男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

書籍・雑誌

戦前昭和の良き時代、1931年の女学校の華やかさが実に良く醸し出されていた『昭和少女探偵團』の待望の続編。表紙画はマツオヒロミさんです。
・第一話「雨傘のランデ・ブー」は、校内で忘れ物を発見した主人公がミステリアスな友人の家を突然訪ね、その佇まいに驚き、そこで二本の濡れた傘を発見し……な、前作の紹介を兼ねたライトミステリ。頭脳明晰な友人ならずとも謎の答はわかるのだが、鈍感な主人公、花村茜嬢の推理につきあうもまた楽し。くつくつと笑う"僕っ娘"夏我目潮嬢のしぐさも実に魅力的だ。でも、「読書もまともに出来なんだ」(p44)って、どうかなぁ。(出来ないんだ……ならわかるが。単なる脱字?)
・"制服"は、当時は"校服"と呼ばれていたのか(p50)。
・茜の親友には"エス"のお姉さまがいて……第二話「すみれ色の憂鬱」は"うぶ"で華やかな女学校生活と隣り合う、昭和の貧民の姿が垣間見える。「彼女は空腹よりもずっと、孤独に苦しんでいたのです」(p111) ミス・クサカベの苦悩は心に残った。
・第四話「D坂の見世物小屋 嫉村興行舎の愉快な仲間たち」は、まずタイトルに興味を惹かれるが、子爵令嬢・紫も登場する大活劇となっている。しかし「ずべ公」って、すごい言葉が飛び出すな(p206)。……そして顕現する〇〇共産党の工作員……。「……は、どうしてそう何から何まで無茶苦茶なんだ!」(p278)
・昭和七年、きな臭くなる国際情勢。「正しい」とはなんなのだろうか(p307)と少女は思わずにはいられない。

第三話「群青に白煙」は、作風ががらりと変わり、前作で登場した警視庁部長刑事、鬼頭の視点で物語が進められる。昭和恐慌(大学は出たけれど……)、エロ・グロ・ナンセンス、不純異性交遊、人生経験の重み。「世俗に染まれぬのなら心の中で理想を飼い続けたとて」(p181) うん、良いな。このエピソードがシリーズで異彩を放ち、完成度はピカイチだと思う。(ちっとも昭和少女していない話ではあるが。)
さらなる続編を希望します。

謎が解けたら、ごきげんよう
著者:彩藤アザミ、新潮社・2019年9月発行
2019年10月5日読了
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1920年代の戦間期のみならず、明治後期の日本の若者のフランス志向とその文化への憧憬は、インターネットと電子機器に囲まれたわれわれ現代人の想像をはるかに超越したものがある。
・最盛期の「明星」を縦横無尽に造り上げた与謝野鉄幹の才能! 時代の先端を行く「フランス文芸」の翻訳をいち早く掲載するだけでなく、活字フォントのサイズを巧みに変えて、言葉の響き、ささやき、谺(こだま)を誌上にあらわし、読者の想像力を書き立てる手腕は、一流の雑誌編集者・WEBデザイナーに通暁するものを感じる。文芸と美術の融合という点でも素晴らしい。
・ときはフランス印象派の隆盛期。彼の地の芸術家が「江戸趣味」「浮世絵」に熱中し、本邦の若者(と言っても富裕層と中間層)が「フランスかぶれ」となる傾向には興味深いものがあるな。
・パリの「芸術運動の重なる一要素」である「カフェエ」など東京に存在しない。ならば似たものを探そうと「パンの会」が結成され(p100)、フランス趣味とならんでエキゾチズムとしての江戸趣味が「江戸情緒的異国情緒的憧憬」として捉えられていたのが興味深い。
・「群衆に湯あみする悦楽」「群衆に立ちまじって在る酩酊感」を愉しむボードレールや与謝野晶子に対し、永井荷風はモンマルトルでの孤愁と「女」を愛した(p125)。だから『ふらんす物語』は、いま読んでも面白いのか。
・パリでドビュッシーやダヌンツィオに会い、名優と夜を徹して語り合った日本の文人たち(第6章)。なんてアグレッシブなんだ。
・与謝野晶子『みだれ髪』、上田敏『海潮音』、石川啄木『一握の砂』、永井荷風『腕くらべ』 これらを読む気にさせられた。幸い、手元にあるし。
・戦前日本において「個を圧殺する多数決を善しとしなかった」(p194)アナキスト大杉栄の姿勢は、いまの日本でこそ重要な意味を有すると思う。

「日本語そのものの品格。これは、外国語の流入に直面した明治から二十一世紀の現在までいまだに解決をみていない問題である」(p20)
古語の憂い、文語の威。美文、雅文、躍動感に富んだ口語体(p189)。それらが明治を経て大正期に「新しい日本語」として定着する様相を追うことが、本書の隠された主眼である。西条八十、北原白秋に代表される新しい童謡と昭和の歌謡曲を経て、アメリカ語が席巻する平成グローバリゼーションをわれわれの日本語はついに内包した。権威を離れて、有名人という流行の律動(p249)の傾向はますます加速するだろう。令和の時代に日本語がどう変容・進化してゆくのか、興味深いところではある。

「フランスかぶれ」の誕生 「明星」の時代1900-1927
著者:山田登世子、藤原書店・2015年10月発行
2019年9月29日読了
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アーネスト・ヘミングウェイと、彼の『日はまた昇る』の主人公ジェイクの足跡を求め、現代のパリを歩く、見る、味わう。数多くのアメリカ人ボヘミアンが芸術談議に花を咲かせる左岸のカフェ、いまも変わらぬ緑の輝きを提供してくれるリュクサンブール公園、モンパルナスの輝き。そして、昼日中の喧騒が嘘のように静まり返ったオペラ・ガルニエの夜。「彼ら」の足跡を追ううちに、1920年代のパリに没入する心地よさを愉しめる。
・戦間期パリにおけるヨーロッパ文化の薫り。それはアメリカから一人の若者を惹きつけ招き寄せることとなる。22歳のヘミングウェイは新妻を伴って新聞記者としてこの地にやってきた。昼間は記者として右岸=表のパリで働き、夜は作家になるという野心を静かに燃やし、左岸のカフェに居場所を据える。有象無象の芸術家との出会い、そして街の空気が、シングルモルト・ウィスキーのように、ゆっくりと作家の魂を熟成させる。
・モンパルナス、カルチェ・ラタン、サンジェルマン・デ・プレ、セーヌ河のほとり。ヘミングウェイがいたパリが現在でも健在なのに少なからず驚かされた。次のパり旅行ではぜひ訪れてみたい。
・ヘミングウェイの手にかかると、一片の新聞記事ですら文学作品に昇華される。セーヌ河の描写は見事だ(p48)。
・不夜城のパリ。その夜をセーヌにかかる橋を眺めずしてパリを去るのは惜しい(p95)とは、まさにその通りだと思う。

旅に必須ではないが求められるもの、それは好奇心のエネルギーだ。1920年代から100年近くたった今でもそれは変わらない。僕もそのエネルギーを失わないでいたいと思う。

ヘミングウェイのパリ・ガイド
著者:今村楯夫、小学館・1998年12月発行

現地人居住区で凄惨な殺人の犠牲となったのは、インド帝国の白人高級官僚。それも娼館に隣接する路地でのことである。群衆の見守る中で現場検証を行うは、インド帝国警察の警部ウィンダムと、インド人青年にして帝国警察採用試験上位三名内の成績を持つ部長刑事バネルジーのコンビだ。二人は急遽、警視総監に呼び出される。異例尽くしの捜査命令、したたかな娼館の女主人、介入する軍の諜報機関、不穏な雰囲気を醸し出す現地の独立運動……。
48時間を過ぎてもいっこうにつかめない事件の手がかり。被害者の秘書アニー・グラント嬢、ジュート王、牧師、ベンガル副総督。誰もかれもが何かを知っているのではとの疑念は膨れ上がる。突如命じられた郵便列車強盗殺人事件。時期を同じくして起きた二つの事件は、重要なリンケージを持ち……。前半はユーモアを交えつつ、政府高官殺人と列車襲撃事件の容疑者「テロリスト」センの逮捕劇。後半は「愛国者」センの供述にはじまる、イギリスとインドの確執の物語。センは本当に犯人なのか?
「苦労好きな」イギリス人が作り上げた人工の交易都市、高湿・高温のカルカッタを舞台に、物語は少しずつ動き出す。
・20世紀になっても、多くのインド人はヴィクトリア朝時代の英語を使用していたとは、なかなか興味深いな(p121)。
・ベンガル・ルネッサンス(p135)の華やかさと誇りはどこへやら。アニー・グラント嬢に代表されるインド人とイギリス人の間に生まれた「アングロ・インディアン」の存在と、その哀しみが伝わってくる。
・インド人3億人に対し、現地のイギリス人はわずか15万人。支配する者とされる者。白人の優位性幻想と支配原理。アイルランド出身イギリス人の言葉は、ウィンダムにどのような印象を与えたのだろうか(p173)。
・カルカッタの名門出身にしてケンブリッジ大学卒のインド人、バネルジー刑事部長も好人物。警部のジョークを理解できず「理屈」で返答したり(p227)、女性への接し方がまるで子供だったりと、なかなか憎めない。
・「真実にたどりつきたかっただけだ。そういう意味では古い人間なんだろうな」(p402) 額に拳銃を突き付けられながらも、こういうセリフを吐ける男になりたいな。

後半、ウィンダムが自分を問う展開(p260-261)は、同時にイギリス人によるインド統治の根幹を揺るがすものだ。良心に自分を問うとき、それは正義への道となる。
イギリス支配に反感を抱く「愛国者たち」が非暴力運動に転じ、その日暮らしの貧しい民衆の支持を得ると何が起こるのかを、われわれは十分に知っている。だからこそ、戦間期の彼らの苦闘こそ、本書の影の主役であるともいえよう。歴史ミステリの傑作!
ウィンダム警部とバネルジー部長刑事のコンビはまだまだ活躍しそうで、続編が実に楽しみだ。

A RISING MAN
カルカッタの殺人
著者:ABIR MUKHERJEE、田村義進(訳)、早川書房・2019年7月発行
2019年9月12日読了
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平安の皇族・貴族の世から鎌倉幕府の世へのうつろいの中、その晩年に京を見晴るかす大原は方丈庵に居を構えた鴨長明の半生に照らしての、これは著者、堀田善衛自身の物語である。
・太平洋戦争末期、3月10日深夜の東京大空襲を生き延びた堀田は、翌朝、焼け跡の真ん中にピカピカの乗用車でやってきて、多数の軍人を引き連れて「そこに」立つ昭和天皇の姿を目撃している。彼の目にしたものは、昭和天皇を含む権力者が始めた戦争によって死に瀕したにもかかわらず、「現人神」に伏して詫びる群衆の姿である(p59)。理不尽を超越しての感情の真空状態には、方丈記に示された日本中世の被災地獄が連なってみえてくる。平安朝の貴族社会と隔絶した「濁世」を鴨長明とともに掘り下げる堀田は、そこに、現代にまで連綿と続く日本の「業の深さ」を発見するのである(p232)。
・古典が活かされるとき、それは歴史が大きな転換をしようとする時である。そも、一般市民にとっての歴史とは、たとえば義経、頼朝、平家といった名の通った存在ではなく、よくわからないままに過ぎ去ってゆく実状実態「とき」「こと」「ひと」こそがそれである。歴史の転換のただ中に放り出された人々の心の持ち方は、古今東西変わることがない。生きた人間にとっての古典の価値がそこに現れる(p82,98,107)。
・堀田は述べる。概念世界を構築するものは観念ではない。それは「言葉」である(p137)。
・それにしても、なんにでも興味を示し、文学のみならず音楽の才能も併せ持ち、フィールドワークを好んで実践した男、鴨長明。実に魅力的な人物だ。
・巻末に収録された堀田善衛と五木寛之の対談(1980年9月)も実に興味深い。

個人的体験は歴史に勝る。濁世を直視する二人の男の存在を、しかと見た。

現在の日本で顕著な「責任と無関係な政治体制」は、平安時代に完成したことが明確に示される(p61,100)。
「天皇制というものの存続の根源は」と堀田は言う。生者の現実を無視し、政治のもたらした災厄を「人民は目をパチクリさせられながら無理矢理に呑み下さされ、しかもなお伝統憧憬に吸い込まれたいという、われわれの文化の根本にあるものに根付いているのである」(p221) デモクラシーとは程遠い日本の「平伏市民文化」の根は深いわけだ。
 その昔、庶民と隔離された平安貴族社会の生み出した、現実を無視した「伝統への憧憬」は「一九四五年のあの空襲と飢餓にみちて、死体がそこらにごろごろしていた頃」にも、「神州不滅だとか、皇国ナントヤラとかいう」ばかばかしい話が誇張され、日本文化の雅やかな伝統ばかりが、ヒステリックに憧憬されていたという(p220)。滑稽な話ではあるが、当時は真剣だったんだろうな。悲喜劇。
この思想が現在にも受け継がれ、強化され、この2019年の日本社会、特に政治体制を彩っている現状(もはや隠そうともしない)には目がくらむが、それでも生きてゆくしかない。

方丈記に「世にしたがえば、身くるし。したがわねば、狂せるに似たり。……しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」とある。現代日本・2019年の現実は、世にしたがえば狂せるに似たり。したがわねば、身くるし、といったところか。

方丈記私記
著者:堀田善衛、ちくま書店・1988年9月発行
2019年9月2日読了
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方丈記私記 (ちくま文庫)
堀田 善衛
筑摩書房
1988-09-01


人が幸せになるってどういうことだろう。人生の分岐点を成功側に導く勇気。そんな勇気をあたえてくれるちょっとしたキッカケさえつかめれば……。
勇気を持てずにいる財務担当社員、不倫関係に悩む女流作家の卵、過去の人とみなされた調香師、それに変革に踏み出せないでいるブルジョワ男性。本書は、様々な境遇で悩ましき人生を送る老若男女が、ふとしたことから「黒いフェルト帽」を手にし、運命を切り開いてゆく様を描写する。
・きっかけは偶然の出来事だった。ブラッスリーで牡蠣にビネガー・ソースを数滴たらし、その男の声を聴く。「私は先週それをヘルムート・コールに言ったんだが……」隣接するテーブルに大統領がいる! ダニエル・メルシエの奇妙な運命はここにはじまり、
"置き忘れた"帽子は、ファニー・マルカンの人生をも劇的に変えてしまった。
・ピエール・アスラン。一世を風靡しながら、時代に忘れられたスター調香師の現在の姿はみじめだ。彼もまた帽子を手に取り、人生を変えてゆく。到来した偶然のチャンスを引きずり掴むその強さを、僕も持ちえたいものだ。
・後半に登場するはブルジョアのベルナール氏だ。古い価値観にしがみつき、晩餐会での左派を呪うお決まりの会話に、お決まりの食事、旧弊を美徳と思い込み、世に背を向けることで自分を正当化する一群の人々の中に、彼もまた埋没するのか。だが彼は時代と向き合うこと(p153)を知り、行動した。すがすがしいほどの共感を得られた気がする。

「……自分の運命に立ち向かい、果敢に行動していかねばならない」(p174) 仮に帽子を手にしなければどうだったのだろう。きっかけは何であれ、彼らはそれでも、チャレンジ精神を発揮していたと信じたい。
それにしても、ミッテラン氏の懐の広さは見事。そしてシーフード・プレートと白ワインの描写も見事。今度パリへ行ったときに試してみよう。

LE CHAPEAU DE MITTERRAND
ミッテランの帽子
著者:Antoine Laurain、吉田洋之(訳)、新潮社・2018年12月発行
2019年7月28日読了
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ミッテランの帽子 (新潮クレスト・ブックス)
アントワーヌ ローラン
新潮社
2018-12-26

ハートフルな物語が13編。どれも気楽にサクサクと読み進められる。
内容の濃さではボリューム的にも『アンサンブルコンテスト』(p278、質量を持った達成感!)だが、心に響いたのは、最終章の『飛び立つ君の背を見上げる(D.C.)』だ。卒業式の朝の"ほろ苦さ"と"友情への感謝"。手紙に託す思い。涙は語るためにある。喜びを語るためにある。
そして冒頭の『飛び立つ君の背を見上げる(Fine)』を再読すると、みぞれの笑顔の意味の深さがじんわりと伝わってくる、素晴らしい仕掛けとなっている。
「ほんまアンタら仲ええなあ」(p19)そう、彼女たちのこの関係が長く続くことを願って、本書を閉じることとしよう。

響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のホントの話
著者:武田綾乃、宝島社・2018年4月発行

魅力あふれる「響け!」シリーズの集大成。これで最後かと思うと読むのを躊躇するが、ああ、それでもページを開かずにはいられない。フィナーレに向かって一行一行を大事に読み進めます。
・みぞれの通う音大でのコンサート会場。「いいよ。わたしはこのままで」と、首を横に振る希美の姿がとても切なかった(p84)。
・関西大会出場前のオーディション選考結果発表は地獄絵図。自身の結果にうろたえるヒマもなく、「百人分の喜怒哀楽」(p123)を背負って、久美子は部長としてすべてを受け止めなければならない。彼女の、部内に芽生え始めた不協和音を吹き消す様はみごとだ。
・宇治川の堤防を眺めながらの麗奈との口論は、久美子にとってどんな意味を持つのだろう(p186)。このシーンはきついなぁ。
・「手のひらににじむ汗」(p231)、関西大会の終盤、全国大会出場三校の発表の場での緊張感は尋常ではない。ここは僕も手のひらに汗を感じた。
・「正しい人」(p322)、僕もこうありたいな。
・久美子のメッセージは群を抜いており、感動的ですらある(p325~)。後悔をしないという選択。そして、最高の舞台へ……その先へ……。

瞼の裏で涙をぬぐう。そんな青春を超えて未来へつながるハーモニー=久美子たちの物語に最高の称賛を送りたい。著者様に感謝の思いを込めて「金賞」です。

響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、決意の最終楽章・後編
著者:武田綾乃、宝島社・2019年6月発行

昭和最大の未解決事件の記憶は遠く、すでに30年以上もの時が経過した。だが少年の、母親の人生はいまも確かにあり、その傷跡は深く、惨いままにある。
本書は、社会を震撼させたグリコ・森永事件を題材に、見事に「家族のありかた」を大胆に、繊細に描き切る長編だ。
・冴えない文化部の記者、阿久津英士が昭和の未解決事件『ギン萬事件』のスクープをものにする愉楽。物語はそこにとどまらずに、「人間」の有様を映し出してゆく。
・平凡「だった」京都のテーラー、曽根俊也の調査と阿久津の取材が小料理屋『し乃』でクロスし、31年越しの謎が一枚、一枚と解明されてゆく。特に「キツネ目男」の正体に肉迫する件には、興奮を覚えずにいられない。
・「真実は時に刃になる」(p387)そしてイギリス、ヨークミンスター大聖堂前での「犯人の告白」は一気に読ませてくれる。社会民主主義、新自由主義、戦争で一丸となる大衆(p417)。ああ、ヒトってこんなものだ。「既に太陽の姿はなく、残り香のような淡い輝きが目に染みた」(p442) 阿久津の吐息が紙面を超えて伝わってくる。
・未来につながる記事(p452)。それは一縷の希望か、絶望の中の救世か。

「幸せは何かと問えば、どんな答えが返ってくるだろうか」(p505)驚きと興奮の535ページ、存分に読ませてもらった。
「理想の社会」それは世の中を変えられるのか。否、「家族」こそ不変の理想である。

罪の声
著者:塩田武士、講談社・2019年5月発行
2019年6月25日読了
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罪の声 (講談社文庫)
塩田 武士
講談社
2019-05-15


南アフリカ戦争にかろうじて勝利し、第一次世界大戦が勃発するまでの狭間、日本では日清戦争と日露戦争の間にあたるエドワード朝英国のロンドンに公使、大使として長期滞在し、彼の地の有力者との人脈を築いた大日本帝国第24代首相、加藤高明。本書は、加藤が当時の英国の社会・政治情勢を幅広く見聞した経験に基づき、その概観したところを日本のそれと比較しつつ述べた「時事新報」紙の1912年の連載記事とともに、国家学会および慶應義塾での講演を収録する。
・英国人の長所が数多く述べられるが、その本質は、彼らが"個人の自由"とともに"秩序とオーダー"を重んじることにあり、これが加藤の理想とするところとみえる。
・議会政治、ロイド・ジョージ首相の「人民予算」、婦人参政権運動、国防、民主主義、タイムスに代表される第一級の新聞記者の品格、労働問題、社会主義勢力への応対の仕方、手紙を書く習慣など、話題は多岐に渡る。晩餐会・夜会・舞踏会への言及も興味深い。
・貴族制社会と四民平等の考察には考えさせられた(p172)。分相応が一番か。
・英国人は、その目的の達すると否とにこだわらず、自己の職務と決めたことについては勉励して決して怠らない美質を備えている。日本人も見習うべしとある(p129)。これは世界規模で公式・非公式の植民地帝国を築き上げた彼らの気質に通じるところがあるな。

ブリティッシュ・マインド。明治の国難を切り抜けた大人物の英国観は参考になったし、おおいに鼓舞されたようにも思う。ただ、加藤高明の負の遺産として、第一次世界大戦後、英国の利権を十分に知りつつも、あえて対華二十一か条要求を突き付けて英米に強い警戒心を抱かせ、ひいては日英同盟の終焉を招いたことを思うと、残念でしかたがない。

滞英偶感
著者:加藤高明、中央公論新社・2015年2月発行
2019年6月16日読了
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滞英偶感 (中公文庫)
加藤 高明
中央公論新社
2015-02-21

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