男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

書籍・雑誌

イギリスの伝統的なファッション。それは世紀末から1920年ごろにかけてのモダニズムの時代に生まれたものであり、いつしか「伝統」が加えられた。
本書は、トレンチコートとレインコート、乗馬服と女性用スーツ、メイド服、プリント柄のコットン・ドレスを取り上げ、国民性と時代背景から、それらがどのように「伝統的なブリティッシュ・ファッション」へと昇華していったのかを探る興味深い一冊となっている。
・マッキントッシュ(雨がっぱ)、アクアスキュータム(ラテン語で"水を通さず")、バーバリー(ギャバジンを発明)。当時の最先端技術を駆使した男性用防水トレンチコートとゴム引きコート(僕も愛用。蒸れるけど)によって英国を代表するブランドが、1830年代~1850年代の技術革新によって顧客、それも王室を含む上流階層の支持を得て、世界的に発展する様子が、シャーロック・ホームズ作品を交えて解説される第二章が興味深い。「イギリス人が国民性と自負する実用性の重視、発明の才と工夫の結晶である」(p44)
・V&A美術館に1920年代の男性用「グレシャム・レインコート」および女性用レインコート「パーフェクタ」のカタログが保管されているという(p46)。いつか現物を見に行こう。
・ホームズ作品によると、19世紀末にはファッショナブル性を併せ持つwaterproof(アクアスキュータムとバーバリー)はミドルクラス以上の男性が、mackintoshはそうでない男性が愛用したことがわかる(p50)。
・著者によれば、イギリス紳士とはすなわち「技術革新と知性に裏打ちされた男性服の美学を実践する人」(p63)である。その現代的なダンディズムは、いまも廃れることを知らないように思える。
・メイド服はなぜあそこまでシンプルで無装飾なのか。そこにはミドルクラスの価値観(女性は働かず家庭の天使とされる)と要求(プライベートでも慎むべき)が多分に現われ、しばしば女性労働者(ワーキングクラスは男女問わず働く)との軋轢を生みだしたことが実例を交えて解説される(第四章)。
・1875年創業のリバティ商会(リージェント・ストリートのリバティ百貨店)の活躍、特にエステティック・ドレスでの成功は、イギリスのテキスタイル産業に「芸術的特徴」を組み込み、それをパリやイタリーのそれに並ぶブリティッシュ・ファッションにまで昇華させた点で著しいとある(第五章)。ジャポニスムや中国趣味、インドのカシミールなど帝国のデザインを大胆に取り入れ、綿業の機械的発展と相まって、"正統派"ファッションにアンチテーゼを突きつけた点は面白い。

機能的な乗馬服が求められた背景(乗馬スクールへ通うミドルクラスの増加)、21世紀では当たり前に服飾に求められる「健康・衛生」の観念が19世紀のミドルクラスの精神(規律・道徳)によるものなど、ファッションの変遷には理由がある。そして「ジェンダー規範、社会階級、仕事とレジャー、アートと消費社会」(p180)とフランスに対するコンプレックスが、現代にも通底するブリティッシュ・ファッションの哲学だと理解できた。

メイド服とレインコート ブリティッシュ・ファッションの誕生
著者:坂井妙子、頸草書房・2019年2月発行
2020年5月16日読了
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大正3年から昭和21年にかけて発表された7編を収録。欧州旅行を体験し、20世紀の日本で存分に生きた野上弥生子による造形確かな人物たちの共演を楽しめる短篇集だ。
・『死』既婚30女の集う会合の話題に、今夜は自分たちの見て経験した人の死が取り上げられる。少女時代の遊び仲間の死。老女のたくましいまでの生への執着。だが地方から上京した「わたし」の経験、すなわち祖母の死は、それは死と呼べるものであったろうかと自己に問うこととなる。
・「家風に合わない」ただそれだけの理由で女が離縁を強いられた時代が長らく続いた日本の家族制度に強い憤りを感じたのだろう。『或る女の話』では、15歳で商家に嫁いだ「おせん」の奇特な半生を、野上弥生子は深い愛情をもって描く。日清戦争、肺病、狂気、極端な村の選挙運動……夫を五度も変えるという運命に翻弄された女には「自覚」が芽生えるのか、実家に居場所すらない「おせん」は新たな縁談よりも女中奉公を選ぶが、それも悲しい結末に終わり……。人が自立することの意味を考えさせられる。
・『茶料理』青年と少女の淡い淡い恋ごころ。15年後の逢瀬は何を思い出させてくれるのか。
・軽井沢の避暑地を6月から11月まで一人で過ごす初老の"渡欧歴のあるへぼ作家"、和子。昭和16年1月、何もかもが急激に変わる世の中で山中の自然を満喫しながら、限られた地元民との淡い交流を美しく過ごそうとする和子。サブちゃん、おせきの半生も泣かせるし、ラストの「これからの世の中」を予感させる短い日記も素晴らしい。『山姥』は本当に美しい一遍だ。
・『明月』死に目に会えなかった母の通夜のシーンが涙を誘い、またすがすがしさにも包まれる。亡き人を囲んで一同が集い、話を話として語るを楽しむ。そう、的確な記憶を持つおしゃべりこそ、「まことに私たちの上代の歴史や芸術が、いいつぎ、語りつがれて来た」(p242)歴史的資産であることに、東京に住まう"私"は気づくのだ。そして灰となった母の一部を"私"は軽井沢の別荘に埋葬する。「まどかなる月のもとに眠りませ」(p250)は名言であろう。
・『狐』肺病の治癒のため、東京の三菱銀行を辞職し北軽井沢に移り住んだ萩岡は、ふとした縁で狐飼いの道を歩む。満州「事変」から泥沼の様相をみせる日中戦争に真珠湾攻撃。ミッドウェイを経て当然の負け戦へ。急変する世の中と異なって平穏な萩岡夫妻の生活にも、やがて肺病の死の影が迫る。佐々木との友情、複雑な実家との関係、そして愛する妻、芳子に何を残すのか……。殺しあう人間社会の性とはかかわりなく狐たちは活動する。美しい自然の描写も実に良い。

どの作品も甲乙つけがたい、個人的には"当たり"の一冊。本書ピカイチの一遍を選ぶとすれば『茶料理』だろうか。

太陽が雲に隠れ、周囲の情景が急速に魔を伏す様子(p14)といい、赤裸々になった恋心(p118)に、青空(p207)。野上弥生子の表現力には舌を巻く。
近代文学を手にすること。それは日本語の豊かさ=人間描写のあらゆる可能性を実感できるということを実感した。

野上弥生子短篇集
編著者:加賀乙彦、岩波書店・1998年4月発行
2020年5月9日読了
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野上弥生子短篇集 (岩波文庫)
野上 弥生子
岩波書店
1998-04-16


戦中、戦後の市井の日本人の姿。生きようとする魂が浅田次郎の筆によって、目前に蘇ったように描かれる。
・天の河の見下ろす富士の裾野で、「帝國陸軍上等兵」と「陸自士長」が出会う『不寝番』は、短い会話の重みが男の胸に響く。「ジャングルの中や船倉の底や、凍土の下に埋もれていった日本人を、外国人のように考えていた自分」(p164)には刮目させられた。
・『歸郷』は帰還兵の悲劇と、それでも生きようとする小さな希望を、街の娼婦の人生を絡めて描く。「もしかしたら、あんたが、三人目の神様かもしれないな」(p47)
・皇軍の証である金色(コンジキ)の鵄(トビ)を、染井軍曹は焼け跡の銀座にみる。『金鵄のもとに』は衝撃的な内容と相まって読むのが辛い。あまりにも辛い。「あんなところに四万人の兵隊を送り込んで、食料は現地調達しろってんだから、はなっから敵はアメ公じゃねえや」(p206)「……もうお国の勝手で飢え死んじゃならねえんだ」(p212)これが戦争の本質だといわれれば、その通りか。

世代を超えて語り継がれるべき「非戦文学」。日本人の魂のあからさまな姿をみた。
「お国のためも糞もねえ」(p29)。
家族のためにできること、生きることを考える。僕も昨今の"自粛ムード"に安易に流されないようにしよう。

帰郷
著者:浅田次郎、集英社・2019年6月発行
2020年4月16日読了
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帰郷 (集英社文庫)
浅田 次郎
集英社
2019-06-21



本書は、約2300点にもおよぶコレクションから厳選された代表作品をもとに、美術館での展示と同様、四つの時代を追って西洋美術史をたどる構成となっている。
ありがたいことに、序章から読みやすい文章とあいまって、西洋美術史としてのナショナル・ギャラリーの作品群が、美術に興味を抱く素人(自分です)にもわかりやすいように解説される。個々の絵画の背景と意味を考えると、なるほど、おもしろい!
・なるほど、ナショナル・ギャラリーは他国のように「王室コレクション」を開放したかたちではなく、最初から西洋美術史の教育・啓蒙を目的として設立されたのだな。ロンドンにいながら、ルネサンス期、15世紀フランドル絵画の真髄を堪能できる。素晴らしいことだ。
・二次元空間は天上世界、三次元空間は人間世界を表す(p22)。そして聖母の青いマントは神の叡智(天の真実)、変色している赤い服は慈愛を表す(p27)、か。
・側面像(プロファイル)に対するフランドル発祥の「四分の三正面像」(p33)が「古代のルーツ」(p46)を持つイタリア絵画にも拡まり、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが現われ……こうやって美術は進歩していったんだな。
・宗教画化を窮地に追いやったプロテスタント革命、都市経済の繁栄に伴う市民階級の台頭。社会の変化によって求められる絵画作品も変わるのだな。個人的には「世界風景画」が気に入った(p96)。
・それがフィクションだとしても、キリスト教がわかれば西洋美術は何倍も面白くなる。そして17世紀バロック絵画は、特にカラバッジオ『エマオの晩餐』、カラッチ『アッピア街道で聖ペテロに現れるキリスト』、レーニ『エウロペの掠奪』(p108)などは、その高尚さと物語性のわかりやすさで見るものを圧倒する。
・ロランらの理想的風景画も見逃せない(p130)。これらがグランド・ツアーを経験した英国貴族のピクチャレスク・ガーデン趣味(p136)となり、やがてゴシック・リバイバル(p145)が生まれるのか。
・ドミニク・アングルの新古典主義とドラクロワのロマン主義。同時代の出来事さえ「歴史」として主題にする物語性は、市民層に好まれたのだろうな(p214)。僕も、巨大かつ凄まじいまでのオーラを放つ『レディ・ジェイン・グレイの処刑』(p216)に対峙した時の衝撃は忘れられない。
・そして自分の視覚に忠実であろうとする印象派が現われる。ゴッホの『ひまわり』は圧倒的だった。

ナショナル・ギャラリー(2回)、ポートレートギャラリー(1回)とも訪れたことはあるが、ルーブル同様、絵画の質と量に圧倒されてしまい、個々の絵画の意味など考える余地などなかったことを白状する。だが本書のおかげで、今年東京と大阪で開催されるロンドン・ナショナル・ギャラリー展では、より興味をもって鑑賞できることになりそうだ。

教養としてのロンドン・ナショナル・ギャラリー
著者:木村泰司、宝島社・2020年3月発行

約2300点にもおよぶコレクションから厳選されたフェルメール、レンブラント、モネ、ルノワールなど、61点の作品すべてが日本初公開。『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』には期待大なわけですが、76ページにもおよぶ芸術新潮の特集にも期待が持てます。
他国のように「王室コレクション」を開放したのではなく、寄贈作品をベースに最初から西洋美術史の教育・啓蒙を目的として設立されたナショナル・ギャラリー。収蔵作品の鑑賞=西洋美術の神髄に触れる試みを本誌上で追体験できます。
・「奇跡の展覧会を最大限に味わうべく、ギャラリーの魅力と名作を強力ナビゲート」(p11)とあり、宗教画・神話画、風俗画、肖像画、風景画、花の絵の5章に分け、『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』を監修された川瀬佑介さんの詳しい解説が披露される。『聖えみでぃうすを伴う受胎告知』徹底図解がすごすぎます。
・レンブラント(34歳、63歳)とマリー・エリザベート・ルイーズの自画像も良いです。
・ヤマザキマリ×池上英洋のマニアック鑑賞術も面白いです。ダ・ヴィンチの『岩窟の聖母』の秘密……。本当、味わい尽くさないと!

2014年と2017年にナショナル・ギャラリーを訪れ、ゴッホの鮮烈な『ひまわり』に対面しました。あと、巨大かつ凄まじいまでのオーラを放つ『レディ・ジェーン・グレイの処刑』は必見です。あの衝撃を日本でふたたび味わえると思うと、いまから楽しみでなりません。
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古代から近代までの時空間が混交した古都の美を、64ページにわたって堪能できる第1特集が素晴らしい。
金閣寺、清水寺、嵐山、祇園……およそ京都の代表的なイメージを脇に置き、美術品、建築、庭園、キモノから食に至るまで、古来から現代までの多様な"art"の観点から64ページに渡って京都を語りつくすPen誌らしい特集となっている。
・狩野永徳、長谷川等伯、尾形光琳、尾形乾山、伊藤若冲、円山応挙、竹内栖鳳、上村松園。こうして並べられると、京都の美術史は特筆すべきものであることがわかる。
・「緑のある京都で実現した、現代アートによる仮想浄土空間」(p54)が興味深い。6月14日までに絶対に京都市京セラ美術館に行かねば。
・岡崎。明治の大事業により文化都市としての姿をあらわにした、大人が居心地のいい場所としてページを割いて紹介される(p58~71)。
・ダイナミックな写真を活用した「東京宝島」(伊豆諸島+小笠原諸島)のヴィジュアル記事も興味深い。感性を刺激する特別な時空間、いいなぁ。
「ますますアートの中心的存在となるにい違いない京都」(p29)とは、東京と比較すれば言い過ぎだとも思えるが、これから注目されるべきエリアであることは間違いない。
こんなご時世ではあるが、岡崎の京都市京セラ美術館と宇治の平等院鳳凰堂へ無性に行きたくなった。
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シーモア子爵夫人のメイド、ローズの毎日は多忙だ。ベティとのおしゃべりに、突然ロンドンのお屋敷に押しかけてきた妹への応対、レディの訪問客との応対を覗き見て……もちろん、仕事もきちんとこなす。13歳で上京して3年がすぎ、昨今はパーラー・メイドの役割も見事に果たすのだ。
そして彼女は、奥様から17歳の誕生日プレゼントにいただいた鍵のかかるノートに、「チーム・ヴィクトリア」の解決した事件を記すのだ。
本書では三つの中篇が披露される。
・清国人料理人のリェンさん(林さん)の父親が護りたかったもの。持ち込まれた"皿"と持ち出された"壺"をめぐって、清国の動乱・英仏の侵略による悲劇の末にリュンさんの得たものは何か。帝国主義の功罪は個人に重くのしかかる。
・公爵夫人のバンシー(ドッペンゲルガー)が夜な夜な「進歩的英国婦人の友愛と向上のための倶楽部」内を歩き、見たものを恐怖に陥れる『あなたの顔をした死神』『仮面とヴェールの影に』は、"男の帝国主義"の時代を生きる女性の自立と歪んだ愛情がモチーフだ。ある女性をエディンバラ大学初の女性入学者として医学部へ進学させようとする公爵夫人。その思いとは裏腹に女性は……。う~ん。結末がプアーなのは何故?
・下町ランベスのミュージックホールから出世したダンサー、サロメ。彼女が描かれた絵画に隠された秘密=王位継承をめぐる熾烈な争いに巻き込まれたレディの手腕が披露される『生首を抱くサロメ』『華麗なる仮面舞踏会』も、それぞれの階級の人物の行動が興味深い。まぁ、ラストはきれいにまとまりすぎた感はあるが。
・危機に際しての覚悟が潔い。いざとなったらロンドンを捨てて出て「旅していない土地、見ていない景色はまだまだあるわ」(p271)と言ってのける。この人生観あってこそのレディ・ヴィクトリアだ。

「勝つことで人を救う機会が得られる闘いなら、少しばかり危ない橋を渡ることになっても、立ち向かう意味はあるのよ」(p187) チーム・ヴィクトリア、その心意気や良し!

どの中篇もヴィクトリア朝の特長が綿密に活かされた作品ではあるが、前2作の長編に比べて中途半端な感じは否めない。それでも、女たちの大英帝国の曙のきざしが丁寧に描かれ、好感が持てた。
次回作予告「切り裂きジャック」にも期待しています。

LADY VICTORIA : IN THE LOCKED NOTEBOOK OF ROSE
レディ・ヴィクトリア ローズの秘密のノートから
著者:篠田真由美、講談社・2020年2月発行

日本に居住する市民は平和を享受し、世界の紛争地帯に比べれば格段に幸せな人生を送っている。毎日ではなくとも、その身に幸せを感じる瞬間は訪れるだろう。
本書は、まさに現在の政治情勢が続いて、日常生活に「ほんの少し」軍事が入り込んだ日常を、あの傑作長編『未必のマクベス』の著者が色鮮やかに描き出す短編集だ。『マクベス』では交通系ICカード、香港、数字をキーワードにしたハードな展開が魅力的だったが、本書では望まない「有事」と日常的に接することの葛藤、組織の論理と矛盾する自らの正義への覚悟があぶりだされる。

『思い過ごしの空』
有名化粧品メーカーの本社に勤める僕は、研究所に籍を置く妻が開発し、営業的に失敗とされた試作品が、ある顧客にとっては「画期的な発明品」であること、僕がそのプロジェクトの担当になった秘密を隠し続けなければならない。何気ない家庭内での会話のはしばしに「発明品」の話題があがらないことを祈る日々。
・軍事産業か否かの境界はあやふやだ(p19)。そう、それは曖昧であり、こんにちTV-CMで有名な大企業の何割かが「しれっと」儲かる軍需に加担しているのも事実である。
・"かはく"と"リダイ"には笑わせてもらいました(p25)。そこでの会話「無人兵器と自爆テロの違い」は、その通りだ。
・「僕は彼女の無邪気さを守っていきたい」(p31)いいな。そして手をつないだ妻のラストのセリフは、胸に突き刺さる。

『彼女の知らない空』
日本国憲法が改正されて最初の冬。紛争地域のQ国に派遣される陸自幹部を友人に持つ空自の三佐は、官舎で待つ妻に打ち明けられない秘密をかかえて、今日も千歳基地に足を運ぶのだ。
・公に戦争をできるようになった日本という国。1万2千キロのかなた、Q国の政府軍基地を離陸する無人爆撃機を操縦するのは僕だ。「紛争に行くのは、ぼく自身だということを」妻は知らない(p53)。当然、一般国民にも知らされていない。
・地球の裏側Q国上空の機体、千歳基地の操縦管制室、米国の司令センター。これらが一体となって現地のターゲットを追う様子は、まさに技術の結晶といえよう。狙われる現地民にとってはたまったものではないが。
・罪悪感と恐怖感(p80)。公務とはいえ、殺人者になるということ。交戦権を認められた自衛官の葛藤がありありと表現されている。
緊急事態条項(p49)。憲法九条の改正よりも重要な秘密はここにある。"総理大臣の一声"で街を戦場に、市民を兵士に変えられること(p80)の意味に、多くの国民はいまも目を逸らす。これ、令和の世で現実的にありそうだな。

上記2編は異色の出来だ。他に『七時のニュース』『閑話・北上する戦争は勝てない』『東京駅丸の内口、塹壕の中』『オフィーリアの隠蔽』『彼女の時間』を収録。

最終編『彼女の時間』を読了後、『マクベス』同様に、身体に力の漲るのを感じられた。

著者様には申しわけないが『閑話・北上する戦争は勝てない』の長時間残業=ドーピング説には違和感があるな。
(あと、p129「株主にする説明する」は変です。)

どんどん変わってゆく平和なはずの日常に、戦慄すること幾たび。
「憲法が変わっても、自衛官は人を殺さない。それが、ぼくたちの誇りだ」(p69『彼女の知らない空』)
そうあってほしいと願う。

彼女の知らない空
著者:早瀬耕、小学館・2020年3月発行
2020年3月12日読了
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彼女の知らない空 (小学館文庫)
耕, 早瀬
小学館
2020-03-06



すでに語りつくされた名作ではあるが、読み込んでこそ、その価値が分かろうというもの。
なんといっても第Ⅲ部-5の後半、ラスコリーニコフが自作論文の解説を披露する場面が圧倒的だ。並ではない「本当の人間」(プラトンの言う「哲人」にあたるのかな?)が自分の発見や思想を全人類のものとするため、それを阻む何百人もの生命を除去することの権利と、その良心に基づいて他人の血を流すことの義務を有し、彼は必然的に犯罪者たらざるをえないことが論理的に展開される。この"対談"から、友人ラズーミヒンの叔父にして予審判事であるポルフィーリイとの思想合戦がすでに始まっていたのかと思うと、文豪ドストエフスキーの構成力の壮大さには舌を巻く。
それにしてもロジオン・ロマーノヴィチ(主人公)、プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワ、アヴドーチヤ・ロマーノヴナ、ドミートリイ・ブロコーフィイチ・ラズーミヒン、ポルフィーリイ・ペトローヴィチ等々、ロシア語の人名はなかなか手ごわいなぁ。
・百の善行は一の悪行に勝るのか? 古くからの問いかけに対し、彼、ラスコリーニコフは英雄的で特別な人間にはその権利があると理論づける。その決行のきっかけは著しく内的なものであっても、一歩を踏み出した彼は、しかし英雄的行為の意味の消失を悟る。
・仇敵ルージンの妹への求婚を退け、家族団らんと新しい展望が開けるかと思いきや、突如、ラスコリーニコフは決別を宣告する。親友ラズーミヒンが追いかけ、二人が対峙する第Ⅳ部-4のラスト。「廊下は暗かった。ふたりはランプの傍らに立っていた。一分ほど、ふたりは無言のまま」互いに顔を見つめあう。そして無言のまま、二人の間で「ある出来事」のすべてが了解された……。電撃が走ったように「ラズーミヒンは死人のように蒼ざめた」このシーン、まるで読者を試すかのようなドストエフスキーの恐ろしい筆力が圧倒的だ。
・第Ⅴ部-1の会話劇も面白い。コンミューン、フーリエ、啓蒙と労働組合。女性の自由。そしてソーニャの美しい天性。行動するロシア知識人が主導する社会主義の幕開けが予想されるような展開は興味深い。
・馬車にひかれて死んだソーニャの父親の追善供養の席では、『この馬鹿なドイツ女』、野卑なポーランド人の描写など、ドストエスフキーはロシア人からみた異国人の表現に容赦がない。また零落したとはいえ、あくまでも「上品な家柄」を誇る母親カチュリーナ・イワーノヴナの態度はテーブルの席でも傲慢であり、出席者を「酔っぱらったとんまなロバ」「箒で吐き出さるべきバカ者たち」と呼ぶその姿はこっけいでもある。第Ⅴ部-2、追善供養の席の終末は混乱と罵声とに満ち溢れたシュールな場面となる。人の執念、思い込み、情念とはかくも恐ろしく醜いものなのか。そして次なる悲劇がヒロイン、ソーニャを襲うとは。
・第Ⅵ部-2。予審判事ポルフィーリイ・ペトローヴィチがラスコリーニコフに自白を奨めるシーンには鳥肌が立つ。「問題は時間にあるのではない、あなた自身の中にあるのです。太陽におなりなさい」「太陽は何よりもまず太陽でなければならない」(p477)
・ラスコリーニコフの「秘密」を握った50男、スヴィドリガイロフの人生もなかなか興味深い。その目的に破れて彼自ら破滅の道を歩む様はとても悲しすぎる(第Ⅵ部-5,6)。

「遠くへ行くんです」と、かたくなに自分を信用してくれる母親と対面し、ラスコリーニコフが「愛と別れ」を告げる瞬間は切ない。「で、今日はドアを開けて、見るなり、ああ、いよいよ運命の時が来たんだって、そう思ったんだよ。ロージャ、ロージャ」と呼ぶ母の声は悲痛であり、その表情も窺えそうだ。続けての妹との対峙。「そのまなざしに接しただけで、彼は妹がすべてを知っていることを直ちに悟った」 クライマックス直前の美しいシーンは、繰り返し読む価値がある。
「いったい僕は何のために生きるんだろう」と、その問いに苛まれて生き続けることこそ、人が人たりうる証である

多様な示唆に富む本作は、オリジナルな人生に身をゆだねることの意味を考えさせてくれた。少なくとも、「他人の思想の下僕」にはなりたくないな。

悪事と英雄的行為、人類の新秩序、宗教的信念、ニヒリズム、そして愛。重層的なテーマを持つ本作。時をおいてまた読みたい。

罪と罰
著者:フョードル・M・ドストエフスキー、集英社・1990年9月発行
集英社ギャラリー[世界の文学14] ロシアⅡ所収
2020年3月9日読了

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罪と罰〈上〉 (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
1987-06-09

罪と罰〈下〉 (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
1987-06-09


事実に即して広く世界を見渡す(p4)。
本書は、視点を近隣諸国から遠くに置き、そこから見えてくる世界の実相と日本外交のあるべき姿をとらえようとする一冊であり、長年の著者の実績・実体験と相まって興味深く読ませてくれる。
停滞・沈下した平成の30年間を嘆いても仕方がない。いま、われわれにできることは何か。「日本ならではの国際貢献」とは何であるか。その実績と今後の指針が本書にはある。
・グルジア(ジョージア)、アルメニア、ウクライナ、タジキスタン。エジプト、ウガンダ、南スーダン、ザンビア、マラウイ。ブラジル、コロンビア、南太平洋諸国。そして東南アジア諸国。JICA理事長、あるいは国連大使として著者がなしえた信頼醸成と「その国の必要」に基づく「上から目線ではない」支援は、確実に日本への好感度を高めつつ、現地の人材を育成するものであり、長期的・国家的視点からどれほど有益であるかが本書から伝わってくる。
・日々、センセーショナルな、あるいは大国関係のニュースに翻弄されがちだが、小国に目を向けることで見えてくること、その重要性も理解できた。
・途上国支援で地道に実績を築き上げてきた日本。「信頼で世界をつなぐ」(JICAのヴィジョン)その姿に対し、強引ともいえる中国の「開発支援」の遣り口にどう対処するのか、あるいは、けん制するのか。難しいが克服すべき課題であるとわかる。
・「非西洋から近代化した歴史」と「西洋とは異なる途上国へのアプローチ」(p250)が日本外交の強みであり、民主主義的な国際協調体制を深化させる努力が求められる、か。

17章「『ソフト・パワー』の作り方」では、国民皆保険制度を議題とする国際会議での日本のリーダシップと著者の一日の行動が例示される。古くからの実績、確固たる組織と国際レベルの人材、財務の裏付け、トップの関与など「汗をかき、資金を出す」日本が努力によって作り出した『ソフト・パワー』の底力には感銘を受けた。勇ましい掛け声、自己顕示欲のための「血と汗」などいらない。これまでの日本らしい地道な貢献が世界中で評価されていることは実に誇らしいし、この路線を維持・拡大するべきだと思う。

世界地図を読み直す 協力と均衡の地政学
著者:北岡伸一、新潮社・2019年5月発行
2020年3月7日読了

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