男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

男ひとり旅の美学

安南の古都へ1泊3日の弾丸旅行を敢行。フランス植民地時代の名残とホー・チ・ミン社会主義の雰囲気を楽しんできた。

【参考データ】
往路便
 2014年9月13日 関西空港10時30分発VN331便、ハノイ行き
復路便
 2014年9月15日 ノイバイ国際空港0時5分発VN330便、関西空港行き

ハノイ宿泊先:
Sofitel Legend Metropole Hanoi(1泊)


■2014年9月13日、出国、嬉しくない飛行機

ベトナム航空便は初搭乗。予約時に16Dを指定したのが間違いだった。客席乗務員の座席が客室の数か所に分散配置されている。その一つの真後ろだったのだが、足を延ばせない。冊子ポケットすらない。まぁ、おかげで往路は旅プラン作成に集中できたのだが。
機内にパーソナルモニタはない。トイレは機体最後尾に3か所集中配置なら、順番待ちも集まるわけで、後方座席の客にしてみれば迷惑でしかない。小型機のA321とは言え、なんて設計だ……。

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10時40分に離陸、昼食は、もろエコノミークラス用。エールフランスやKLMには劣るが、まぁ悪くない。
現地時間12時55分に着地。ターミナルへはバス移動となるが、なんて暑さと湿気だ。

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13時15分に入国。
20,000円を両替すると、3,780,000ドン。200,000ドン紙幣が普通に使われるんだな。

タクシーでホテルへ。
できたてほやほやの高速道路を通る。日本企業の広告も多いな。
ノイバイ国際空港はとても小さいが、現在、日本の協力で巨大な新ターミナルが建設されており、ほとんど完成した新ターミナルビルにはTAISEI 大成建設の表記があった。

ベトナムにはMitsubishi Heavy Industries, ltdによるボーイング737の翼工場があるのですよ。
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所要時間45分で380,000(400,000)ドン。チップ50,000ドンを弾む。
これでも総額で2,100円程度。

ホテルの客室案内係(日本人女性)とドアマン・ポーターのチップで70,000ドン(336円)。金銭感覚がマヒしそうだ。

ホテルだけは、この国の周囲と別世界。ホッとできる。
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飛行機の狭苦しい座席のせいだろうが、腰が痛む。それでも観光に出発だ。


■ベトナム国旗「金星紅旗」の翻る首都
オペラ・ウイング側のファサードを出る。さっそく方向音痴ぶりが発揮され、Ngan Hang Nha Nuoc国立銀行まで歩いてしまった。
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このモダニズム・スタイルの建築物もなかなか良いのだが、Google MAPで道を確認し、反対方向へ歩みを修正する。

すると目前に、かつてオペラ・ハウスと呼ばれたNha Hat Lon Thanh Pho市劇場が現われた。イエローとホワイトを基調とした壁面が夕陽の照射を浴びて輝きを増す。頭上にはベトナム国旗「金星紅旗」が翻る。
パリのものとはまるで違うが、これはこれで良いな。
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内部見学は無し。公演もこの1週間はなさそう。

■歴史博物館
市劇場から200mほど歩くと、Bao Tang Lich Su Quoc Gia 国立歴史博物館がある。
この博物館の特徴はその外観にある。深いバルコン付きの建築物には本当に風情がある。
まさにインドシナ様式の真髄。
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チケットを購入して、外観を何度も鑑賞して、内部へ。
ガイドブックには「展示物の充実度はベトナムでも屈指」とあるが、首都にある国立歴史博物館として、この規模はどうなのか。
明石市立文化博物館よりは大きいが、神戸市立博物館より規模は小さいような……。

まぁ、限られた予算での運営は大変だから……とは言えないな。ここの職員のやる気の無さ!
16時20分に入館したのだが、どの職員=公務員もやる気なし。スマホ片手に客用ソファーに寝そべり、ダベり、手鏡をみて髪をいじり……何人かはもう私服に着替えて帰る気満々だし。
上海の交通博物館を思い出したぞ。

八角形のエントランスホールにはベトナム(安南)の古い地図が置かれ、興味を惹かれる。
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ここは先史時代からフランス統治時代、ベトナム独立までの歴史資料が豊富に展示されている。時間の都合で近世・グエン朝以降の展示(2階)を鑑賞することにした。

・巨大な亀の像、千手観音像、軍船などに中国の影響が大きいのは、近世までの東洋の宿命か。
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・フランスに占領されるまで、漢字が通用したんだな。
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・庭園にも、各地で発掘された彫刻などが置かれている。
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■チャンティエン大通りを行く

さて、フランス統治時代の面影濃いとされるチャンティエン大通りを歩こうか。
市劇場から見るとこんな感じ。コロニアル建築の集う姿は首都の証だ。
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・思ったより小規模だった。
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・すさまじきはバイクの洪水……
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・いいな、この感じ
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■ホアンキエム湖

ハノイ有数の憩いの場、それがHo Hoan Kiem ホアンキエム湖だ。

15世紀に中国・明朝の支配からベトナムを解放した英雄、レ・ロイの宝剣伝説に基づき建立されたのが湖の中央に立つ「亀の塔」で、この湖のシンボルともなっている。
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夕涼みの湖畔には楽しげな家族連れ、新婚さん、ウエディングドレスをまとった新婦さん、と賑やかだ。
それでも「金をくれ」だの「ジャパニーズ・ボーイ」だの、怪しい人種も多い。気を付けないと。

湖の周りをぐるりと散歩。
途中、玉山祠に寄る。中国人の団体観光客がうるさいぞ。
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湖の北西にあるカフェで休憩。ここのテラス席からは湖を一望できる。
店内にベトナム人はいない。外国人旅行客向けの価格に設定されているんだろうな。
アイスコーヒー+アイスクリームフロートを注文。チップ込みで80,000ドン、384円。これでも現地人にとっては高額なんだな。
(他の売店で、ペットボトルの水が10,000ドンだった。48円か。)

腹立たしいことが一つ。隣席の欧米人がでかい声で急に「ナンキン・ジェノサイド」の会話を始めやがった。
「ジャップ」と聞こえたぞ、この野郎!
レイシスト、インペリアリスト、ファシスト、ナチス、クー・クラックス・クラン、ベトナム人惨殺の責任を取れ、おまえ、実はアルカイダだろう……英語を話せない口惜しさよ。次はみていろよ。

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18時30分、そのまま、階上のベトナム料理のレストラン「Dinh Lang Thuy Ta ディンラン・トウイータ」に入店した。
見晴らしに期待したが、カフェのテラス席には見劣りするなぁ。

19時頃よりベトナム伝統楽器の演奏会が始まった。良いぞ。
「赤とんぼ」を演奏してくれるとは思わなかったが、歌い手がわざわざ席にやってきて暗にチップを要求してくるとは、もっと思わなかった。
(会計時に50,000ドンを奮発してやった。)
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で、ベトナム料理は二重丸。
ビール(333)2本、カニのス-プ、生春巻き、牛肉を葉で包んだ「ボー・ラー・ロット」、シーフード・ヌードル、コーヒーとケーキ。
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満腹になるまで美味いものを食べて、810,000ドン(うちチップ100,000ドン)、3,900円。
世界経済とは何か。
あまりの格差に、ちょぴり絶望感すら沸いた。先進国がボリすぎているってことなのか。


ホアンキエム湖。夜に入るとロマンティックでいい感じになったぞ。一人旅の男にゃ関係ないが。
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続く。

2014年8月16日(土)、曇り
三日目の朝食もカフェ・アメリカン。アール・ヌーヴォー万歳!
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■トラブル・デイ
オランダらしさを求めて、キンデルダイク村の風車群を観に行くのだ。

地球の歩き方2014年度版では、キンデルダイク村への具体的な行き方はわからない。
キンデルダイクへの行き方が詳しく掲載されている、ここのページを参考にさせていただいた。
【そらのおらんだ通信 オランダ観光 キンデルダイク】
www.oranda.fc2web.com/travel/travel3.htm#kinder

なるほど、国鉄でAmsterdam中央駅からRotterdam中央駅へ、ロッテルダム港からwaterbusに乗船し、Ridderkerkで渡し船に乗り換えてKinderdijk波止場まで行くとある。そこから歩けばすぐか。

トラムでアムステルダム中央駅へ。9時30分到着。2.8ユーロ。
料金は乗車時に運転手に支払えばよいので、楽ちん

乗車券は硬券のような、内部にアンテナ・コイルが巻かれた使い捨て切符。エコじゃないな。

さて、ロッテルダム中央駅行きの切符を買おうとしたら「ICチップ非対応のクレジットカードは使えない」ときた。cash払いで14.5ユーロ。手持ちが少なくなって不安だな。

これで二等車客室。ベルリンでもそうだったが、新幹線より快適だ。
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オランダ国鉄のホームページ。料金、停車駅などがわかるので便利。
www.ns.nl/en/travellers/home/

ライデンの辺りで雲が暑くなってきた。小雨の中をICは快調に疾走する。

10時56分にロッテルダム中央駅到着
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駅構内のツーリストサービスセンターへ。これが間違いの元だった。

「キンデルダイク行ボートツアー」なるもののパンフレットをもらったのは良いが、メトロ、LRTの説明が良くわからず、結局、タクシーに乗ってしまった。
これが失敗だった。まっすぐ南へ歩けば良かったのに。
運転手はしつこく「キンデルダイクまで車で行こう」と言うが、金がないのですよ、金が。「船で行く」と言い張り、港のボート乗り場らしきところで降車した。15ユーロ。高いじゃないか。
あとから思えば、waterbus乗り場のはるか東で降りてしまったのだ。ツアーに参加しようかと変な考えを起こし、そのパンフに描かれた不正確な地図を運転手に見せたのが失敗だったのだ。
キチンとした地図は旅行に必携だと痛感した。

港をうろうろしているうちに時間を浪費してしまった。
まぁ、勉強代だと思って、前向きに行こう。

自力(実はグーグルマップ様のおかげ)で何とか水上バス乗船場に着くことができた。
親切にキンデルダイクへの行き方と時間が図示されている。

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14時2分、水上バス出発。
水上バスと渡し船の往復賃、キンデルダイク風車博物館入場料込みで、12.5ユーロ。
「クレジットカード不可の現金決済」らしく、貴重なcashはこうして費消されていった。
残金、なんと20ユーロ。

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渡し船に乗り換える。
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14時45分、キンデルダイクの波止場に着いた。
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■キンデルダイク!
波止場から一本道を歩くと住宅地。だが確かにここを抜けるようだ。
少し歩くと、民家の間に10基程度の風車が遠方に見えてきた。思わず感動。

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これぞオランダってイメージのWatermill 風車が19基。
驚いたことに、そのほとんどがきちんと廻っているのだ。
しかも干拓時代から現存するものなので、世界遺産に登録されたのも納得だ。

受付を済ませ、さっそく歩く。
風車博物館はすぐそこだ

遠景では気付きにくいが、目の前で見ると、その巨大な姿にまず注目だ。そして、回転する羽の速度と風切音に驚く。
木製の風車は精緻かつダイナミックで、正直、このような構造物を作り上げた人類の英知には感動せざるを得ない。

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内部に入る。リビングルーム、極小スペースのベッド、キッチン等、住居として機能してもいたんだな。
風車博物館の内部から外を眺める。

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基部では実際に排水する様子を見ることもできる。
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トラブルあったが、来て良かった!
このキンデルダイク村は風車だけでなく、周囲も洗練されたカントリー風の住居が多く、日本の中流家庭のセンスアップに参考になると思う。
素晴らしい庭園を持つ80平米くらいの一軒家には感心させられた。(個人宅なので写真はやめておいた。)

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17時10分、渡し船の「最終便」で帰路につく。危ない、危ない。
18時10分、ロッテルダム港に戻る。


■ロッテルダム港
ロッテルダムは現代都市。あまり観光の対象にはならないと思うが、昔、海運・検定に関する仕事に従事していた亡き父より「世界で最も重要な貿易港のひとつ」と聞かされたことを思い出し、今回の旅行で「自分の目で視る」ことに決めていたのです。

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■ロッテルダム市街

ロッテルダム市街の建築デザインは面白い。
黄色い変なキューブはマンションで、居住者もいるそうな。

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・手前が市庁舎、奥に世界貿易センタービル
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・市庁舎
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・世界貿易センタービル
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18時40分にロッテルダム駅に到着。本当、最初から歩けば良かったと思う。

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■お金がない!

18時52分にRotterdam Central stationを出発、20時3分にAmsterdam Central station到着。
電車代金は15.5ユーロ。
残金を確認すると……1.15ユーロって!
こんな危ない旅行は生まれて初めてだ。

アムステルダム中央駅のATMで50ユーロを借り出した。これで一安心。

アンネフランクの家に立ち寄ったが、200人以上のチケット待ちを見て断念した。

歩いて、うろついて、21時5分にホテルへ戻る。
よくよく考えると、朝食以降、何も飲んでいないし食べていない。
ひどい旅だな。

夕食は豪華ルームサービスにした。

■2014年8月17日(日)、最終日

朝食兼昼食のビュッフェ。カフェ・アメリカンともお別れだ。
また、カフェラテとエスプレッソを間違えてしまった……。

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さて、午前をどう過ごすかな?
前日まではゴッホミュージアム鑑賞の予定だったが、もう一度「夜警」を観たくなったので国立ミュージアムへ。

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他の絵画も含め、足元に注目。
伊達男は、やはり足元も洗練されているなぁ。
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良いなぁ!
3階の「栄光の間」で90分を過ごし、満喫。
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11時45分、チェックアウト
結局、このAmsterdam American Hotelでは僕以外の日本人を見ることがなかった。この環境が旅行気分を盛り上げてくれるのだ。

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12時40分、スキポール空港着。
お土産はデルフト焼きの宝石箱にした。
15時35分、take off! さらば、アムステルダム!

機内では映画『グランド・ブダペスト・ホテル』を鑑賞。舞台はウィーンともろわかりだな。
なんでブダペストなのかはともかく、良作だ。

9時20分、無事に帰国できた。

■Dank u wel!

拙い弾丸旅行記に付き合っていただき、ありがとうございました。

<了>

2014年8月15日(金) 二日目、曇り
朝食はカフェ・アメリカンで。美味で大変よろしい。

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8時52分に国立ミュージアムに並ぶ。チケット保持者側の列は50人近く並んでいる。僕はチケットレスの列に並ぶが、意外なことに前から7人目だ。大混雑を予想していたが……(10時以降は大混雑)。
チケットを購い、"場所"を聞き出し、一気に階段を上るのだ。

■Night Watch 夜警!
これだ、この絵画を観に来たんだよ。
Rembrandt Harmensz van Rijn 「The NIGHT WATCH」1642年

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Captain Frans Banninck Cocq黒服の大尉とLieutenant Willem van Ruytenburch金色の服の中尉。
この二人を中心にcivic guard市民自警団が集う、この巨大な物語を観に来たんだよ。
・Captainの後方に輝く若い女性はSaskia、すなわち1642年に亡くなった、レンブラントの妻か。
・人物ひとりひとりのポーズと表情と仕草が異なり、衣服のマテリアルの表現もそれぞれに違う。いったい何種類を描き分けているのやら。
・中尉の足のあたりを1975年にunbalanced man(優しい表現)がダメージを与え、修復したそうな。ひどいぞ。


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ところで、朝一番に入り、一目散に「夜警」の部屋に来て正解だった。
9時30分にはもう人だかり、10時には大混雑となった。絵の前に70人はいるだろうと思われる。
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1Fの踊り場にある小カフェで休憩。初めてストロープワッフルなるものを口にした。甘くて美味。ラテと合わせて4ユーロ。
外は大雨、にわか雨か。

■国立ミュージアム
「ワーテルロー」は夜警と並ぶここの目玉作品だ。
いささか、ウェリントンをヒーローに仕立てすぎ。

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タイトルも作者もメモし忘れたが、この音楽一家が良いな。
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デルフト焼きに見る東洋のイメージ。なんか酷いな。
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オランダ植民地コーナーにあった長崎の出島。ジャワのように日本を攻略できなかったのは、それは残念でした。
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バタヴィア産の小判なんてのもありました。
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フェルメールの牛乳女にラヴ・レター。
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個人的にはこの「The Merry Family」が気に入った。赤ちゃんの表情が二重丸。
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■アムステルダム博物館
15時55分より入館。11ユーロは高いなぁ。
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先史時代から現代までのアムステルダムの発展の歴史が事細かに紹介されている。
・水との闘いの歴史。
・1421年と1453年に大火事が発生し、そのために木造からレンガ造りへと街を大改造したとある。
・1394年にcivic guard charter が締結された。

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17世紀の栄華と、その後の没落の激しさよ。
1780年代にフランスに占領され、王国として復活した際には、イギリスの船が入港しないので、ウルトラリッチから極貧国に転落した、と。
そこから遅き産業革命を経て、見事に復活したとある。

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ひどいな。オリンピック史上も、世界史上も、日本が「存在しない」ことにされているぞ。どこの差し金かな?
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オンデマンド・ビデオは日本語OKなのは嬉しいが、待ち時間が多くなるのは宜しくない。
あと、同性同士の結婚を世界で最初に合法化したことを誇らしげに解説されてもなぁ……。


■市街を散策
・自転車専用車線に専用信号
歩道通行禁止なんて、これぐらい用意しないと無理でしょう。

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・レンブラント広場
ガイドブックによると、夜警の登場人物たちがレンブラントを取り囲んでいるそうな。
この日はレンブラントの像しかなかった。残念。
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・ペー・セー・ホーフト通り
国立ミュージアム近くのハイブランドの集う繁華街。でも、パリやロンドンに比べると……。失礼ながら、地方都市の"なんとか銀座"って感じがする。

・9ストラーチェス
確かに、他の地区よりはセンスが好さそう。
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■犯罪未遂事案、発生です
西教会を曲がってアール・ヌーヴォー・スタイルのショッピング・アーケードへ。
「えっ、これだけ?」
期待させておいて、これはない。
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こんなもん、ガイドブックにわざわざ掲載すんな。

で、そこから北上してホテルに戻る途中、「道を教えて」と中年男がやってきた。
「どこ出身?」「ツーリストか?」怪しいぞ。
そこへ新たに二人連れの男が現われ、EUマークの身分証のようなものを提示し「パスポートを見せろ」ときた!
アホかい! もう周知のスリ手法として拡がっているから、やめておけばいいのに。
「No,Thank you」で突っぱねて去った。3人ともアラブ系かな?
あぁ、英語をまともに話せれば、他に言いようもあったのに。

で、方向音痴ぶりを発揮して、ムント広場まで歩いてしまった。

19時10分にホテルに戻り、洗顔&小休止。
再出発し、今宵のコンサート会場へ。

■HET CONCERTGEBOUW コンセルトヘボウ

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純粋なコンサートホール。その外観、内装とも雰囲気を盛り上げてくれる。
今宵のプログラムは、
Joshua Weilerstein 指揮、
Jean-Efflam Bavouzet ピアノ、
Nederlands Philharmonisch Orkestによる
・バーンスタイン
・ベートーヴェン
・ドボルザーク
とある。
「Uit de Nieuwe Wereld 新世界より」が楽しみだな

チケットは当日朝にインターネットで購入したのだ。残り3席だから焦った。
Grote Zaal 大ホールの前より中央付近、10列目22番で42ユーロ。安い。

さてさてさて。肝心の演奏は……。
1曲目終了後、ステージの中央に華々しくピアノがせり上がり、ゲストのピアニストが登壇。ここまでは良かったが、どうやら調律に狂いがあるようで、素人耳にもおかしいのがわかる。ピアニストも戸惑いを隠せなかったようだ。

3曲目は「新世界より」の途中でPA機材のハウリングノイズが発生し、指揮者も困っていた。そのせいか、演奏にも数か所のミスが発生し、指揮者が頭を下げるハメに陥った……。
最後は無事拍手で終えたが、結構な数の観客はスタンディングしなかったな。

ん、少し残念。

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21時50分に終了。22時20分ごろホテルに戻る。

続きます。

オランダはアムステルダムと、風車の景観で有名なキンデルダイク村、国際港ロッテルダムを散歩してきた。
1週間前に思いついた3泊5日の弾丸旅行を決行したのだが、準備不足がどのような事態を招くのかを痛感させられた。まぁ、それを包括しての旅の楽しさではあるのだが。

【参考データ】
往路便
2014年8月14日 関西空港10時35分発KL868便、アムステルダム行き
復路便
2014年8月17日 スキポール空港14時55分発KL867便、関西空港行

アムステルダム宿泊先:Amsterdam American Hotel(3泊)

■2014年8月14日(木) 1万2千円での出国
旅ノートの記述に用いるシャープペンシルを忘れたが、これはどうってことはない。
空港で機内預け荷物をドロップインし、外貨両替所に向かった際の

「財布に1万2千円しかない」

ことに気付いたときの絶望感なんて…。とりあえず80ユーロに両替し、9時に出国。

KL868便は777-200。エコノミーコンフォートの最前列は足元が広く快適。窓側なのでさらに良し。
10時53分に離陸し、わずか2分で雲の上。11時間50分のフライトが始まった。

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気流が激しく揺れもひどいが、雲の海の上を航行する気分はすがすがしい。
翼の大きく上下に揺れる様子を見るのは、あまり嬉しくはないが。

昼食後、二日前に届いたガイドブックを開き、観光プランを練る。
アムステルダムが拠点。風車を観るのはキンデルダイクか、ザールセ・スカンスか?

結局、ロッテルダム港の観光を兼ねて、昔からの風車が19基も並ぶキンデルダイクを選択した。

・シベリア上空から地表を見下ろしつつ、水樹奈々『深愛』を久しぶりに聴いた。
数年前にはスマホのウォークマンアプリなんてなかったな。ICTの進歩に感謝。

・実写映画『魔女の宅急便』を鑑賞。良いかも。
「あたしには、そういうの全部、魔法に見える」
「また飛べるよ」
「やめるなよ」
トンボ少年がスケールを上げる物語でもあるんだな。

19時15分、強烈に機体が揺れた。数メートル急下降したような感じで、数か所で声が上がった。
7月のフライトもそうだったが、この季節は揺れやすいのかな?

現地時間15時にランディング。ほとんど衝撃のない見事な着地だった。KLMパイロットと整備員の腕に拍手。
15時40分にオランダ入国。シャトルバスのチケットを購入。往復27ユーロ。
チケットカウンターの場所は少しわかりにくかった(arrival A4の端っこ)。

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■アムステルダム・アメリカンホテル

"Amsterdam American Hotel"に到着。17時にチェックイン。
ここはpen誌2009年4月1日号の「いまこそ知りたい アール・ヌーヴォー」特集号で知った。
オランダ式アール・ヌーヴォー「ニューエ・クンスト」様式の1902年に建築されたホテルだ。
国の文化財でもあるらしい。
設備も雰囲気も良好。気に入った。

1階の「カフェ・アメリカン」はアール・ヌーヴォー内装のカフェ・レストランで、ここを目当てにアムステルダムを訪れる人も多いとか。
僕は1920年代に空想を漂わせながらディナーを1回、朝食を3回、ここでいただくこととなった。

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■運河をボートで巡るのだ

アムステルダム・アメリカンホテルはライツェ広場にある。ここを観光拠点に、まずは国立ミュージアムまで歩いて距離感を確認した。

18時35分運河巡りのボートに乗り込んだ。
国立ミュージアムの西に乗り場のあるBlue BoatのCity Canal Cruise、15ユーロ。
日本語を含む16か国の音声ガイドあり。ありがたい。

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ライツェ運河からプリンセン運河を経てヨルダン地区へ。
「16世紀までは木造。17世紀の大火事の経験から街全体がレンガ造りにシフト」し、現在に至るという。

青い宝冠をいただく西教会~アンネ・フランクの家~ヘーレン運河。
「運河の水は昔は澄んでいて、ビール醸造にも用いられていた」そうな。

特徴あるアムステルダムの街並みを気楽に楽しめる。

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それにしても運河は狭い。ボート・パイロットの超絶操縦テクニックには脱帽だ。
「アムステルダムは運河の街ではあるが、橋の街でもある。市内の橋の数は1300を超える。水門は16か所」

シンゲル運河の信号機、確認鏡、水門。なるほど、水の路らしい。


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アムステルダム中央駅の北側へ向けると、そこは内海だ。
対岸の新興街の近代的さは、歴史的地区と好対照をなす。

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海洋博物館
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マヘレのハネ橋を船内から見上げる。わかりにくいな。

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「アムステルダムは教会や王のためでなく、市民のための街である」
「建物の三分の一は以上が19世紀以前に建てられたもの」

シンゲル運河にはハウスボートが多いな。とてもリッチな暮らしぶりには見えないが。

19時45分に下船。おおよその地理感をつかむことができたぞ。

■アムステルダム中央駅

ライツェ広場からアムステルダム中央駅まで歩く。
王宮は歴史を感じさせてくれる

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ダム広場
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駅前はこんな感じ
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アムステルダム中央駅。東京駅のモデルとされたそうで、確かに雰囲気は似ている。
塔に時計ではなく風向計が配置されているところにオランダらしさが顕れている。

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アムステルダム中央駅前広場からライツェ広場までトラム2番に乗る。楽ちん!
乗車券は区間ではなく時間別料金で、1時間有効券だと2.8ユーロか。

トラムは素晴らしい都市交通システムだが、この狭い道を歩行者スレスレに通るんだな。

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自動車道、自転車道、電車軌道、歩道が一緒くたになったアムステルダムの古い道。
何度かLRTと自転車に轢かれそうになった。危ない、危ない。
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ホテルに戻って休む。
街中は煙草か、それに類する「何か」のキツイ匂いが充満していて、服にも頭髪にも付着してしまった。
こればかりはイヤな感じだ

1階のカフェ・アメリカンに乗り込んで、ひとりディナー。
赤白ワインとオニオンスープ、サーロインステーキ、ニューヨークチーズケーキとコーヒー。
料理は美味だが安ワインはいまいち。63ユーロ。

外はにわか雨。

バスルームはシャワーの湯の出がいまいちだが、あとは快適でパーフェクトなホテルだ。

続く。

■JAPONISME in Czech Art ジャポニスムのいまむかし
プラハ城に隣接するNarodni galerie 国立美術館(ナショナル・ギャラリー)で「チェコにおけるジャポニズム展」が開催されていることを偶然に知った。
16:00に入館、100Kc。入口がわかりにくいな。

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パンフレットによると、展示物はすべてチェコ国内のもの。1880年代から1930年代にかけてのチェコの視覚芸術に対し、日本がどのような影響を与えたかを紹介し、当時チェコで行われた日本に関する展覧会も紹介するとある。

・ジャポネズリーの波
1888年、オーストリア=ハンガリー二重帝国時代のリソグラフ。
貿易商メゾン・スタニェクの娘さん、『Emanuel Stanek エマヌエル・スタニェク』嬢に和服を着せ、当方の幅広い物産を扱っていることをアピールしたものだろうか。

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同じく貿易商メゾン・スタニェクのカタログ(1910年)。葛飾北斎の『絵本孝経』(1849年)とそっくりだ。

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・ヨーロッパが観た日本・芸術への直接の影響
幅広く日本芸術を紹介し、自身も来日したことのあるEmil Orlik エミル・オルリクの作品『Akt 裸体画』(1904年)にリソグラフ『Japon album日本のアルバム』(1901年)

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Karel Simunek カレル・シムーネクのポスター『Panorama Gea パノラマ・ゲア』(1899年)
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・ジャポニズムの表現方法と芸術、モダニズム
1890年代にアール・ヌーヴーがチェコにも押し寄せる。日本デザインはモダン表現の格好の手本とされた。
これは卍つなぎのモチーフ。雑誌「自由な志向」表紙デザイン

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・憧れの日本
「詩的な日本崇拝」の第一人者であった作家、ホロウハは文学作品『嵐の桜』を発表している。
そのホロウハが1908年のプラハ記念工業博覧会内に開店し、1924年までプラハ市内で営業の続けられた和風カフェ「横濱」を描いたリソグラフ作品が気に入った。

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浮世絵をベースに製作された蔵書票の数々
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・収集家と日本芸術展・芸術家たちの反応
1913年のプラハ日本木版画展によって、現代芸術家の間で日本芸術・美学の認知度が高まったとある。
1911年の『古き時代の日本展』のポスターが良いな。

・ジャポネズリーの新しい波・空想か現実か
こちらは1920年代に開業したホテル・レストラン「櫻」。もはや現実の日本から離れ、空想かつ理想のジャポニスムが追及されていったことがわかる。

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映画『心優しいヴァレンティン』(1942年)に登場するそうで、一度観てみたいな。

うーん。堪能した! 図録も購入したぞ。250Kc

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■で、現在のジャポニスムといえば……

ヴァーツラフ広場近郊の書店にディスプレイされていた1冊の本、これが
MADE IN JAPAN, ESEJE O SOUCASNE JAPONSKE POPKULTURE
だ。

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現代日本のアートデザインからはじまり、オタク文化、MANGA、ANIME、日本映画、キティまで。

・MANGAは、The Japan Punch(1884年)からサザエさん、アタックNo.1、大島弓子、島耕作、美味しんぼ、少年ジャンプ等がチェコ語(読めない)で解説される。
・ANIMEは偏った写真ばかりで、面白くない。
・VIDEOHRYが本書の中心に据えられているように思われる。ゲーム、ガンダム、ポケモン。内容が少し古いかも。
・FILMはやはり、KITANOなんだな。
黒沢明はチェコ語でAkiry Kurosawyと書くのか。

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巻末の用語解説が面白い。
JAKUZA FILMY(高倉健)、J-POP、JONKOMA MANGA(4コマまんが)、KARAOKEはともかく、
FAN SERVICE、FUDZOSI(腐女子)、GACAPON(ガチャポン)、HIKIKOMORIって、どこまで。。。

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94ページのガンダム(実物大のお台場ガンダム)を紹介する記事に「robota」と書いてある。

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そう言えば、ロボットの語源「robota ロボタ」はチェコ語だったな。
ガンダムとプラハが深く結びついたことを感慨深く思い、旅の記録を終えることにする。

駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

< La Fin >

2014年7月23日、ボヘミアの中枢は快晴。
この日はプラハでアール・ヌーヴォーを満喫した。

朝食はホテル3階にあるレストランL'EPOQUEで。
アール・ヌーヴォーに彩られた内装がとても素敵だ。

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食後の運動を兼ねてヴァーツラフ広場まで散歩。
書店にディスプレイされていた1冊の本を購入した。これは後述(その9)。

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■Municipal House 市民会館
10時50分に市民会館へ到着。ガイドツアーに参加した。
ここは建物全体がアール・ヌーヴォー、ボヘミア・スタイルで彩られており、まさにプラハ文化の殿堂といっても過言ではないだろう。
説明は英語だが、日本語のパンフレットを貸してくれるのが嬉しい。
でも素晴らしい内装を鑑賞するのに忙しく、結局、パンフを読む暇なんてなかったな。

Smetana Hall スメタナホール
まずはここへ通された。内装に魅せられてしまった。

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着座して説明に耳を傾けると、なるほど「プラハの春」音楽祭の会場でもあるんだな。
左右のボックス席はそれぞれ、チェコ大統領とプラハ市長の専用席らしい。

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続いて数か所の部屋を案内された。
Confectionery
Moravian Slovak Parlour
Bozena Nemcova Parlour
続くOriental Parlourが良かった。アール・デコスタイルとアジアスタイルの混淆した装飾は面白い。

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Gregr Hallはミュシャの絵画で彩られた広大な空間だ。
小冊子によると「19世紀オーストリア=ハンガリー二重帝国の軛への反発の高まる中に結成され、後の独立の運動の中核となったNational Liberal Party(つまり青年チェコ党)の指導者のひとり、Doctor Julius Gregrを記念して命名された」とある。

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Mayor's Hall 市長の間
感動的な装飾はミュシャが手掛けたそうだ。圧倒される。

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その後のRiegr Hall、Sladkovsky Hallも素敵だった。
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エレベータだって一味違うぞ。
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素晴らしいものを見せてもらったな。


昼食は市民会館地下のレストラン「Francouzska Restauraceフランツォウスカー・レスタウラツェ」で。(12時30分~13時15分)
こちらは素晴らしいアール・デコスタイルの内装。
チェコ料理のグラーシュ(パブリカと牛肉のシチュー)、白ワイン、水、チェコ風ブルーベリーケーキ、カプチーノを注文する。(550kc)
料理は美味だったが、店員のサービスはパリと比べるといまひとつ。

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■ミュシャ美術館
作品ではなく、ミュシャその人に焦点を当てた、そんな博物館。
パンフレット込で285kc。土産は625kc。日本人観光客も多かったが、正直言っていまひとつ。
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■国立美術館
プラハ城の隣にあるナショナル・ギャラリーへ。タクシーを利用するに限る(370kc)。
前日に偶然知り、楽しみにしていた「チェコにおけるジャポニズム展」を鑑賞した。(16時~、100kc)
実に面白かった。これは後述(その9)。
17時20分よりナショナル・ギャラリー横のカフェへ。

■市民会館ギャラリー「アール・ヌーボー展」
「Vital Art Nouveau 1900」としてプラハ装飾美術館のコレクションの一部を公開展示されていた。
以前に六本木で鑑賞した展示会とは比較にならない小ささで、18時10分~50分の間に鑑賞できたレベル。
それでも、初めて目にするチェコオリジナル(?)の作品も多く、十分に楽しめた。
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■スメタナ・ホ-ルでのコンサート
家へのお土産はどうしよう。
少し迷って、旧市役所前のeppetへ入店。ボヘミアガラスの花瓶を購った。3990kcなり。

時間は20時前だ。さあ、市民会館はスメタナ・ホールへ。

予約した座席は2階の一番前。舞台が良く見えるぞ。
だが、客の入りの少ないこと。だだっ広いホールの十分の一も埋まっていない。演奏家の指揮に影響しなければよいのだが。

その心配はなかったようで、さすがはプロ。素晴らしい演奏を披露してくれた。
RUBINSTEIN、VIVALDI、MOZART、GRIEG…

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ANTONIN DVORAKドボルザークのHUMORESKAユモレスクと、
BEDRICH SMETANAスメタナのVLTAVAヴァルタヴァが最高だった。

ちなみに、これがチェコのシンボルだそうな。
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■2014年7月24日(木)、最終日
3時40分起床。辛いなぁ。でもタクシーは来てくれた。
4時20分にチェックアウトし、一路、プラハ空港へ。
5時30分に出国。
プラハ空港のビジネスラウンジへ。食事がプアー。
F32ベースのBMW M4が良いな。チェコだと、どのクラスの人が乗るんだろうか。

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まぁ、ゆっくりできたからよしとするか。

7時10分にtake offして、すぐに朝食。

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窓外は風力発電設備か……もう降下し始めた。
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8時25分にスキポール空港へlanding。急ブレーキを踏んでくれたので体への負担が大きい。頭上の物入れのあちこちでぶつかる音がして冷や汗もの。それでアナウンスはgood-byのみ。頼むよ。

スキポールは広大だが効率的な空港のはず。なのに免税手続き場へたどりつくのに恐ろしく時間を要した。
なるほど、わざとわかりにくい場所に設置しているんだな。当然か。

KLMのラウンジでうたた寝。待ち時間が長い。
13時50分にゲートE20へ到着。セキュリティに念を入れてくれて、また恐ろしく時間がかかる。
16時に出発。えらく遅れたな。
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夕食は、もしかしてエールフランスより充実? 気に入った。
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原子力発電所が見える。ロシアのものかな。
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朝食は卵料理。
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10時頃に無事に帰国できた。良し。

続く。
写真ばかりですみません。

■DOWNTOWN旧市街を歩く
では、お散歩開始。

・ヴァーツラフ広場

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遠くに国立博物館を望む大通り。聖人の名をとって「ヴァーツラフ広場」と呼ばれるここは、「プラハの春」と「ビロード革命」の舞台となった歴史的な場所だ。
思えば1989年の革命の際、後に大統領となるハヴェル氏がさっそうと登場したわけだが、個人的にはアレクサンデル・ドプチェク氏のほうに好印象を抱いている。
ドプチェク氏は、1968年の「プラハの春」を指導し、つかの間の「人間の顔をした社会主義」を実現して解任された共産党第一書記だ。

話は飛躍するが、1993年に講談社より出版された「希望は死なず ドプチェク自伝」によると、「プラハの春」をつぶすためにワルシャワ条約軍が侵攻したわけだが、政府首脳陣と共産党指導部がそのまま踏みとどまり、傀儡政権の成立を防いだことが、ソ連の意図(「チェコ政権からの要請を受け、治安部隊を進駐させた」の言い分)を挫いた最大の要因だったと、そう本人は述べている。
結局、ドプチェク氏ら「プラハの春」の主導者はソ連に拉致され、党と政府の要職から追放されてしまう。

アレクサンデル・ドプチェク氏。1989年のビロード革命後、国会議長(三権の長)に就任した後、睡眠時間を削って働きに働いた信念の人。68歳に交通事故で病院に運ばれたときには、肺炎、胃潰瘍、膵臓炎にかかっていることが判明した。
働いて、働いて、、、頂点から追放されてひとりの林業従事者へ、そして再びの頂点で迎えた死。
壮絶な生き方に、感動を覚えずにはいられなかったことを憶えている。

有名なアール・ヌーヴォー様式のHOTEL EUROPE ホテル・エヴロパを観る。いいな。
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・ナ・プシーコピェ大通りから市民会館へ。
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近隣諸国からの観光客が多いからだろうか、やけに高級車の多い気がする。
6シリーズも意外と多いし、ベントレーなんて想像もしなかった。
代わりにメルセデスは少ない。なぜ?
日本車はMAZDAを数台とTOYOTAを1台見かけた。

・市民会館
プラハの文化の中枢部と言っても過言ではない市民会館。市長執務室もあり。
ここは翌日のツアーに参加し見学することになる。

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・火薬塔から旧市街広場へ
市民会館に隣接する火薬塔。15世紀に建築された黒く特徴ある塔の門を潜り抜ける。
ここから「王の道」を逆さにプラハ城へと向かう。
小さなショップがひしめき合い、劇団員と思しき客引きも多い。
この通りを歩くのは観光客ばかりだろう。

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ガイドブックには「北海道なみの気候」とあるが、周りは半袖かタンクトップばかり。
日本と変わらない暑さの下、長袖シャツで出掛けて、ひとり後悔した。

・旧市街広場、カレル通り、
旧市街広場は、なるほど、観光のひとつのハイライトだな。
ヤン・フス像にティーン教会、キンスキー宮殿が良い。
「これぞ、中世から続くプラハ」といった感じのノスタルジーと活気に満ち溢れて、実に良い。来て良かった。

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■旧市庁舎の天文時計 ガックシ

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有名な天文時計の前に肉料理レストランのオープンテラスがある。半端な時間だが、足がクタクタなので休憩。
真正面の良席が空いていたので速攻で占める。

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この天文時計、毎正時に仕掛けが動くらしく、なるほど、15時前には人だかりとなった。僕は特等席でビールをおかわりしつつ、期待に胸を膨らませる。
15時。オルゴールが鳴動し、時計の周囲の人形が動き出す。

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これでお終い???

ガイドブックには「神秘的な動きの天文時計」「天使の両脇にある窓が~」と書いてあるが、期待しすぎたって感じ。
「え~」と嘆息を残しつつ、立ち去る観光客の群。僕も「金を返せ(ビール1,000mlとチキンサンドで600CZK)」と言いたいなぁ。

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■カレル橋を渡る
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プラハと言えばここ、カレル橋。14世紀に架けられた由緒正しい橋梁の全長は500メートルを超える。
立ち並ぶ30体の聖人像の下には、絵描きやパフォーマー、土産物売りがひしめき合っている。
でも、人多すぎ! 今度来るときは早朝にしようと思う。

カレル橋遠景
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さぁ、プラハ城へ!
……こんなに坂道がキツイとは。足が棒のようだ。
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しかも、到着したのが16時30分なので閉館前。トホホ。

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気を持ち直して、城に対面する宮殿に入るオープンカフェへ。
ここから眺め見下ろすプラハ市街の眺めは実に良い。
カフェのお姉さんの笑顔も実に良い。

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このシュヴァルツェンベルク宮殿にはナショナル・ギャラリーがあるのだが、ここは翌日に鑑賞することにする。

17時、プラハ城衛兵の交代式を観る。あれだけ直立不動の姿勢を貫き、観光客にちゃかされても表情一つ変えなかった衛兵諸君は、まさしくプロフェッショナルだ。

チェコスロバキア初代大統領、マサリクの像を観る。王宮に対面しつつ、毎夕、彼は何を思うのだろうか。

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城を降りて、聖ミクラーシュ教会を経て、マーネス橋を観て、ヴルタヴァ川を右手に歩く。
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チェコ橋を渡ってユダヤ人地区へ。
新旧のシナゴーグ、旧ユダヤ人墓地(やはり写真は消去した)を観る。

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ブルタヴァ川右岸からプラハ城を望む。
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ふたたび旧市街広場へ。
ここは夜間も活気に満ちている。

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夫人が良人を罵倒する像。なんか気に入った。
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夕食はホテル内の有名レストラン「Gourmet Club グルメ・クラブ」へ。
きちんとセットアップ・スーツに着替えて行ったのに、アメリカ人観光客はポロシャツですか……。なんだろうね。

ここちよいピアノの生演奏をBGMに、クラブガニのスープを試す。美味。
牛肉のステーキも柔らかで良し。
ニューヨークチーズケーキ(大きい)とコーヒーで締める。

「ずいぶんと予定が狂ったが、明日も元気に歩こう」と旅行手帳に書いて寝た。

続く。








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(お気に入りの一枚)


2014年7月22日、4時起床、晴れ。

■パリからプラハへ移動
4時55分にオペラ・ガルニエ横のロワッシー・バス乗り場へ到着。一番乗り。
このバスに乗り遅れないために近傍の三ツ星ホテルを選んだのだ。

5時15分の始発バスでシャルル・ドゴール空港へ向かう。乗客わずか6人。10.5ユーロ。
外はまだ暗く、上空は星のまたたきが綺麗だ。
18時に空港着。早朝でも45分はかかるんだな。憶えておこう。
18時20分出国、ターミナルFのラウンジで朝食をいただく。
このラウンジはターミナルEに比べると座席が少なく、座れるまで時間がかかった。

しかし、昨日のモンマルトルもルーブルもそうだったが、中国人と韓国人の団体観光客のうるさいこと! 周りの白人が顔をしかめていたが、その気持ちもわかろうというもの。一昔前の日本人団体客もあんな様子だったんだろうな。

パリ発プラハ行きAF1382便は7時45分にtake off! すぐに朝食が出た。
9時7分にlanding、ヴァーツラフ・ハベル国際空港へ到着したぞ。

で、この空港は信じ難いことに、英語、フランス語、ドイツ語、ハングルの案内表記と来た! なんでや!
開発・改装に韓国資本が入ったのか、政治的策略なのかな?

Praha-hlavni nadrazi プラハ中央駅行き空港エクスプレス・バスのチケットを購う。60Kc。
9時45分出発、空港周辺は畑が多いな。
10時20分中央駅到着。

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歩いてホテルへ向かう。石畳は美観形成には作用するが、スーツケースのキャスターにダメージを与えそう。

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■アール・ヌーヴォー・パレスホテル

"Art Nouveau Palace Hotel"に到着。10時45分。
ここは1906年建築のグランドホテルだ。
かつて"Hotel Palace Praha"ホテル・パレス・プラハ時代には、ローリングストーンズも宿泊した。
10年以上前のTITLE誌2003年3月号の「Walking around PRAGUE プラハを散歩する。」特集号で気に入って以来、気になっていたのだ。

チェックイン時刻(15時)には早すぎる。フロントに向かうと「30分待てばOK」とのことで、1階の「Cafe Palace カフェ・パレス」でフレッシュジュースを注文。目の前でフルーツをミキシング。美味だ。
アール・ヌーヴォー様式のクラシックホテル。ロビーもカフェも言いようのない魅力だ。気に入った。

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部屋は312号室で、ウェイティングルーム付き。ちょうど、ミュシャ博物館を見下ろせる位置にある。
重厚かつスタイリッシュな内装がとても良い。

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散歩への出発時、振り返ってエントランス上のファサードをよく見ると、チェックイン時にはなかったはずの日章旗が! 僕が宿泊するので掲揚してくれたんだな。嬉しいぞ!

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続く

2014年7月21日(月)午後のパリ

■左岸を歩け歩け

ポン・ヌフを経てカルティエ・ラタンへ向かう。

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オデオン座

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リュクサンブール公園

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パンテオン 圧倒的な存在感

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ムフタール通りへ。一度訪れてみたかった「パリ最古の通り」だ。

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2012年6月に大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室で鑑賞した荻須高徳『Rue Mouffetard ムフタール街』(1932年)のイメージとも重なりあって良い感じだが、観光客目当ての飲食店が多いな。

ムフタール街を抜けてモンジュ通りを歩く。

しばらくして、リュテス闘技場なる公園にたどり着いた。中は円形の球技場のようだ。
少年サッカーに負けじと、老人たちが鉄球を投げてぶつけ合う競技に沸いていた。訊くと「ペルン」と言うのだそう。硬球大の球を持ってみたがズシリと重い。パリの老人、侮りがたし。

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リュテス闘技場近くのメトロの入口。気に入った。

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北上し、1165年に創立されたパリ最古のサン・ジュリアン・ル・ポーブル教会に到着。外観のみ参拝。ノートルダム大聖堂は目と鼻の先。5月に入場したので今回は素通り。ものすごい人だかりを掻き分け、大通りと川を超え、右岸へ渡る。

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ホテルで小休止。18時40分。
モンジュ通りは品が良くなさそう。ムフタール通りもいまいち好きになれなかった。


■モンマルトル逍遥
ここを散策するには時間切れ。次回はじっくりと廻ることにしよう。

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■サクレ・クール寺院
観光客で溢れているな。確かに眺めは良い。でもそれだけのような気がした。失礼。

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■シャ・ノワールの足跡を巡る
世紀末のわずか十数年間、モンマルトル文化の揺籃の地となったキャバレー、LE CHAT NOIR(黒猫:有名なポスター画)の2か所の跡地を訪ねた。これは展覧会「陶酔のパリ・モンマントル 1880-1910 『シャ・ノワールをめぐるキャバレー文化と芸術家たち」を2011年4月に鑑賞して以来思っていたことだ。
新進芸術家と商業主義の融合が一大文化を生み出す有様はさぞ、壮大かつ刺激的なものだったに違いない。

それも昔の話か。
「シャ・ノワール」の2番目の店(~1897年)の跡地は普通の民家になっていた。

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最初の店(~1885年)の跡地は隣の土産物屋に押しのけられそうになっていた。
フィリップ・スタルクのデザインした歴史案内板が泣くぞ。

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最初の店の跡地の同じ通りの角に現役のカフェ・コンセール「エリゼ=モンマントル」(1807~)があるはずなのだが……なんと、つぶれて売りに出されていた。うーむ。

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それでも、このピガール地区はサブカルの香りがプンプンして良いな。また来よう。

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これでパリ散歩はお終い。翌日のプラハ行の準備、準備!

続く。

2014年7月21日(月)

■ルーヴル美術館の至宝たち
8時30分、ピラミッド前に推測600人の行列あり。黙って並び、9時すぎに入場できた。
10時以降はすさまじい混雑となり、これが15時ごろまで続く。恐ろしや。
拝観料(?)12ユーロ。大英博物館はタダなのになぁ。


Denon翼77号室の南西の角。ここが僕の好きなLouvreだ。
朝一番よりモナリザの前は恐ろしい混雑だが、こちらはゆっくり鑑賞できる。

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Jean-Auguste-Dominique INGRES「Jeanne d'Arc au sacre du roi Chaeles VII, dans la cathedrale de Reims」(1855年)
『シャルル七世の戴冠式のジャンヌ・ダルク』
この少女の美しい表情と金属的な甲冑の対照が良い。実はルーブルで僕の一番好きな絵画だ。

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「詐欺師」「指輪と乳首をつまむ姉妹」「恥じらう乙女」「踏みつける天女」等々。一級の芸術に触れるっていいなぁ。

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オルセーに見られないルーブルの特徴の一つに、中世宗教画の充実があげられるだろう。お気に入りをパチリ。

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モナリザの微笑む部屋です。

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この特別な空間のニケちゃん。大人気でした

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(写真の下は大混雑)


目には目を、歯には歯を。ある意味、生きた法典。

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14時。遅い昼食はリシュリュー翼に併設された「Le Cafe Marly」カフェ・マルリーへ。赤地に金のライン、青いロゴのインテリアはルーブルにふさわしいな。
テラス席に座り、ピラミッドとドゥノン翼を眺めながらの食事だ。
スープ(gaspacho)は良し。メインはunique tenderloin steakを奮発した。美味い!

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晴れたり、曇ったり、どんどん変わるパリの空模様。これも文明の素地のひとつなのかな。

続く

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