと言えよう。ただし中国・日本・インドには容赦なく、Imperialismを萌芽させた人物でもあり、アジア人にとっては確かに「悪党」だったといえよう。
・『一人の人間の存在が歴史を大きく変えうる』(p282)こと。すなわち『チャーチル・ファクター』とは現役の英国首相、ボリス・ジョンソンの言葉である。まさにチャーチルがいなければ世界史は異なる様相を見せていたであろう(おそらく大日本帝国も存続し続けていた)。その彼も第二次世界大戦前は孤立し、対独融和ムードの中で悪辣な言葉を投げられる存在だったのか。また「サミット(頂上会談)」が彼による造語だったとは知らなかった(p271)。

「臣なき国王」クロムウェルの最期は病死とあっけなく、その死後は「悪党」とされ、遺体を掘り返されて議会の尖塔に吊るしさらされるなど、きわめて悲惨なものだ。だがチャーチルが国王の反対を押し切って戦艦に「クロムウェル」と命名するなど、彼が英国史に記憶される「英雄」であることは疑いない。パーマストンも皆に嫌われた一匹オオカミながら、70歳を超えて砲艦外交(すべてを見渡す目と強力な腕:p188)により、確かに英国を栄光の座へと導いた「英雄」であった。チャーチルについては言うまでもない。
チャーチルの章で著者が述べる「全人類的な平和の構築という考え方を生み出す素地」(p284)としての大英帝国には、僕も賛意を表する。
人物を基軸に時代を俯瞰すると、歴史はここまで面白くなる。グローバル・ヒストリーと絡ませればさらに興味深くなると思う。

悪党たちの大英帝国
著者:君塚直隆、新潮社・2020年8月発行
2020年11月7日読了
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悪党たちの大英帝国(新潮選書)
君塚直隆
新潮社
2020-08-26


明治39年の作品。『三四郎』とも『虞美人草』ともずいぶん趣が異なるがとても面白い。坊ちゃんの直情的だが胸のすく言動には正義感があふれ、その不器用さとも相まって人物の魅力を高めている。
・狸校長、赤シャツ、山嵐、野だいこ、うらなり君。個性の多彩な登場人物は良いのだが、マドンナをきちんと登場させてほしかった。
・「~ぞなもし」との土地言葉に対峙する江戸っ子の気概も、いたずらっ気の多い生徒たちとの格闘と、下宿へ戻ってからの骨董責め(笑)に遭う様子が滑稽だ。こうなると「親譲りの無鉄砲さ」もかなわない。「天麩羅蕎麦とだんご禁止令」も面白い。
・一章のラスト、清ばあさんとの別離の場面、それに再会してからのラストへの流れが実に良い。つまり、坊ちゃんにとってのお袋さん、か。

「人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじやない」(八章ラスト)はその通り。世知辛い濁世にあって、この精神は持ち続けたいな。

漱石全集第二巻
坊ちやん
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年1月発行
2020年10月25日読了
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坊っちゃん (新潮文庫)
漱石, 夏目
新潮社
2003-04T


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