男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

書籍・雑誌

デモクラシー。およそ現在考えうる最高の政治形態が、その存立基盤である自由と平等を自らが脅かしつつあるという。それも歴史の必然だというのだ。いったいどういうことなのか。自由と平等を享受し続けるために、いま自分たちができることとは何なのか。
特に最終章の「デモクラシーと技術革新は人間と社会をどのように変えてゆくのか」(p298~)には啓蒙された気がする。技術革新時代におけるリベラルアーツの重要性。そして、ポピュリズム≒多数者支配の罠。「郷愁」と「憧れ」の価値(p303)。さもありなん。

デモクラシーの宿痾。すなわち「少数の受益者と、薄く広がるコスト」(まるで2020年の日本の姿そのもの)のため、財政拡大への強いドライブ(p22)を持つ。バランスの取れた政策こそ必要なのだが、閉塞した経済からポピュリズムに傾く内政、加えて多難な多国間政策がそれを容易にさせない状況にある。
・「節度ある」貿易こそは国家間の信頼関係を醸成し、相互に富を生み出す重要な道である。トランプ大統領の通商政策は18世紀「重商主義」への「先祖返り」であり、自国のみ黒字になれば豊かになると錯覚したものである(p66)。かつて英連邦諸国が反対したにも関わらずGATTへの戦後日本の加入を容認したかつてのアメリカ為政者のような、戦略的・長期的自己利益拡大の思想は彼にはない。
・ひるがえって日本。「論理的に不透明な政策決定過程」(p73)をわかりやすくすることこそ現政権に最も必要なものであり、リーダーには「責任を引き受けるということ」が求められる。さもありなん。
・世界最大のリスクファクター、一党独裁国家の中国。予想される「影の銀行」の「信用拡大」の崩壊にどう対峙するのか。歴史から得た知恵をどこまで適用できるのか。理論と実際の乖離するなか、かじ取りの難しさの際立つことが示される(p76)。きたる混乱に備えておかないと。

教育はどうあるべきか。特に大学でのそれに対する著者の意見は明白だ(第4章、第5章)。
「古典を含む人文学や社会科学の遺産をよく学び、何が自分と人間社会全体にとって価値あるものなのかを検討し、「権威」に依拠しない自らの考えをまず母国語で正確に語り説得力のある文章を書く力を養うこと」(p169)と、これは生涯学習のひとつとしても有益だろう。善く生きるために、古典と格闘し、知性と道徳のバランスを築き上げるのが、教育と経験なのだから。
・谷崎潤一郎やアダム・スミスのように、人文学と社会研究の両方が一人の人間の中で見事に溶け合っていること(p117)は理想的だな。
・「新しい人間像」の発見や創造の点で、AIが真の文学を生み出すことはない(p125)、か。
・海外からの留学生を増やすための「大学教育の英語化」を著者は痛烈に批判する。そもそも英語力の堪能な学生はわざわざ日本などを留学先に選ばない。狭い範囲の話になるが、BRUTUS 2019/3/15号(アニメ特集)で「日本語は世界のアニメ嗜好者のラテン語だ」「日本語を学ぶ若い人たちの多くは、アニメに影響を受けている」と読んだ。たしかに、日本で勉強したい学生はすでに日本語力を鍛えているのであり、文部科学省の方針には疑問が生じるな。森有礼の英語公用語論に対する福沢諭吉の反論も納得がゆく(p204)し、「強い国家の言語が広い流通力を持つ」(p206)は、その通りだと思う。

civil市民とcivilization文明。この二つの分かちがたい概念こそ、「文明がいかに他者と共存いうるのかという想像力を必要」(p217)とするかを示している。同質的な多数派が強い社会は市民社会とはなりえない。昨今の政治的な趨勢(決してマスコミでは報道されず、SNS情報による)をみていると、反対者とも共存する「公民としての知徳」がいまこそ必要とされているように思う。
・民主党政権時代の政策を著者は批判する。曰く「『官』から『民』へという掛け声のものに打ち出された諸政策は、幹部行政官の魅力を低下させ……学校秀才が公務員職を目指す意欲を殺いだといわざるをえない」(p249)と。要は「天下り」を減らせば魅力が半減と。「だから、何?」と言いたい。別に悪いことではないだろうし、本書の中でここだけは違和感が残った。そも著者の述べるように「中央から地方自治体に天下る」仕組みが確立され、これが地方自治の行政面、財政面が熟していない(p249)現われであるのなら、まずはここから是正するべきだろう。中央ではなく地方にこそ優秀な若い人材を投入するべきなのだ。これが地方分権の確立の第一歩となろう。

日本型民主主義といえども、デモクラシーのもとで生きる身だ。「未来の成形にわれわれが参与しているという意識」(p259)を持ち、「個人同士の連携」「組織的な連合」(p304)を意識しつつ、自らの知性を鍛錬することを怠らないようにしたい。
自由と平等を享受し続けるために「市民」=一般人ができることとは何か。いかなる権力や風説からも独立して、自由に考え、意見を表明する(p95)ことこそ、その答えの一つだと思う。僕もかくありたい。

デモクラシーの宿命 歴史に何を学ぶのか
著者:猪木武徳、中央公論新社・2019年6月発行
2020年2月14日読了
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軽い感じでぐいぐい読ませてくれる、書籍好きにはたまらない一冊。
・栞子の魅力……書物を通じて人の秘密を透かし見る卓越した推理力。いや、違う。それは本当の本好き、なところにあるのだ。一冊一冊を愛でるようにそっとページを開き、微笑み、感情を深く移入し、そして自分を想う。いいな。
・個人的には第三話「ヴィノグラードフ クジミン『論理学入門』(青木文庫)」がグッときた。しのぶさんの思いやりは『論理学』を超越している。
・何事にせよ「好き」が度を超すと、迷惑となる。西野、そして大庭。せめて救われる物語があれば良いのだが。

書は人の手に渡った時から一つとして同じものではなくなる。それぞれの人生に古書を重ねて、物語は紡がれる。さて、今日も新しい書を開くか。

ビブリア古書堂の事件手帖 栞子さんと奇妙な客人たち
著者:三上延、アスキーメディアワークス・2011年3月発行
2020年1月28日読了
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1990年代後半、最貧国の債務を帳消しにするNGOらの運動が功を奏し、先進国・IMFなどの債務の90%以上が削減されるた世界的な動きが活発となった。だがその時期を見計らって、"彼ら"は活動を開始した。先進国の裁判費用の負担すら重荷となる貧困国にターゲットを絞り、腐敗した社会システムを利用して内部情報をかすめ取り、書類を偽装し、"正当な"権利を奪い取るのである。
「貧困国がデフォルトすると、ハイエナ・ファンドが債権を二束三文で買い取り、アメリカやイギリスの裁判所で訴えて判決を勝ち取り、先進国が債務削減をして多少金の余裕が出てきたところで、資産を差し押さえて回収する、と」(下巻p82)
彼らにとって現地住民の生活レベルなどはどうでもよい。これを至極普通の投資活動とする欧米人の姿には戦慄すら憶える。
・善良なNGO職員が、やむを得ない金銭上の事情によってハイエナ・ファンドに魂を売り渡し、自らの運命を暗転させてゆく様は、他人事とは思えない。
・ハイエナファンドの親玉とされる初老のユダヤ人も、一皮むけば人の親。同性愛者の息子を持ち……。運命とは皮肉なものだが、それを全肯定し、州の法律を変えてゆくパワーには凄まじいものがある。
・腐敗国家のひとつ、アルゼンチンとハイエナ・ファンドの「15年戦争」の結末も興味深い。「結局、弱い者は強い者に蹂躙されるのが、金融ジャングルの掟なのだろうか」(下巻p269)
・コンゴ民主共和国の例など、結局犠牲になるのは貧しい民衆だ。腐敗国の為政者こそがハイエナとともに共倒れするべきであろうに。
・あまりなじみのない英国の議会(15世紀以来続く慣習)や法曹界、国際金融業界の姿などもうかがい知ることができた。

ハイエナ・ファンドを率いるユダヤ系アメリカ人、あまり知られていないが、途上国債務削減のためにNGOで世界的に活躍した日本人女性など、本書の登場人物にはモデルが存在するのも興味深い。

かように世論から忌み嫌われるハイエナ・ファンド(ハゲタカ・ファンド)だが、次のセリフには共感させられた。
「まずは望んで、それに向かって死力を尽くす。これが成功への鍵ってもんだろう?」(下巻p31)
能力と野心の向ける先を、何に合わせるのかが鍵だな。

国家とハイエナ(上巻・下巻)
著者:黒木亮、幻冬舎・2019年10月発行
2020年1月24日読了

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氷山、海氷、氷棚、南極の生態系、特異な自然現象、昭和基地と基地を支える観測隊員、南極を冒険した過去の偉人たち……。国立極地研究所の監修によって南極観測50周年ならびに国際極年に向けて2006年に発行された本書は、7700円もした大型本だけあって、カラーページの写真は他に類を見ない迫力をもつ。また、専門分野をわかりやすくかみ砕いた解説は、興味を抱く初心者が「極地の謎」を垣間見るにあたって、しごく適当なレベルにあると思う。
・「(南極)観測を支える輸送」(p24):すでに1920年代(!)に南極での航空機輸送が行われていたとは知らなかった。
・「地球上でもっとも空気がきれいな南極」(p50):都会の空気の1/1000以下のエアロゾル粒子。おいしい空気なんだろうなぁ。
・「氷床コアは語る」(p94):過去34万年に及ぶ気候の変化を観測できるとは驚きだ。

科学的解説にとどまらず、南極探検歴史、日本の観測史と研究機関、南極探検人名録などの資料も豊富。南極に興味がわいたら、まず手にするべき一冊といえよう。

ENCYCLOPEDIA OF ANTARCTICA
南極大図鑑
監修:国立極地研究所、小学館・2006年10月発行
2019年12月25日読了

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南極大図鑑
小学館
2006-09-23


『言語都市ロンドン1861-1945』に触発され、ネット古書店で入手した1冊。
アメリカから渡英してきた日本人青年・柘植が、"少佐の家"、零落貴族の夫人が経営する家宅の二回に間借りする第一部「英京雑記」と、夫人と喧嘩別れしてからの新しい下宿を舞台とする第二部「都塵」で構成され、1914~1915年に倫敦に滞在した著者の体験談がふんだんに盛り込まれている。
・オスカー・ワイルドに関する書物の購読を強くたしなめる下宿先の女主人。フレデリック・ダグラスの従妹であるという彼女のその姿は、いかにも英国のミドルクラス的な世間体にがんじがらめにされているように柘植には感じられる。裁判所での傍聴席で偶然にも垣間見たフレデリック・ダグラス卿の姿と、近代英文学史にその名を遺すワイルドへの尊敬心から、柘植は思わず母国語で吐き出すように言い放つ「馬鹿にしてやがら」。自負心の強い国民性に根差す頑固さ(p37)。この遣り取りは味があっては興味深い。
・時節は1914年の冬である。街角にはカーキ軍服の男と喪服姿の女が増え、知人が次々と戦地へ送られる。そんな中にあって下宿先の夫人ばかりか、夫である陸軍少佐までもが、キッチナー将軍率いる英仏連合軍がベルリンへ進撃し、ドイツ皇帝を捕縛するとうそぶく。日本軍に関する知識もでたらめな少佐の姿をみて柘植は思う。「……すべて各方面のことを、それぞれ少数の優れた才能の人間に任せ、大多数の国民は安逸に金儲けを愉しみ、安心して午後五時のお茶を享受している」それを羨ましくも思い、さげすむ気もする(p68)。これ、戦前昭和の日本がそうだし、いまの日本とて同じでなかろうか。
・第二の下宿先の女将は教養のない夫人だし、下宿人も同郷の高樹を除いて、同じような人間ばかり。ある日から下宿人となったグレイ夫妻だけは、賭け事のせいで困窮するに至った元富豪だけあって品が良く、特にその夫人の「日本と日本人への憧れと称賛」は格別のものだ。最初は柘植も高樹も喜んでいたが、度を超えた親密ぶりに、距離を置くようになって……。
・「私の知って居る日本は、マダム・バタフライとミカドと、二三の浮世絵だけですもの」(p263)教養あるグレイ夫人にして、日英同盟を締結し、ロシアに勝利した日本に対しての認識がこれである。一般大衆の日本人への認識はどのようなものであったろうか。作中には、後進国の貧弱な体つきの未開人に対する侮蔑がいくつもみてとれる。おそらく著者の実体験だろうが、憤慨せざるをえない。
・英国人気質、国力を背景にした国民個々の裏付けのない自信。それに大口をたたく大衆が他国民を見下す態度が強く印象付けられた。
・ツェッペリン飛行船のロンドン市街空爆シーンは、描写が細かく迫力に満ち溢れていた(p291~)。これも体験に基づくものだろう。

「伊太利を見ないうちに、病気や爆弾で死ぬのはいやだ」(p313)結核の身をおしてフィレンツェへ旅立つ高樹(≒澤木四万吉)の姿。目的を明確にした人生は潔い。もうひとりの友人、茅野(≒郡虎彦)はロンドン市内の茶店の若い日本人女給を追いかけまわし、破綻し、海岸地方へ転居するのだが、空回りする人生も「戯曲的」なら、それで良いのではないか。
柘植は思う。同郷二人の積極的な人生に比べて自分はどうであろうか。ラスト、ロンドンを旅立つ理由が二人のそれと比べてあまりにもネガティブなものである。だが、その哀れみを自身に向けることも、畢竟、人生の糧となるのではないだろうかと、僕は柘植ならびに鬼籍の著者にそっと告げたい。

倫敦の宿
著者:水上瀧太郎、中央公論社・1935年5月発行
2019年12月15日読了
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倫敦の宿 (1955年) (角川文庫)
水上 滝太郎
角川書店
1955


ヴィクトリア女王、ウィリアム・モリス、シャーロック・ホームズ、ビートン夫人、コックニー、建築、アフタヌーンティー、食、シェリー酒、V&Aミュージアム。われわれ日本人になじみ深い事物も、あまり知らない事柄も、これらイギリスを知るキーワードはヴィクトリア女王治世下で出現し、瞬く間にアメリカ、そして世界に広まっていったことが、君塚直隆、東山あかね、新井潤美、小関由美をはじめとする執筆陣によって紹介される。
・ヴィクトリア女王のダイヤモンド・ジュビリーを記念したアルバムが現存するという(p62,65)。一度でいいから見てみたいな。
・ヴィクトリアン・スタイルの建築物。興味をそそられるその外観と内装の特徴は第6章に詳しい。「ヴィクトリアン・フロアスタイル」(p123)は現在の日本でも十分に通用すると思う。
・グレート・ゲーム。この言葉がキップリングのKIMから広まったとは知らなかった(p74)。
・あこがれのアフタヌーン・ティ。お茶を注ぐ瞬間のコミュニケーション(p147)。現存するヴィクトリア朝時代の邸宅を改造したホテル(p153)でいただければ、より楽しめそうだ。
・ヴィクトリア&アルバート博物館。万国博覧会のコーナー(p201)は僕も訪れ、当時の熱狂が目の前に甦りそうな体験に興奮したことを覚えている。本書によると、ここは世界で初めてレストランを併設し、これも世界初の瓦斯灯が設置された博物館であるという。モリス・ルームにヴィクトリア女王専用のトイレに、ヴィクトリア女王生誕200年を記念しての小冠(p8)……ここは何度訪れても新しい発見がありそうだ。

どの章もポイントがわかりやす記述され、良く知らなかった事柄も興味深く読み進めることができた。
巻末に、より深く理解するための関連図書も億録を付けてくれたらなお良かったんだが……贅沢か。
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人間のみならず、およそ生けるもの全てに過酷な運命を強いる地、アフガニスタン。19世紀末のこの荒れた山岳地帯で、なお孤独に活動するはイギリス帝国、そしてロシア帝国のスパイである。グレート・ゲームに身を投じた男たちの執念の残滓が、9年の時空を超えて、パリ、そしてロンドンで火花を発する。
パリ、ノートルダム寺院を臨むカフェで、東洋風の風采の怪しげな人物と邂逅するアイリーンとネル。近づいてくる男の口から自分の名前が発せられた瞬間はさぞかし驚いたであろうが、それは新たなる冒険の序曲にすぎなかった。
パリ近郊・ヌイイのゴドフリー邸から出でてパリを駆け巡るアイリーンとネル。そして物語はロンドン、ベーカーストリート221B番地へ!
上巻17章で、ワトスンと「憂鬱な」パーシー・フェルプス氏との会話に登場するは、アフガニスタンでの「マイワウンドの戦い」だ。物語はホームズ正典の『海軍条約文書事件』とクロスし、面白さが急激に加速する!
・モンマルトルで話しかけてきたトゥールーズ=ロートレックの絵画を買い、劇場の楽屋で両腕にヘビを巻きつけたサラ・ベルナールとその息子と会話し、彼女のパーティ会場で「アイリーンを指名」してきたロシア皇后マリア・フョードロヴナに謁見し、歌曲を披露する。数々のエピソードが物語を盛り上げてくれる。
・モンマルトルの丘を行くアイリーンの「ナイルグリーンとティーローズのストライプが入った『ウォルト』のドレス、バラの刺繍の裾、帯状のアイリッシュレース」に、ボン・マルシェ百貨店で買ったというネルの「青とクリーム色の軽いウール地のドレス、真っ赤な幅広の飾り帯」(上p180)サラ・ベルナール邸でのネルのパーティドレスは「ナイルグリーンのチャイナクレープ地に黒いウォータードシルクの飾り帯」、アイリーンの『ローズ・デュ・バリー』のドレスは「黒いベルベッドのドットを配したピンクのチュールで覆われ、両肩、バッスルには先端に金色を配した黒のリボン」(上p209)、そして『ティファニー』のダイヤモンドのネックレスとブレスレッドなどなど、女性作家らしく、ファッションの描写はこまやかだ。当時の服飾の華やかさが垣間見られるようで、これは愉しい。
・ワトスンが肩と足の両方に銃弾を受けたことになっているのは、ホームズファンへの愛嬌? 「足の傷」の解釈はおもしろいが、銃創と〇傷とでは異なるから、少し無理がある。
・「その人の……プライド」(下p118)そう、それは大切なものだ。
・アフガンの現場で手に入れた「裏切りの暗号用紙」が、9年後のロンドンで、恩人のジョン・ワトソンを危機に陥れる。知らぬは本人ばかりなり。
・下巻、「あの男」の登場には驚かされたが、なるほど、こうやってホームズ物語につながってゆくんだな。
・「そんなの誰にだってできるわ!」「もちろん。でも、実際にやろうとする人がいる?」(下p157)この探求心、大事です。
・「そのとき私は悟った。自分自身が列車なのだと。人生という線路が……それらは旅を加速させ、驚きに満ちた……おもしろいものにしてくれる」(下p234)僕もこのように意識して生きたいものだ。

ヴィクトリア朝時代のロンドンに顕現した男の気概と女の心意気を愉しめたが、ラスト・34章は中途半端。33章で終わったほうがすっきりしていたのかもしれない。31章から33章の内容が良かっただけに、この歯切れの悪さは残念だ。

カバーイラストが前2作『おやすみなさい』『おめざめですか』のマツオヒロミさんからアオジマイコさんに交代し、作品イメージが「麗しき美しさ」から「妖艶さ」に変わったような気がする。

IRENE AT LARGE (A SOUL OF STEEL)
ごきげんいかが、ワトスン博士 アイリーン・アドラーの冒険(上巻・下巻)
著者:Carole Nelson Douglas、日暮雅通(訳)、創元社・2019年6月発行

明治期の渡欧者の「志」と「行動力」はずばぬけている。官費留学生、新聞特派員、私費での漫遊者など立場は様々だが、神経衰弱に陥ったとされる漱石とて例外ではない。明治から昭和初期にかけて倫敦に渡った数多の日本人。本書は、彼らが見て、感じて、理解したその表象と意味を探求する。
・和田博文さんによるプロローグは実に興味深い。1928年になっても日本のイメージは「ミカド、マダム・バタフライ、人力車、ゲイシャ、富士山」だったとは驚愕だ(p56)。さすがにサムライはないが、国際連盟常任理事国なのに……。

「Ⅰ大英帝国と近代日本」では博物学、交通、ジャーナリズム、婦人参政権運動などをテーマに、日本人とロンドンの関わりが論じられる。
「Ⅱ日本人のロンドン体験」が本書の中心。実に30名ものロンドン体験が紹介される。はやくは公使の森有礼、地涌民権運動をリードした馬場辰猪、矢野龍渓、夏目漱石。彼らは「自己愛に裏打ちされた西洋への並々ならぬ憧れ」と「無謀なほどの実行力」(p197)に満ち満ちていた。
・ホームズ翻訳で知られる水田南陽の見たロンドンの工場。そこでは老若男女がこき使われる「日清戦時従軍の戦争よりも恐ろしき」光景を目の当たりにする。自国民までも酷使する大英帝国の圧倒的な力を感じた(p237)。労働党の勃興はまだ先のことである。
・排日激しいサンフランシスコから渡英した牧野義雄。彼は、異文化を理解しようとせず、自国の文化のままに振る舞う態度こそが、排日論者を生み出す一因であることを理解していた。ロンドンに長期滞在し、現地文化に溶け込み、20世紀ロンドンの「霧の画家」として名を成した彼は、祖国日本の独り善がりに陥る様相をどう見たであろうか(p246)。

日英同盟が締結された1902年からは、人の往来もすこぶる活発になる。本書に取り上げられただけでも14人。島村抱月、姉崎嘲風、戸川秋骨、東京朝日新聞社の杉村楚人冠、大阪朝日新聞社の長谷川如是閑、桜井鷗村、富本憲吉、神戸又新日報社の田中龍眉、長谷川天渓、ロンドンで成功した役者・坪内士行、帝国劇場の花形女優・森律子、水上瀧太郎、郡虎彦。文学者、劇作家、新聞記者と肩書は様々だが、日本人がロンドンの地で存分に活躍する様子が誌面から伝わってくる。
・神戸又新日報社の田中龍眉。地方新聞社の彼は現地ジャーナリストの応援を得られるわけでもなく、ろくな地図もなく、つたない英語と「度胸」でロンドンを渡り歩いた、稀有な人物だと思う。フットワーク軽く「身体を移動させながら異文化に出会っていく」(p339)は、僕の理想とするところだ。
・1910年に開催された日英博覧会は、二つの帝国の姿を衆目に晒す、という点で特筆される。エキゾチズムあふれる日本、かたや洗練された大英帝国。主催者の意図は明らかだ。ただ日本側も展示館に「アイヌ」「満鉄」「朝鮮」を配置することで、自らの帝国のカタチを示したといえよう。あと、英国人が石灯籠を「戦争で死んだ軍人の墓」と思い込む逸話は面白い(p351)。
・旅行者ではなく、市民になり切ってロンドン生活を楽しむ岡本かの子。しかし彼女の眼には、インドやアイルランドの「支配」を当然のこととするイギリス人の態度が鼻につくようで(p481)、印象に残った。島村抱月も、渡欧航海中に香港で見た、仕事を求める中国人労働者をステッキや棒で殴りつける船客たちをみて悲しんでいる(p275)。

第一次世界大戦が終結すると、英国の意図に反して東アジアで膨張を続ける日本への不信感は高まってゆく。日英同盟は解消され、糸の切れた日本軍部は満州に目を向ける。かたや英国では労働運動、婦人運動、政治運動が活発となる。矢内原忠雄、西脇順三郎、河合栄治郎、岡本一平、本間久雄、福原麟太郎、岡本かの子らは、何をどう見て感じたであろうか。
・各国の労働者階級にみなぎる帝国主義的思想(p440)。マルクス主義を研究する河合栄治郎がロンドンで肌に感じた人種的偏見、帝国主義的思想は、時代が急激に戦争に傾き始めた兆候であったろうか。
・漱石を崇拝し、岡倉天心を賛美し、上田敏を好きとする福原麟太郎の言葉が印象に残った。「思うに真正の文明批評家は、文明の予言者でなくてはならないし、また一方一芸に透徹せるアーチストでなくてはならぬ」(p472)

満州事変から迷妄を加速しはじめた日本。天津租界封鎖事件(p492)は英国人の感情を決定的なものに変えた。伴野徳子、野上弥生子ら、この時期に訪れた日本人は厳しい視線=あからさまな反日感情に晒される。
・英国人との集まりで満州事変に話が及んだら「まず日本の政策を忌憚なく批判し、次いで日本の立場を説明する」ことを、河合栄治郎は処世術とした(p488)。
・ピカデリーには「日本人お断り」の看板を出す店まで現れた。それでも「国家と個人とは別であるという概念」で行動する英国人の存在を、伴野徳子は確認している(p502)。国家と個人、民主主義の概念は、彼の地の市民をここまで熟成させていた。一方の日本では、デモクラシーという考え方はすでにタブーであり、親英派の官僚は自由主義者として排斥されつつあった(p507)。この閉塞感には絶望させられるな。

「Ⅲロンドン事典」は、ロンドン塔、セント・ポール寺院、サヴォイ座、日本料理店・常盤、ヴィクトリア駅など、104か所のスポットが解説される。

本書には、ロンドンの日本人・日本人社会地図(p170~185)、ロンドン・パリ・ベルリン在留日本人数(p13)、日本人会、日本人経営旅館・日本料理店(p28,35)、ロンドン在留日本人職業別人口リスト(p50)、倫敦諸船渠概観(p75)など資料・図版も実に豊富。開国から昭和初期までの日本人とロンドンの関係を垣間見られたようで、ロンドンと日本人の関わりを識るに有意義な一冊といえる。

言語都市ロンドン1861-1945
著者:和田博文、真銅正宏、西村将洋、宮内淳子、和田桂子、藤原書店・2009年6月発行
2019年11月4日読了
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言語都市・ロンドン―1861-1945
和田 博文
藤原書店
2009-06-25

元英語教師の留学生、27歳の新波征治は、東京に残した最愛の女性が知らない男と結婚したことを知る。失意の彼を下宿に訪問してきたのは、ロンドンの大学で出会ったドリス嬢だ。夜な夜なパーティに明け暮れる富裕層の若者たち、ブライト・ヤング・ピープルの世界に足を踏み入れたセイジの、秋から冬にかけてのロンドンを舞台にした物語。霧に包まれる秋の街。クローシェ帽と紫色のドレス、ダンス、ジャズ、ジャポニスム、深夜の温水ナイトプール。自動車、電話、写真機、タイプライター。伝統的価値観と新しい女性運動の衝突。社会主義、イタリアに現れたファシズム、世界不況に株価大暴落、そして蔑みの「ジャップ」。ここに、躍動する毎日がはじまる。
・はじめてのパーティ会場。香水の香りと酒の匂い。経験をしたことがない高揚感が身体中を走る。「バンドの演奏で手足を投げ出すように踊るドリス」(p59)。「僕は見よう見まねで手足を動かした」(p57)そして朝帰り。昭和四年の日本人にとって、この体験は衝撃的だったろう。
・国際感覚を磨くこと。「英語が唯一の国際語ですよ」(p72)アジアの覇権を目指す日本にあっても、セイジはわかっているじゃないか。
・ヴァージニア・ウルフ宅を訪問し、コートに身を包む経済学者のケインズを見かけ、街のベンチで『パリ・ロンドン放浪記』のジョージ・オーウェルと実験的な会話を交わし、パーティーでマクドナルド首相と邂逅する。そしてドリス嬢を訪ねたラドローの街で、セイジはついに理解する。「これが僕の英国留学だ」(p238)
・ラストシーンは意外とあっけないが、日本人形を頭上に、セイジの名を叫ぶ××の姿は涙を誘う。いまは辛くても、彼女に幸あらんことを願う。
・「確かなのは人生は待ってくれないってこと」(p28)その通り。「これから、世界が一体どうなるのか、見届けましょうよ」(p204)

ロマンスは淡泊、ミステリー要素は皆無だが、1920年代末の多様なロンドン模様が盛り込まれた一冊。タイトルに惹かれて購入したが、なかなかどうして、興味深く読ませてもらった。ロンドンとラドローでのワンシーンを描く、尚美さんのカバーイラストも良い。

倫敦1929
著者:杉浦ノビイ、ブイツーソリューション・2019年8月発行
2019年10月19日読了
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倫敦 1929
杉浦 ノビイ
ブイツーソリューション
2019-08-10


『xieシエ』
中国の伝説の生き物を飼うとしたら、その資格は何だろう。そして幸せって何だろう。「たった一日で、シエは乾いてしまった」(p43)とあるのは、親しい人の死に行くと同じ。思わず涙が滲んだ。

『マダムの咽仏』
男とオカマ。二つの人生を見事に生き抜いた人物像はすがすがしい。「裏山を駆け降りて、まっすぐに、力いっぱい歩いてきた男の目だと思った」(p153)僕もこのように力強く齢を重ねたいと思う。

『零下の災厄』でおおいに笑わせてくれた後、最終作『永遠の緑』では、暖かで心地よい涙を誘ってくれる……。これぞ小説、これぞ人生……浅田次郎の短編集は最高だ。
他に表題作『姫椿』、青春のメモリーと現世がクロスする『オリンポスの聖女』『再会』、悲喜こもごもな『トラブル・メーカー』を収録。

姫椿
著者:浅田次郎、文藝春秋・2001年1月発行
2019年10月12日読了
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姫椿 (文春文庫)
浅田 次郎
文藝春秋
2003-09-02



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