男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

書籍・雑誌

[かつて携帯の無い時代があった]
大人にとっての「携帯できる電話機」も、子供にとっては「ケータイできるITツール」、ですか。なるほどなぁ。この認識差が世代間の隔絶につながるわけですね。
思い返すこと13年前、仕事で初めて触れた「携帯できる特殊な」無線電話機は、本体が百科事典1冊分の大きさのショルダータイプで、送受話器が昭和の映画に出てくる「黒電話」そのもののカタチでした。初めて通話した感想は「高速道路の高架橋の上から電話できる。スゴイ!」の一言でした。もちろん、ノイズ混じりのアナログ方式で、連続通話時間は1時間に満たなかったと思います。
それがいまや、300万画素・光学ズーム式のデジカメを内蔵し、フルカラーLCDで動画もOK、着ウタ・WEBブラウジング、GPS内蔵、指紋認証機能まで実現するとは、想像すらできませんでした……。
僕の世代(30台後半)にとっては、携帯の普及は「便利な世の中になったナァ」なのですが、いまの中高生にとっては物心ついたときから存在したものであり、このあたりにジェネレーションギャップを感じます。

[メディア・リテラシー]
公立の小中学校にIT環境を整備する2000年の「eJAPAN構想」のもと、ハードウェアは国の威信をかけて急速に整備された。しかしモラル、リテラシーをはじめとするソフトウェアに関しては、国としての方針がハッキリと示されることなく、結局は民間の後追いとなってしまった。
しかもハードウェアにしても、アメリカのように個々の教室に整備するのではなく、コンピュータ教室にまとめて設置されることが多いそうだ(私立は違う)。昭和の枯れススキ頭脳を持つ年寄リーマン教諭にしてみれば、ネットやPCは「われわれには関係のない、特別な何か」でしかなく、オーディオや自転車と同じく「あって当然のもの」である子供の感覚とかけ離れていることが問題と言えます。

ネット王子とケータイ姫 事故を防ぐための知恵
著者:香山リカ、森健、中公新書ラクレ・2004年11月発行
2005年9月11日読了

日本のモノやスタイル(生活)に憧れ、日本の現代文学、アニメ、J-POPをこよなく愛するいまどきの中国の若者たち。その一方で教科書問題、靖国神社参詣による「反日」の態度を隠そうともしない彼らの心情を、在日30年の中国人学者が解き明かしてくれる。

[国家と個人]
われわれ日本人は日本、または日本政府を指して「国」と呼ぶ。中国人は「国家」と呼ぶらしい。
日本は武士道の国だ。対して彼の国には儒教の精神が根付いており、頂点に国家、その下にそれぞれの首長、地域の長、家族の長に連なり、個人が存在する。国家に代表される組織と個人の関係が根本的に異なるのだ。

[歴史認識]
日本で揉め事が起こった後、片方が誤りを認め、それを素直に謝罪すればたいていのことは片が付く。過去のことは「水に流す」とする。ところが中国にはこの概念は乏しい。過去の加害者が被害者と関係を保つには、いつまでも謝り続けることが重要らしい。
これは中国人同士のみならず、日本国と中国との関係にもあてはまるそうだ。
つまり「過去の戦争については、すでに謝罪した」と発言するだけで「日本人は信用できない」と、こうなるわけだ。
中国の小学校では、週に2回は粗末な昼食を摂らせる。かつて貧しかった時代を忘れないために。また親は、かつて自身やその親の食した貧しい食事の光景を子供に言い伝える。二度と貧しさを体験しないために。過去のことを振り返らず、なるべく美味な食事を我が子に与える日本の家庭とは、根本的に異なる。

これまでの2000年がそうであったように、これからも日本と中国はお互いを無視できない。傲慢にならず、卑屈にならず、良き隣人としてどのように振る舞うべきなのか。そのヒントを与えてもらった気がする。

ほんとうは日本に憧れる中国人 「反日感情」の深層分析
著者:王敏、PHP新書・2005年1月発行
2005年12月4日読了

人生の分岐点・35歳へ向けての準備として「萎えたオヤジにならないためのやるべきこと全部」が書かれているそうです。
年収、フリーターだけではない安サラリーマンの危機、結婚、出産、転居、親の介護、ガン予防、投資とその前提としての貯蓄、等々。
すばらしくわかりやすく書かれています。まぁ、若者向きの指南書としては及第点でしょう。
実践的な内容は、それ相応の実用書(できれば専門書)を読め、と言うことですね。

28歳からのリアル・マネー編
著者:人生戦略会議、WAVE出版・2004年8月発行
2005年10月23日読了

古い大陸欧州の知性。読了後、とっさに浮かんだ言葉でした。

事象から距離を置き、深く呼吸し、沈思黙考する姿勢。歴史の中枢は新大陸に移ったとは言え、過去(劣悪なものも含めて)の蓄積に研磨された感性と怜悧な問題意識が、力で押し通す現在の米帝国とは異なる新鮮な論説を生み出してゆく……。
フランスの国際評論誌、ル・モンドに1998年から2002年の間に掲載されたなかから、厳選された記事が収録されています。
米国の外交専門誌、FOREIGN AFFAIRSと読み比べると面白いのかもしれません。

最後の植民地から未練がましく撤退させられたアルジェリア戦争。栄光の祖国に染みついた、この恥辱の記憶を歴史から抹殺しようと、フランスは国を挙げて取り組みます。驚くべきことに、中学・高校の歴史教員自身が「教育されなかったために」詳細を知らず、また「知らなくて良い」との国の方針に唯々諾々と従っているのです。過酷な植民地行政・「土民」弾圧・虐殺の事実すら「そんな些細なこと!」と片づけられてしまう現実……。一方でナチスについては、生徒の脳髄に徹底して叩き込まれるのです。
なんか現在の日中、日韓関係が穏やかに思えてきました。(双方に多々、問題はありますが。)

最大のタブー「ワーグナー演奏」を実行した世界的指揮者を国家レベルで弾劾する"民主主義国家"イスラエルの恐ろしい姿と、対するパレスチナ・アラブ社会の矛盾を突き崩すのは、あの故エドワード・サイードです。(合掌)

他にも、違う視点から探求した1989年の天安門事件(資本主義遂行のために当局が仕組んだ!)、世界銀行の「第三世界にとってありがたくない」現実、アフリカや中央アジアの資源国家を紛争へと導く「多国籍企業」の実態、等々。
読めば興奮間違いなしの記事が満載です。

実は、これらの記事はすべてWEBサイトで公開されたものであり、その気になれば読破することも可能です。それでも、紙媒体で読む意義があるとの認識に立ち、出版するに至ったと説明されています。同感です。

力の論理を超えて ル・モンド・ディプロマティーク1998-2002
著者:ピエール・コヌザ、ジャン=イヴ・カミュ、エドワード・サイード、他
NTT出版・2003年8月発行
2005年10月22日読了

[新ガイドライン]
古今東西の世界史上で唯一、交戦権を持たない軍隊。それが日本国自衛隊であり、
これまでの解釈改憲(個人的には賛成)と根本的に異なり、1999年5月の新ガイドライン関連法の成立により、憲法9条の無力化が完成したことが指摘されます。

PKO協力法などでは、自衛官が武器の使用する根拠として「正当防衛」と「緊急非難」が明記されていますが、これらは派遣先で活動する自衛隊員に限らず、我々一般市民にも適用される日本国の刑法(第36条、第37条)が適用されているのです。
戦場、または敵国の民間施設を空爆する米軍の後方支援部隊として自衛隊は派遣され、補給活動等に従事するわけですが、後方支援活動だから「戦争当事国ではない」とする詭弁は通用せず、当然、相手国の攻撃対象となります。その際に刑法の遵守が云々、なんて言う暇はなく、結局は部隊行動として、相手国と交戦するハメに陥ります。すなわち、事実上の交戦権の保持となります。
現状でも、上記のような体制に変遷するわけですから、憲法は改正するべきではありませんネ。

[君が代教育]
在日35年になる外国人の目から、君が代教育についての率直な意見が述べられます。曰く、それは自発的な愛国心を生み出すのではなく、若者の潜在意識に恐怖心と服従心を植え付ける、と。私見では、従属心と読み替えた方がよいのかもしれません。

共産主義体制下のチェコスロバキアの例。八百屋の棚先には、野菜と一緒に「万国の労働者よ、団結せよ!」と書かれたプレートが並べられます。それは店主の思想ではなく、政府の指示に従順な、無害な人間であることを示すためなのです。すなわち戦前の天皇礼賛、毛沢東崇拝、金正日体制ほど極端ではなくとも、民衆のお上への従属心を示すシンボルなのです。そしてまた、歌詞の意味を深く考えることなく「"君が代"を唱える」ことも、それと同じであることが明らかにされます。

民主主義国家といえど、政府の意向に逆らっては生きていけない。このことを行間から読みとったとき、あの9.11直後のアメリカ合衆国の行動を思い出しました。少しでも「当局への従順さ」を欠いただけで強制連行されたムスリム住民たちの姿です。まるでセルビア占領下のボスニアの街を見ているようでした。
自分の思想とまったく異なる行動を強制され、とまどいながらも「周りのみんながしているから」と自意識に言い聞かせ、しかたないなぁ、と言われた通りにする。これが典型的な日本人の社会であり、コンセンサスであるのですね。
深く根付いた村八分社会。裏を返せば、その集団的恐怖には誰も逆らえない。

思えば「意味を考えずに、ただ指示された通りに成す」教育こそが、現在問題とされている一部の若者、すなわち深く考えない、自分のヤリたいことしかヤラない、強い意志の感じられない甘えた男女を生み出しているのではないか? そんな思いに至った夜更けでした。

憲法と戦争
著者:C・ダグラス・スミス、晶文社・2000年8月発行
2005年9月24日読了

2002年3月から日本政府全権特命の軍縮大使として、ジュネーブに赴任し、全世界を相手に「平和を頑なに愛する、そして過去、核兵器の被害に遭い、核軍縮を主張する資格のある日本」の立場から、強力に軍備縮小をリードした2年間が記録されます。
特に、世界中に氾濫し、戦争終了後も人手に残り、災いを生み続ける拳銃や小銃、すなわち、事実上の大量破壊兵器である「小型武器」に関する軍縮こそが急務であり、国際社会を構成する各国政府の責任であることが、情念を込めて明らかにされます。

特筆すべきは、硬派なエリート学者(エール大学博士!)の視点からだけでなく、女性、そして母親の強く穏やかな視点から、世界の周辺、地域の周辺、その周辺に追いやられた女性と子供の立場に注目し、彼らを「非平和」から救済することこそ、本当の平和であることを強く訴えていることです。政治・軍事のジャンルでありながら、その深い包容力の擁する筆致により、暖かな読後感が残ります。
今年読んだ本の中でも、個人的には最大の収穫でした。

もうすぐ衆議院議員ですね! 週刊誌ではいろいろと書かれていますが、過去に読んだ著書(ポスト覇権システムと日本の選択、戦争と平和)の内容といい、過去のコラムといい、この人こそ、国会議員に適任だと信じていますし、期待しているのです。
いずれは「大臣」の立場から思う存分、持てる力を発揮していただきたいと思います!

戦略的平和思考 戦場から議場へ
著者:猪口邦子、2004年9月、NTT出版発行
2005年9月2日読了

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