男ひとり旅の美学

[旅の恥は書き捨て]ってことで。あと、BMWと読書感想文も。

カテゴリ: 書籍・雑誌

虚偽の報道で利益を得る者、訂正されない誤報とメディアの責任。ジャーナリストの矜持と個人の見得と名声。中盤までの展開からこのようなテーマを想定していたが、"レベル"が違った。終盤の圧倒的な展開に著者の凄みを思い知らされた。

それぞれがジャーナリスト個人の姿を追う連作短編集の形式で物語は進行する。巨大新聞社の体質、虚報がもたらす被害者の悲劇の人生、ネットの出現と新聞離れ、記者という仕事のやり甲斐以上の誇り(p115)、テレビの堕落、司法権力とメディアの結託・特権。そして、匿名性とネット時代の人権。

新しい時代の、得体の知れない大波(p270)に抗うこと。
タイトルの「歪んだ波紋」の意味は、最終章で明らかになる(p272)。そしてその処方箋も。

フェイク・ニュースとレガシーメディアとの関係。テクノロジーが引き起こす新しい"社会革命"。これが真実なら恐ろしい事態が進行していることになる。メディア・リテラシーが問われて久しいが、彼らはその上を行く。厳しい現実だ。

歪んだ波紋
著者:塩田武士、講談社・2018年8月発行
2018年10月6日読了
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歪んだ波紋
塩田 武士
講談社
2018-08-09

1937年の東京。女学校を辞めて音楽私塾での女中奉公にいそしむ波津子は、ふとしたことから『乙女の友』編集部に雑用係の職を得る。不慣れな会社員生活。理解を示さない同僚。孤独感と辞意。それでも思いとどまることができたのは、幼馴染から譲り受けたフローラゲームのカードと『乙女の友』への熱い思いだ。それが、編集部員見習いとなるチャンスを呼び寄せて……。一方で戦局は熾烈を極め、1945年に向かって出版環境は厳しくなってゆく。
運命を時局に左右されるは庶民の哀しき定め。だがそれが一度きりの人生の礎となるなら、懸命に生きるしかない。

・マルチアーチスト・長谷川純二(中原純一)の表紙画と挿画を目いっぱい散りばめた『乙女の友』(『少女の友』)誌。長谷川の才能を見いだして大抜擢し、自らの詩へのイラストも任せた編集主筆、有賀憲一郎(内山基)。銀座にビルを構える大和之興業社(実業之日本社)社長と個性的な編集部員たち。川端康成や吉屋信子をモデルとした作家陣。愛読者の集い「友の会」(「友ちゃん会」)。そして昭和13年1月号附録・60枚の花占いカード『フローラゲーム』(『フラワーゲーム』)など、当時実在した華やかな世界観が本書全体に散りばめられている。一方で、楽しい誌面を世に送り出す労苦は並みのものではないことも理解できるようになる。
・「泣いてはいけませぬ」ヒヤシンスのカードの「言の葉」に何度も心を奮い立たせる波津子。縁(よすが)とするものは大切だ。そして、この「言の葉」が繰り返される昭和20年の地獄絵図の展開(p402)には圧倒された。
・子どもから大人になるわずかな期間、美しい夢や理想の世界に心を遊ばせる(p181)、「こんな時代だからこそ、少女たちには美しい夢を」(p111)、この有賀の信念は軍部や内務省の圧力を当初は跳ね除けるが……。
・『フルーツポンチ大同盟』が抜擢される怒涛の展開(p196~)ではワクワク感を楽しめた。「すがる思いで美蘭を見る。美蘭が横を向いた」(p200)は新人作家にとっての厳しい現実だ。
・有賀、社長、上里編集長の緊張しつつも、互いへの想いに溢れた「男の世界」も、本書の魅力を最大限に引き出している。「いや、ここにいる。君が先走ったことをしないと、確証が持てるまで」(p223)。うん、良い。
・「永遠に慕い続ける思い」(p229)、有賀憲一郎への波津子の淡い思いも、本書が大切にするひとつだ。
・やれなくても、やってやる!(p265)
・東京大空襲による銀座の消失。それでも、希望を捨てないことの強さ(p382)。
・「友へ、最上のものを」(p334) エピローグは涙が止まらない。

勇気づけられるエピソード満載。

「遅れてきたのですが、僕たちもまた『友』なのです」(p437)、最良を目指す精神は時代を超えて受け継がれる。この、読者に向けての著者のエールを胸に受け取り、感謝とともに書を閉じた。

彼方の友へ
著者:伊吹有喜、実業之日本社・2017年11月発行
2018年9月18日読了
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彼方の友へ
伊吹 有喜
実業之日本社
2017-11-17


1945年8月15日の玉音放送。その数日前の上海の緊張感がひしひしと伝わってくる。すでに敗戦の報道は街を駆け巡り、日本当局の統制は緩み、青天白日旗が掲揚され、ほうぼうで爆竹が鳴り響き、支那人は好き勝手な行動に走っていたことがわかる。
記録とは、つねに誰かの目を通してとらえられた「事実」であり、その積み重ねが「歴史」につながってゆく(p348)。優れた日記文学の価値、その希少さが本書にはある。

・8月11日、日本の敗戦が報じられた日の国際都市上海に残留する堀田の決意は固い。「学ぶのは今日この時、学識よりも経験よりも何よりも一番大切なものを見得るのは今日だ」(p24)
・1945年10月、敗戦後の虹口に集められた(捕虜収容所の様相)、白腕章を強制された日本人の生活は劣悪を極めるが、それでも堀田は本を買い集めるなど、知的生活に余念がない。内地への引き上げ、国共内戦、国民党政府の末端に至るまでの腐敗。「銃やピストルを持った巡捕や中国人自警団」(p51)が闊歩し、夜半に銃声が響き渡る中、酒を酌み交わし、日本と支那の今後を語り明かす夜は不安と希望の混淆したものだ。
・「文化の運命について」と題した11月22日の日記。荒涼たる煉瓦の堆積の中の一冊のぼろぼろになった大きな本(p95)。あはれという大和言葉の意味するところは興味深い。
・東北地方に残された日本人婦女子の運命。これを堀田は「戦争犯罪」とし、「戦犯は何も戦敗国ばかりが構成するものではあるまい」と断ずる(p161)。
・日記であるが故に、N女史(後の堀田夫人、中西伶子)への熱い想いはあますことなく綴られる。互いに既婚者である身の上だが、もはや隠すことのない情熱。
・「支那事変は中国にとっては、むしろ内戦の一種であったのだ」は極論かもだが、中国共産党、中国国民党、日本軍閥党の「東方の、アジアの内戦」はわかる気がする(p207)。「恐らく日本は中国問題については永遠に失敗しつづけるであろう」(p233)
・「意味といふものが一切失われる刹那」(p103)、罪と罰、「文学の本質は道徳だ。人間の運命を描いて、道徳に達すること」(p139)、「どれだけ苦しんだかが矢張り決定するのだ、その人の重さを」(p181)、「個人以外のものは信じまい」(p202)、「本当の孤独を今知らなければ、一生知ることはないだらう」(p237)などに、堀田の人生観、文学観が垣間見える。
・本当の歴史には、神の意志ともいうべきもの、筆の細工などにはかかわらないものがあるとする(p245)。堀田の言う「デモクラシイとは、恐らくキリスト教の別の形」(p249)も興味深い。
・中国人には公正の概念がなく救いがたい、「内戦は当然である」(p271)は厳しいな。
・随筆『暗い暗い地下工作』は秀逸だ。

日記の後半には、本物の文学者になる覚悟が読み取れる。いったい俺には、この世でなすべき何があるか(p303)。「乱世」に身を置くことで、文学者としての嗅覚が研ぎ澄まされてゆく。そして「広場の孤独」が生み出されるのである。

堀田善衛上海日記 滬上天下一九四五
著者:堀田善衛、編者:紅野謙介、集英社・2008年11月発行
2018年9月9日読了
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明治四十二年の高等遊民、長井代助。この上流階級にして帝大卒三十男の気ままな日常は、本人に言わせば「世の中が悪いから」働かない(p101)。そんな彼が友人のため、実はその嫁、美千代のために金を工面してやろうと実家の父、兄、兄嫁を頼る過程で、自分のいい加減な性格が暴露されるも、本人は気にも留めない。
文豪の流麗な文章は読み進めやすく、一等国日本の上流社会の夢と現実を垣間見ることができる。

・この代助、なかなかの哲学を有しているようで、たとえば人を怒らせることについては「怒った人の顔色が、如何に不愉快にわが眼に映ずるかと云う点に於て、大切なわが姓名を傷つける打撃に外ならぬと心得ていた」とある。人の罪と罰についても同様で、これはなかなか新鮮だ(九の四)。
・経済問題の裏面に潜んでいる、夫婦の関係(八の四)。わずかな借金が人生を変えてしまう局面は古今東西変わらずか。
・美千代とその兄、そして代助。5年前の幸せな世界はすでにない。思い出と現実社会を混淆し、それを無理に溯ろうとするところに、代助の弱さがある。

「二人は孤立の儘、白百合の香の中に封じ込められた」(十四の八)のは一時のこと。自然の児になるか、意志の人になるか。夢見る男、代助の最後の決断は甘いと言わざるをえない(十四の一、十四の七)。「個人の自由と情実を豪も斟酌して呉れない器械の様な社会」と戦う覚悟(一五の一)はどこまでが本物だったのか。すべてが赤い世界に彩られても、なお、彼は自分の決断を支持しただろうか。

それから
漱石全集第六巻所収
著者:夏目金之助、岩波書店・1994年5月発行
2018年9月4日読了
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それから (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社
1985-09-15


東京から群馬県高崎市に戻ってきた宇田川静生、三十代独身神主見習いの仕事と長期アルバイトに人生を削る日々の中、東京出身の工房経営者と出会う。自由で奔放な生活は憧れでもあったのか、宇田川はその空気に馴染むが……。
地方都市の美しさと、そこで生き抜くことの厳しさを、緩急ある文章で味わえる。

・木工職人・鹿谷氏の工房で集う愉しみ。高校の後輩・蜂須賀譲との淡い関わり。地元での新鮮な出会いと期待は大きくなるばかり。
・神職、そして人生設計の問題。犬の形をした絶望(p98)。どこかで狂ってしまった歯車は、そのまま回り続けて……。
・「まだこんな時間だからこそかれは、夜をやり直すことができると思ったのだった」(p115)
・手にしたと思ったものが壊れてゆく瞬間は、確かにある。後半のドラマチックな展開とスピード感が素晴らしい。

考えて、考えて、「過去が過去になっていく」(p268)。これって、つまり漸進ってことだ。
人へのたゆまぬ対峙が人生を形づくってゆく。納得の谷崎潤一郎賞受賞作だ。

薄情
著者:絲山秋子、河出書房新社・2018年7月発行
2018年8月26日読了
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薄情 (河出文庫)
絲山秋子
河出書房新社
2018-07-05



政府主導の欧米化政策が庶民レベルに到達した1910年頃(p22)より和洋の混淆した生活が浸透し、1920年代に持ち家政策が進められることにより、かつて借家が中心であった日本の住宅事情は、中間層を中心に徐々にマイホームの取得へと向かわせる。1922年の平和記念東京博覧会に「文化村」が出現したことは、その象徴でもある。
本書は、座敷、居間、台所、玄関の間、トイレなどの「部屋」に着眼し、明治以降の住まいの変遷を探ってゆく。伝統的な書院造に「洋室」が入り込んだ時期を含め、それぞれの時代の意向を反映させつつ、紆余曲折を経て現在日本のLDKスタイルに落ち着く様がみてとれる。

・日本の玄関は、単なる出入り口ではない。沓脱の機能とともに、公私の区別という精神的な意味合いを持つ場所であるか。なるほど(p57)。
・明治時代の家族団らんの光景。それは家長あるいは夫人が時間と場所を用意しての人為的なものであったという。こんにちではテレビ中心のリビングとなってしまったが、これは良い習慣だったと思う(p66,71)。「お互いが直接会って話ができるそうした時間をつくること」、その努力(p87)は現代社会でこそ重要だな。
・座敷あるいは応接室で客人をもてなすということ、それは自己の主張でもあり(p119)、接客は文化である(p130)。住まいは単なる寝ぐらではなく、文化的な住まいを作る努力が必要とある(p131)。
・ダブルベッドではなく、日本の寝室でツインベッドが普及している理由は、布団文化の継承によるもの(p157)。また夫婦のベッドルームを分けるメリットには興味を覚えた(p164、一輪の花を捧げて扉をたたく)。
・1920年代のタイル張りブーム。トイレと湯殿(風呂ではない)の蘊蓄は面白い(p181,186)。
・気候風土とのたたかい。夏目漱石が「猫」を書いた屋敷は、ある意味、日本の住まいの理想像ともいえるな(p198,215)。

個人が住まいをデザインする楽しみ。それは内と外に向かって生き方を顕現させることであり、そうであれば、現代の金太郎あめ的なLDK様式が本当に良いのか、と著者は問う。個人と家族の価値観を突き詰めることは、部屋の概念を「場」に置き換えることでもある。これが未来の間取りのヒントになりうるのだな。

「間取り」で楽しむ住宅読本
著者:内田青蔵、光文社・2005年1月発行
2018年8月23日読了
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道元禅師と明恵上人の歌にはじまり、良寛、一休禅師、在原行平、西行法師の詩歌にあらわれた、日本の四季と人生観、そのこころを解く。
・「隈もなく澄める心の輝けば/我が光とや月思ふらむ」(明恵上人)の詠まれたシチュエーション。自然に没入・一体化した僧の「澄める心」の光を、夜明けの月は月自身の光と思う、か(p9)。
・唐の文化を吸収した平安から、武家文化の鎌倉へ政権は遷移するも、雅な宮中文化は継承される。和泉式部や赤添衛門、紫式部や清少納言、小野小町。日本文化の千年。
・禅の「無」の境地を僕は誤解していた。「万有が自在に通ふ空、無尽蔵の心の宇宙」であり、論理よりも直感、内に目ざめるさとりか(p23)。

こころが洗われるよう。日本文学を新しい目でみる契機になった。

美しい日本の私
著者:川端康成、Edward G Seidensticker(英訳)、講談社・1969年3月発行
2018年8月17日読了
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「あなたは、王になって、旅に出なくてはならない」(p27)
唐突。あまりにも唐突な、マカオのホテルでの娼婦の宣託が、38歳の独身ビジネスマン、中井優一の疲れた身体に染み渡ってゆく。「北の国」の亡命王子から持ちかけられる取引、謎の幽霊子会社の存在、そして、過去の憧れの女性、鍋島冬香。
旅の意味とセキュリティ・コードをキーワードに、香港、マカオ、ホーチミン・シティを巡る冒険譚は、ページをめくるたびに興奮させられる面白さだ。そうか、香港のオクトパス・カードはEDYだったのか。

・自身の存在意義を守るためなら、人は、企業は、どんな所業でも行う。暗号化方式のセキュリティの欠陥と親会社への還流資金の流れをつかんだ中井は、自身の存在を護るため、ある行為に出る。二泊三日の亡命劇。王になるために「一線」を超えたとき、人はどう変化(へんげ)するのかをみせてくれる。
・「誰が誰を監視しているのかさえ、絡み合ったスパゲティみたいで分からなくなっている」(p584)
・高校一年の入学式からはじまる戯曲は恩讐に彩られている。顔と名前が変わっても、その恋しい後ろ姿は懐かしく、次々と物語の謎は解かれてゆく。

「旅を続ける力って、何だろう?」(p517)著者の答えは明快だが、誰もが異なる解釈をもって人生の旅を続けている。
カーテンコール「収音機時代」での二人の女性の哀しすぎる邂逅も、その旅のこたえなのだろうか。

未必のマクベス
著者:早瀬耕、早川書房・2017年9月発行
2018年8月12日読了
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2001年から2009年に発表された珠玉のエッセイ集。感性がビシビシと刺激される一冊だ。

過去を歴史として捉えること。その手段の一つが書物であるが、現在は、文字と書物が物質であった時代を超えてゆく転換期(p16)であり、やがて電子化されたデータを眺めるだけの時代がやってくる。長い目でみると、読書の意味付けも変わってゆくのかもしれない。図書館化する世界。それでも「人生には検索できないことがますます多い」(p25)。かたくなに印刷物をめくる手が、新しい発見をもたらすであろうことを期待せずにはいられない。

「希望を捨てずに、何でも書いておくことが大切」(p75)には勇気づけられた。

感性の道(p248)。文章も映像も音声もデータ化された時代の後に来るもの、それを著者はアナログ的な創造性であるとみている。すなわち、感性に直接訴える「ひとの手」による仕事の喜び。生涯芸術志向時代はもう来ているのかもしれない。
すべてがデータ化される時代には、感性こそが問われるのだ。

書物の変 グーグルベルグの時代
著者:港千尋、せりか書房・2010年2月発行
2018年7月28日読了
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同窓会に出かけたはずの夫が、会場にたどりつけずに戻ってきた……。夫婦の『長いお別れ』の日々は静かに始まった。
アルツハイマー病、それが年々ひどくなりゆくとき、彼あるいは彼女とどうつきあうのか。本書は日常に重い課題を投げかけてくれる。

・「ねえ、お父さん。つながらないっていうのは……」(p153)は母の本音。そして次女が、母の本当の労苦を確かに識るシーン(p209)はとても切ない。
・忘れるということ。それでも夫は妻が近くにいないと不安そうに探す(p259)。「確かに存在した何か」の件にはグッときた。

自分が「その立場」ならどう振る舞うだろうか。母と三姉妹、孫たちの中にヒントはあるだろうか。そして「その時」までのQOLを考えるとき、それが確かに家族や友人の「絆のかたち」であるなら、とても幸せな人生を送れたと言えるのだろう。人生のターミナルはかくありたいと願い、温かな気持ちで書を閉じた。

長いお別れ
著者:中島京子、文藝春秋・2018年3月発行
2018年7月12日読了
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長いお別れ (文春文庫)
中島 京子
文藝春秋
2018-03-09




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