男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

旅行・地域

"地域興し"なのかな? 通勤経路のひとつになるJR新長田駅の北側にあった活気のない公園を潰し、横山光輝さん原作の鉄人28号の実物大モデルが据え付けられた。2009年11月のことだ。時間ができたので立ち寄った。(2009年12月21日)

第一の感想は「でかい」だ。いわゆるオタク向けの作品ではないので、多数の一般人がカメラを向け、幼子が喜んでいる。健全な光景だ。
神戸で「らき☆○タ」の聖地巡りみたいなことは避けてほしいものだ。

この新長田、平成7年1月17日(7117)の阪神大震災で甚大な被害が出たところだ。
JRの駅もつぶれ、難儀したことを思い出す。当時の小規模な商店街は燃えてしまい、兵庫県と神戸市が中心になり、街の再構築が行われたが、良かったのか、どうか。
わずかに残った細い路地と、決して豊かでないが情緒ある下町の光景は、残しておいて欲しいと思う。

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久しぶりの東京出張だ。昼間の空き時間を利用して丸の内に立ち寄った。(2009年12月22日)
レンガ造りの重厚な東京駅は、外装を中心に改装工事中。近代日本の代表的建築物であり、日本遺産とも言えるだろう。東京ターミナルホテルだっけ。いつか宿泊したいな。

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前から訪れたいと思っていた、新丸の内ビルディングの中を歩いた。7階までは自由に動けるようだ。
昼食休憩にかかる時間帯なので、店頭のランチメニューを覗く。高い! 2千円から4千円のランチが平然と並んでいる。そして、どの店もいっぱいだ。
結局、1,680円の和風とんテキセットにした。ボリュ-ム多いから、まァいいか。
丸の内OL(いまは丸の内レディーって言うのか?)は、みんな美人に見える。幻覚かな? そして外国人が多い。うんうん、丸の内の雰囲気だ。
次回は皇居周辺を散策してみよう。

7月22日は会社の夏期休暇だが、出張前日のため、移動に一日を潰してしまう。悔しいからプチ観光を組み入れたぞ。(2009年7月22日)

名古屋から特急しなの号、塩尻からスーパーあずさ号を乗り継ぎ、甲府駅へ着いたのが午後2時過ぎ。神戸と比べて涼しいこと! そのままバスに乗って美術館へ出向いた。

■山梨県立美術館 ミレー館

Barbizon バルビゾン派の代表作家、Millet ミレーの作品を収集した日本有数の美術館らしい。

代表作のThe Shower「種をまく人」(1850年)を見たが、正直、感動はなかった。
Woman feeding Chickens「鶏に餌をやる女」(1853-56年)はわりと良かった。

個人的には、The Reteun of the Flock「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」(1857-60年)がピンッときた。本日の当たり作だ! ポストカードも購入したぞ!

で、感動作をメモっていたら、メガネの年増女(学芸員ってやつか)がツカツカ歩み寄ってきた。
「シャープペンシルは使用禁止。鉛筆を使え」って、何をほざいてるんだ? 芸術鑑賞の邪魔だって!

山梨県立美術館
http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/contents/

■山梨県立文学館 芥川龍之介 アンデルセン

美術館と同じく、芸術の森公園にある。

常設展では、山梨県ゆかりの作家と作品と題し、樋口一葉、井伏鱒二、太宰治、山本周五郎、深沢七郎、檀一雄等の原稿、パネル展示が行われている。
展示室の三分の一を占めるのは芥川龍之介のコーナーで、力が入っている。生原稿、手紙、夏目漱石からの手紙、支那旅行で買い集めたグッズ、自殺時のセンセーショナルな新聞記事、文学仲間の追悼など、盛りだくさんだ。十分に満喫できた。

で、開館20周年記念特設展は「アンデルセン 人魚のお姫様 青い瞳の涙」?
童話だろ? こんなのに時間を割けるか!
と思って後回しにしたが、時間ができたので覗いてみた。

この人、努力と運の大器晩成型だったんだな。貧しい靴職人の家を飛び出し、劇団を渡り歩き、それでも目がでない。理解者に巡り会い、「国語の基礎」を教えられ、文学的才能を伸ばした、か。文字を書けなかったとは、いまから考えると驚きだ。

自らの失恋をベースに書き上げたという「人魚姫」のストーリ紹介に目を通した。
恥ずかしながら、じわっとなりそうになった。
アンデルセンはこう言ったそうな。
「これは……執筆中にわたしが涙したただひとつの物語です」
「物語としてはこどもも十分に楽しめる。しかし、物語の秘められた本当の意味は、大人にしかわからない」
うん、納得だぞ。
童話のかたちで表現された本物の文学。良いものは良い、と言うことを認識した。

「アンデルセン」展は2009年8月23日まで。関東・中部地方の人は行くべし!

山梨県立文学館
http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/

■閉館時間は午後5時?
普通に考えれば、5時まで閲覧できて、ショップで買い物もできるはず。
美術館にしろ、文学館にしろ、他の図書館などもそうだが、お役所仕事よろしく「5時とは、職員が仕事を終える時刻=私服に着替えて職場を後にする時刻」ととらえているようで、4時50分には閲覧者(お客様だぞ!)は閉め出されてしまう。当然、ショップも閉まっており、人っ子ひとりなし。
公営施設だから「わかっていた」とはいえ、釈然としないなぁ!

東京出張のチャンスを利用して観賞したぞ!
(2009年5月21日)

「これぞルーヴル、
 これぞヨーロッパ絵画の王道」
とのうたい文句に期待は高まる。15時過ぎに会場到着。って、待ち時間40分! ひどいんじゃないか?
会場内も混雑している。しかし並んだ甲斐あって、素晴らしい作品群を堪能することができた。

巨大な油彩の前に立つ。魂の込められたタッチに見入る。

ルーベンスの「トロイアを逃れる人々を導くアイネイアス」は、燃える故郷を追われ、身体ひとつで異国へ脱出する民族の悲劇が伝わってくる。

「テーブルを囲む陽気な仲間」の「おい、酒を独り占めするんじゃねぇゾ」との会話が聴こえてくる。

あと、「ルイ・デカルトの肖像」画の第一印象は、「狡猾そうな顔つき」だなぁ。後世に名を残す偉大な哲学者には申し訳ないが。

個人的には、「アンドロメダを救うペルセウス」(ヨアヒム・ウテワール、1611年)と「クリュセイスを父親の元にかえすオデュッセウス」(クロード・ロラン、1644年)が気に入った。
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict10.html
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict7.html

印象に刻まれたのは、やはり「大工ヨセフ」(ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、1642年)だ。
http://www.ntv.co.jp/louvre/description/pict12.html
(3作品ともポストカードを買えた。)

テレビ放映やネットでは味わえない、この感覚。やはり本物だ。

ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画
http://www.ntv.co.jp/louvre/

2009年6月14日まで。関東在住の人はすぐに行くべし。
関西でも2009年6月30日から京都市美術館で開催される。これで安心(?)だ。

京都駅ビルの高橋留美子展に続けて観賞した。(2009年5月16日)

「イタリア美術とナポレオン、美術と歴史が織りなすフェッシュ美術館の至宝をお楽しみください」とのことで、ナポレオンの叔父のコレクションをもとに設立された、コルシカ島のフェッシュ美術館の収蔵品が展示されている。

15世紀のボッティチェッリ(舌を噛みそう)の「聖母子と天使」や、18世紀のジャクイントの「サン・ニコラ・デイ・ロレネージ聖堂のための習作」等が展示されていたが……。
正直、心を鷲掴みにされる作品はなかった。宗教画も迫力はないし。

ただ、「第4章 ナポレオンとボナパルト一族」は良かった。
ナポレオンのデス・マスク。死してなお、石膏型取りされて、人々の前にさらされる。良いのか、悪いのか。

ナポレオン3世の小さな肖像画が気に入った。平服かつ小さな額に納まったもので、煌びやかな衣装を纏ったナポレオン1世の戴冠式の豪華絢爛な巨大絵画と対照的だ。
どうも僕は帝国最後の皇帝、最後の国王に惹かれる。ハプスブルグ帝国の老人皇帝、フランツ・ヨーゼフ1世がそうだし、江戸日本最後の将軍、徳川慶喜がそうだ。
瓦解する国家体制の立て直しに奔走する姿勢が、いまの為政者にない魅力を有しているからだと思う。

で、この京都文化博物館は美術作品だけでなく、京都で撮影された映画のフィルムやポスター、脚本などを保存・展示する映像ギャラリー、京都映画の上映会が行われる映像ホールを有している。いいなぁ。
別館の建物だけ趣が違う。旧日本銀行京都支店であり、国の重要文化財だそうな。明治クラシックスタイル漂う外観と内装が実に良い。

京都府京都文化博物館 イタリア美術とナポレオン
http://www.bunpaku.or.jp/index.html
2009年5月24日まで。

ふたたび神戸映画資料館へ出向いたゾ。(2009年5月5日)
シアチェン - 氷河の戦闘(Siachen : A War for ice)を観賞した。2006年のスイス作品だ。

1947年のインドとパキスタンの分離独立。その時点で国境が確定しなかった地域があった。ヒマラヤ山脈の西に位置し、一年中氷河に覆われた6000メートル級の山々。カシミールの北東に位置するシアチェンだ。
(「シア」は薔薇のこと。シアチェンの地名はここから。)

[観光と軍事が並立する地]
パキスタン側の平地から上がるとアスコン峡谷に至る。車で行けるのはここまで。車道も無くなる。ここからは徒歩かラバのみ。
軍がヘリを飛ばせるのは好天のみ。悪天でも行けるラバで灯油を山頂の基地へ運ぶのは、民間業者だ。
氷河ではラバも転ぶし、死にもする。ラバ一頭は1,000ドル。

アジア最高峰のK2を擁するこの一帯は、観光と軍事の重要拠点が併存する。
急峻な山、雪崩、谷底へ崩れ落ちる雪原。ダイナミックな映像だった。
7,000m級の山々がそびえ立つ。軍事行動は好天のみ。

その山脈の向こう側は、インド軍の拠点となる。
こちらも最重要物質、石油をこちらはトラックで運ぶ。ヘリも併存。
一部には石油のパイプライン。液漏れ、環境破壊。

[バルトロ氷河で暮らす]
パキスタン軍の最前線、バルトロ Baltoro氷河。ここから隊列を組み、パトロールに出る。交代要員4名とガイド担当が2名の隊列だ。雪原を歩き、歩く。高度5,700メートルで、季節は6月。足下はぬかるみ、時に下半身が雪と泥の中へ沈む。
体力の消耗は激しく、陸軍の精鋭といえども、3分で先頭を交代させる。
ニット帽とサングラスは必携だ。雪焼けでさらに顔が黒くなる。

高度6,000メートルにある哨戒基地に到達。テントではなく、シェルターだ。交代要員はこれから1ヶ月間をここで過ごす。ここを拠点に、さらにパトロールを行い、この中でコーランを読み、礼拝を行い、生活するのだ。
指揮官は語る。最大の敵は天候だ。この地での任務は、もはや技量や体力の問題ではなく、士気の問題だ。
「気合いを入れろ、野郎ども!」
「おおっ!」(と僕には聞こえた。)

雪原に突如、現れたのは、なんと鉄条網だ! こんな辺境の地でも「境界線」は重要なのか。
ロープで全員の体をくくり、脱落者に備える。
で、なぜ、彼らはこんな過酷な環境に身をさらすのか?

[対峙のはじまり]
NJ9842と呼ばれるポイントの北側はインド、パキスタンとも暗黙の了解のもと、境界の未策定地域としてきた。1970年、パキスタン側が境界の設定を通告し、西側を制圧。これに反する形でインド軍も部隊を派遣した。当時のインド軍派遣部隊指揮官は語る。
「偵察を目的に少数の部隊で乗り込んだ。パキスタン側は大規模な部隊を展開しており、ここでわれわれが引くと、シアチェン全域が制圧されてしまう。わたしは越冬を決意した」
これが現在まで続く、両軍の対峙の始まりとなった。以降、20年間、全面戦争に発展しないよう配慮しつつ、これまでに4,000人もの戦死者を出してきた。

Googleマップで確認したら、この地域に国境線は引かれていない。曖昧なままでも衝突を回避できるなら、まだマシというもの。

[意味のある対立なのか?]
両軍とも、地元の理解を得るために苦心しているようだ。パキスタンのカイラット中尉は語る。バルチ族の村に学校と病院を建設し、運営している。さらに自軍の兵士にも気を遣い、わざわざ電話回線まで確保したという。「家族との通話が精神衛生上、不可欠であり、士気の維持にも繋がる」 そう、士気が大切なのだ。インド軍指揮官も士気の重要性を語った。

そのインド軍はどうしているか。シアチェンのすぐ南側は、欧米人と日本人が訪れる観光地、ラダックだ。その中心地、レー Lehには、10万人の一般市民と10万人の軍人が暮らしている。市民一人あたり、兵士一人。こんな地域はここだけだろう。
で、ラダックの地元民は、軍需品の輸送、飲食店の経営等、軍の活動に頼っているのが現実だ。「戦争は必要悪。カネになる」とインタビューで答えたのは、若い地元民だ。

そのレーからラダックの北へ抜けると、山頂のインド軍前線基地がある。総員600名もの兵士を擁するという。夏でも全方位、雪景色。ピッケルとスパイク。こちらも全員の体をロープでつなぎ、氷上を歩く。

高山病にかかる兵士。凍傷に苦しむ兵士。前線基地の軍医は大忙しだ。

1999年に勃発したカルギル戦争Kargil War の背景がわかった。
カルギル周辺を制圧すれば、インド側の補給線は極端に制限され、シアチェンの占有が確実となる、か。

それにしても、この睨み合いを維持するために必要な年間予算は、実に1,000万ドル!(2004年の実績)
自国民を満足に食べさせることもできない国家としては、多大な損失だろうに。
政治は何をしているのか?

[環境へのインパクト]
制作サイドは、これを強く訴えていた。20年間の対峙で対流したゴミ。毎日1万トンものゴミが出る(? 誇張しすぎ? 翻訳ミス?) で、キチンと平地まで持ち帰っているのか? 否! 軍はなんと、雪の下に隠すのだ! 飲み物の空缶、小銃の空薬莢はかわいいほうで、燃料のドラム缶や、撃墜されたヘリコプターまでも。
で、漏れた燃料はどこへ向かうのか? 氷河にしみこみ、汚染するだけなのか?
南アジアの母なるインダス川。その水源がシアチェン氷河であることは、何を意味するのか……?

「ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009」の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html

「シアチェン - 氷河の戦闘」の公式HP。
http://www.siachen.ch/front_content.php

JR新長田駅南側にポスターが掲示されていた。内容がわからず素通りしていたが、実に興味深い内容であることを5月2日の神戸新聞で知った。チベット問題を中心に、ブータン、ネパール、インドなど、ヒマラヤを囲む地域の文化・政治・人権等多岐にわたる映画が上映されるそうな。中でも、ある作品が目を惹いた。

その「安らぎはいずこに?」は、カシミール地域の問題を取り上げている。Amazonで探したが、日本語版は無い。米国版DVDはリージョン1だし、英語じゃダメだ。
GWは業務都合で休日出勤なのだが、本作品の上映される夕方だけ、都合を付けて観賞に出向いた。(2009年5月3日)

[カシミール問題]
前々から欧米、特に旧宗主国である英国で大きく採り上げられるも、冷戦時代はインドの背後にソ連邦が、パキスタンには米国が付き、結局は無難な「現状維持」が続けられた。
(当時のパキスタン軍部への支援とアフガニスタン・イスラム義勇兵への肩入れが、後々に米国へ災いをもたらしたことは周知の通り。)

時代は変わり、インドは無視できない存在となった。ハイデラーバードを中心とするIT産業、インド人の数学、英語スキルの高さ、なにより膨大な人口と市場を擁する無限の可能性だ。

一方のパキスタンは弱体化した。繰り返される軍事クーデター、根付かない文民政治、現ザルダリ政権に代表される政府ぐるみの腐敗。内戦・国家崩壊の可能性すら出てきた。
ニューズウィーク日本版2009年5月6日・13日合併号では、特にパキスタン軍部の害毒があからさまに書かれている。

で、3000年の昔からそこに住む民衆の思いは無視されてきた。
カシミール Kashmir のインド占領地区では、特に1990年代前半に、反インド闘争が盛り上がりを見せた。パレスチナの地になぞらえ、カシミールのインティファーダと呼ばれることもある。
独立運動だけではない。ムスリム住民としての正統な権利を要求するだけで、留置場行きだ。

[安らぎはいずこに?]
正式作品名は「Jashn-e-azadhi : How We Celebrate Freedom」、2007年にインドで制作された。

フィルムはクプワラ Kupwara の地からはじまる。うら寂しい墓地で、老父がインド兵に殺された息子の墓標を探す。
「かなり昔のことだ」
それは1992年、反インド、独立運動が最高潮に達した時期のこと。
「息子はムジャヒディンだった」
彼は反インドのムスリム戦士。インド政府は「テロリスト」と呼ぶ。

ラル・チョーク。ここはインド・カシミール州の州都スリナガル(シュリナガル)の中心街だ。ニューヨークのタイムズ・スクエアをイメージしてもらえればわかりやすい。その豊かさは比較にもならないが。
60回目のインド独立記念日にあたる2007年8月15日、ここで祝祭行事が催された。
中央広場の時計台は巨大なインド国旗にくるまれ、居並ぶインド軍高級将校たちが演説をする。放たれる白い鳩、鳩。平和の象徴だ。ミニチュア国旗が配布されると、子供たちが群がる。
だが、大人たちは出てこない。閑散とした大通り。これこそ、カシミール住民の意思の表れだ。何故か?

[アザディ! アザディ!]
集会で連呼されるアザディ azadi は"自由"を意味する。
いまは平穏なスリナガルも、1993年は暴動に荒れていた。当時のニュース映像が流れる。
ハズラートバル・モスクには大勢のデモ参加者。
「インドは出て行け!」アザディ! 「インドは出て行け!」アザディ!
ダル湖畔にあるこの美しい白塗りのモスクは、僕が訪問した2007年7月には閑散としており、ただ子供たちの遊ぶ声だけが印象に残ったのだが……。

インド軍治安部隊と反インド武装勢力の抗争。前者はムスリム軽視のヒンドゥー教徒。後者は、カシミール独立運動の主流だった地元勢力に代わり、アフガニスタンから流れた外国人の"ならず者たち"。両者の狭間で苦しむのが、地元の民衆だ。

カメラは北部カシミールの村、テキプラ TEKIPULA、バンディポラ Bandipola、南部カシミールの村シュピアン Supianの住民の不安を追う。

家が放火される。軍は消火には協力せず、武装勢力を追うのみ。焼け出された数十人は途方に暮れる。
普通の農民が突然逮捕され、拷問され、命を奪われて家族の元に帰ってくる。「誤りだった」とわずかなカネで賠償される。

虐げられてきた涙は枯れることはない
そして怒りは蓄積される。

武装組織の協力者だった夫を殺され、弟も殺された女性は、畑仕事を捨て、小銃を手にする。インド側から見れば「テロリスト」になったのであり、殺すのに理由は無い。

それでも、すべての住民が反インドではない。イスラム武装勢力のリーダーの演説が始まる。「10万人もの犠牲者を出した。世界は見ているはずだ。インド軍は出て行け」
集会への参加者は多いが、独立支持に署名したのは村の全人口の9%に留まる……。

[懐柔]
ある村で貧しい住民にラジオを配るのは、インド治安部隊だ。
クプワラ村 Kupwara では、軍が学校を建て、寡婦を対象に職業訓練所(旧式のミシンだが)を運営する。

スリナガルのムスカン Muskaan 基地内には、学校を兼ねた孤児院が設営されている。祭の日、親を亡くした少年少女が「○○大佐、将校のみなさん、ありがとう」と舞踊を披露する。軍の当事者にとっては微笑ましい光景であるだろう。だが、周囲の虐げられてきたムスリムは、そうは思わないのだろう。

イクワニ ikhwani 。元はアラビア語の「兄弟」の意味。転じて「武装抵抗組織から足を洗い、軍の協力者と成った者」を指す言葉に。カシミールでは「裏切り者」の意味で呼ばれ、民衆から蔑まれる。

[カシミールは誰のもの?]
カシミールの地には、一般市民15人に一人の割合でインド兵が駐留していると言う。これには納得した。2007年7月にスリナガル Srinagar、ソープル Sopure、等を旅行したが、軍人だらけだった。はしゃいで遊ぶ子供の横に、小銃を持った兵士がうようよと。異様な光景に映ったが、準戦時下の国だ、とそのときは思った。
(ソーナマルグ Sonamarg はのどかだったが。)

スリナガル Srinagar の西にグルマルグ Gulmarg と言う村がある。ここでインド人は冬にはスキー、夏にはゴルフを楽しめる。仲間と最高のひとときを送るヒンドゥー教徒の観光客がカメラに語る。
「カシミールはインド人のものだ」
これが本音だろう。

中共に不法占領されたチベットと同じ。
世界がどう言おうと、インドはカシミールを手放さない。パキスタンも支配地域を手放さ
ない。カシミ-ル人の独立なんてもってのほか。

支配は勝利を意味しないが、現状維持ができればそれで良いのだ。

こうやって衝突と流血は繰り返される。これからもウォッチを続けよう。

ヒマラヤ国際映画祭 WEST JAPAN 2009の公式HP。
http://himalaya2009.jakou.com/index.html

[余談。でも重要]
WEBをみると「Jashn-A Azadi」や「Jashn-e-Azadi」が存在する。YouTubeのフィルムからすると「Jashn-e-Azadi」が正解のようだ。

Jashn-e-Azadi documentary film
http://www.youtube.com/watch?v=bSnVVlX0ZNU

公式HPがあったぞ!
Jashn-e-Azadi
http://kashmirfilm.wordpress.com/

明石市立文化博物館に行ってきた。明舞団地の創世と昭和高度成長期の生活文化の催しらしい。前々からやっていたのだが、いよいよ今日が最終日。
明舞団地に36年以上住まう者として、やはり見ておかねばなるまい。

明石と舞子にまたがる団地だから「明舞団地」。大規模都市郊外型団地として、大阪・千里ニュータウンの次にできたのは知っていたが、本当に何もない丘陵地帯を造成したとは知らなかった。

2DKまたは3Kの、40平米にも満たないコンパクトな住まいだが、一般的なアパートや文化住宅に比べたら画期的だったらしい。
ダイニング・キッチンなる概念も、ステンレスキッチンも、当時の主婦層の憧れだったのか。
いまは寂れた住居群だが、当時はピカピカだったんだな。

駐車場に写っている車なんて、昭和40年代そのままだ!
明舞センターの噴水にしろ、まだ活気のあった商店街にしろ、いまでは昭和の記憶だなぁ。
JR朝霧駅って、JR魚住駅よりも後にできたのか。

実に知らないことばかり。いやいや、堪能させていただきました。

展示は1階のみ。2階では第11回祥月会展として、会員さんの文芸作品が展示されていた。

大林卯月さんの「荒城の月」がベストだ。滅びの美学と永遠不滅の月に杯を重ねる光景が目に浮かぶ。
次は青地に象形的な金文字が見事な、森岡心月さんの「一二三」。
杜甫の詩を味のある字体で書いた北村恵月さんの「春望」も良かったな。

で、展覧会のスケジュールによると、10月には「明石市制90周年秋季特別展/山形美術館服部コレクション/美のプロムナード 20世紀フランス絵画の精髄」なる展示会が予定されている。
ピカソ、ローランサン、シャガール……楽しみだ!

http://www.akashibunpaku.com/
明石市立文化博物館

兵庫県立淡路夢舞台温室『奇跡の星の植物館』へ行ってきた。(2009年2月7日)
実ははじめての訪問になるが想像を越え、巨大な温室と珍しい草花に取り囲まれ、その中で可憐な蘭と洋ランが"これでもか!"と言うくらいに咲きこぼれる庭園は、圧倒的だ。
行く価値有り、ですぞ。

蘭協会のコンテスト受賞作や、各地のラン職人の力作。花々に彩りを添える花器も見応えがある。

圧巻はこれ。1,000平方メートルの巨大な展示場に再現される「大隈重信『侯爵の華麗なる蘭ガーデンショー』」だ。開国によってワッと押し寄せた世界中のランを自宅に集め、ガーデンパーティで開催した晩餐会で披露する……イヤハヤ、貴族的。(桜と洋ランって、結構合うなぁ。)

個人的には江戸時代の蘭と植物に関する展示スペースが気に入った。
幕末はどこの藩も財政難。禄高の減った下級武士は観葉植物の栽培に励む。鉢植えを売っては家計の足しにし、新種の発明に成功すると、
(昨今の不況下、勤務日数を削減し、社員のアルバイトを認める大企業を思い出した。イヤ、笑いゴトじゃないが。)
これだけを観にもう一度訪れてもイイかも。

兵庫県立淡路夢舞台温室『奇跡の星の植物館』-5周年記念スペシャル-
淡路夢舞台ラン展2009
http://www.kisekinohoshi.jp/
2009年3月1日まで!

今年2009年は数え42歳(いやだなぁ)。
本厄に当たるので、多井畑厄除八幡宮へお払いに行ってきた。(2009年1月18日)

小学生時代からの友人3人、駐車場から歩く、歩く。まだ30代前半で通用するのになぁ。
神社へ向かう道路は大渋滞。JR須磨駅と神戸市営地下鉄名谷駅から臨時バスが出ていたが、どの便も満員だ。

初日の今日は日曜日であり、人でごった返していた。境内への階段を上るのに20分。"きとう"を申し込んで、神殿の中で待つこと15分。50人以上が集められ、座席がいっぱいで立たされて、垂れた頭(僕は腕組みしていたが)に神社の棒(?)がわずか2秒動かされ、祈祷師に全員の名前を読み上げられて……。これでおしまい。
祈祷料は七千円。高いなぁ!

同年齢の野郎ばかりと思っていたが、60代の人と30代前半の女性が多かった。意想外。

駐車場への帰り道、さらに人が増えて入場制限をしていた。さらに小雨が降ってきた。最悪のタイミングは逃れたわけで、まぁ良しとしよう。

[神戸・須磨]多井畑厄除八幡宮
日本最古の厄除けの霊地

多井畑厄除八幡宮は、多井畑の厄神さんの愛称で親しまれています。
現在の兵庫県神戸市須磨に配流された在原行平や、一の谷の合戦の際には源義経が祈願したといわれており、日本最古の厄除けの霊地と伝えられている神戸の厄神さんです。
770年(神護景雲4年)6月に疫病が大流行し、それを鎮めるために五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)の国境10ヶ所に疫神を祀り、疫祓いが行われました。多井畑厄除八幡宮は古山陽道の摂津と播磨国の国境に位置していたため、その一つとして疫神が祀られたと伝えられています。
毎年1月18日から20日の3日間に渡って厄除祭が行われ、厄年のお祓いや疫病退散、病気平癒の祈願と厄除けに多くの参拝者で賑わいます。
(公式HPより引用)

http://www.tainohatayakuyokehachimangu.or.jp/

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