■軍事歴史博物館
食後、タクシー(20,000ドン)で軍事歴史博物館へ。入場料70,000ドンはちと高い。
「ベトナムの近代戦争におけるベトナム軍の歴史を紹介した博物館」
ここは気に入った!
独立戦争期の写真パネル、フランス植民地軍将校の遺品、銃弾痕の痛々しいヘルメットの残骸、等々
1954年のディエンビエンフーの包囲戦の巨大ジオラマは圧巻だ(写真がないです)。
やはり対米戦争時の展示には力が入っている。
・ホーチミンによる南北ベトナムの統一までの軍需品、写真パネル、地下塹壕の模型、等々
・サイゴンの大統領官邸へ進撃したT54戦車。これは国宝らしい。
・米軍機を14機撃墜したMIG21戦闘機。これも国宝。
・鹵獲(ろかく)された米軍機の残骸が大々的に展示されていた。
非人道的な爆弾はアメリカ製。
・国家総動員体制とはいえ、女性兵士の姿が大々的にクローズアップされていた。この土着パワーには勝てないな。
これは国旗掲揚塔。隣接する旧ハノイ城跡の一部であり、世界遺産なのだ。
■タンロン遺跡
だだっ広い。でも、これが「世界遺産」と言われてもピンと来ない。
・端門
ほとんど唯一完全な形で残された正門。
楼閣の上から全体を見下ろせるとのことだが、特段の感動はなかった。
端門の前には見事なベトナム式(?)盆栽が並べられていた。また植樹、フランス式庭園の整備等も行われており、観光客だけに閲覧を許すのはもったいないと思った。
・敬天殿
ここの見世物は「龍の階段」で、「殿上人」のみここを昇ることが許されたそうな。
宮殿のあった場所には博物館が建てられ、発掘された遺跡や古代の地図などが展示されている。
■北ベトナム軍司令部
タンロン遺跡はだだっ広い。でも、これが「世界遺産」と言われてもピンと来ない。
その一方、中にある場違いな軍事作戦司令部は良かった。
フランス軍が、後に北ベトナム軍が使用した緑色の建築物がそのまま残されており、これこそ観光価値の高いものだろうに。
野戦用電話機や暗号装置らしきものが残されている。
目玉は、原子爆弾の攻撃にも耐えられるシェルターとして地下10mに設けられた地下指令室「D-67」だ。
第二次世界大戦中のイギリスの「War Cabinet」を彷彿させ、やる気が十二分に伝わってくる。
出入口はこんな感じ
■ハノイ教会
16時50分にタンロン遺跡を退出し、南へ向かう。ここからが長かった。
歩いて、歩いて、迷って、あさっての方向(南西)へ出てしまい、GOOGLE-MAPで修正だ。
歩道にはバイクが、店先の商品が並び、人々は車道を歩かざるをえない。そこをバイクと車が疾走するのだからたまらない。事故の少ないのが不思議だ。
どうにかハノイ教会へたどり着く。中へ入って休憩だ。
ちょうど、ミサが執り行われていた。
■ホテル・メトロポール・ハノイ
(ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ハノイ)
観光の最後は再びのホアンキエム湖だ。
売店で500mlペットボトル水を買うと、すまし顔の店員は「50,000ドン」とぬかしやがった。再確認すると「10,000ドン」になった。油断ならないな。
18時にホテルへ戻る。再び「ル・クラブバー」へ。
・メトロポール・シャーベットセット
・カプチーノ
・スパークリング水withライム
で生き返った。(646,000ドン)
朝に注文したマカロンを受け取る際、ホテルのスタッフに声をかけられた。
「昼間、ル・クラブバーでビーフを注文してくれましたね」
服装からしてマネージャー、あるいは支配人クラスだろう。
マカロン・ショコラショップの店員は、とても偉い人だと言っていた。
そういえば、この人にも給仕してもらったんだったな。
ハノイそのものは、途上国かつ社会主義国家らしく、お世辞にも楽しいところとは言えない。
それでも印象は悪くないのだ。
これは本当に、ホテルの素晴らしさによるところが大きい。
これまで宿泊した中で、Hotel Metropole Hanoi(Sofitel Legend Metropole Hanoi)はパーフェクト。
最上のサービスを受けられたと思う。
これで、パリの三ツ星オンボロホテル(日本のビジネスホテル以下)よりも宿泊費が安価なのだから愕然とさせられる。
■帰国です
ホテルにマイリン・タクシーを呼んでもらい、19時10分に出発。
ホテルのドアマンもプロだったな。
ビュンビュン飛ばして19時55分に空港到着。
メーターは380,000ドンだったがチップ込みで500,000ドンを奮発。
20時35分に出国。あまりにも到着時間が早すぎた。3階のレストランへ。
・ビール「BIA HA NOI」を2本
・牛肉入りフォー
・シーフード揚げ春巻き
450,000ドン。
高級レストランのものより数段劣る。美味とは言えないなぁ。
22時55分にレストランを出る。
23時55分にボーディング開始。バス移動のせいなのか、優先搭乗なし。SKY PRIORITYの看板が泣くぞ。
24時20分に離陸後、機内にガスが充満したのには驚いた。冷却剤か、はたまた殺虫剤か。
害は無いものの気分良いものではないな。
朝食はお世辞にも食えたものではない。僕でさえ半分を残した。
4時32分に関空到着。6時45分に再入国完了。
残金1,080,000ドンを両替すると……わずか5,076円だった。
ベトナム航空は万事につけ事務的・義務的な対応で、愛想笑いひとつなし。ダメだな。
■戦争の悲しみ バオ・ニン Bao Ninh
ハノイに初めて空襲警報が発令された1965年春の夜。その描写がある。
「国鉄ハノイ駅に並んでいた数十の機関車が一斉に汽笛を鳴らし、オペラ・ハウスのてっぺんからサイレンの叫びがおどろおどろしく都心一帯に響き渡った。……人々は初めて経験したその凶暴な大音響に驚愕し、次いで狼狽し、心臓の鼓動も止まるほどの恐怖に駆られて右往左往した。ドアを荒っぽく開閉する音。階段を急いで走り下る足音。それに街区ごとに設置されていた広報伝達用のスピーカーの叫び声。『同胞の皆さん、同胞の皆さん、敵機が接近しています、敵機が……』」
(池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅰ-6巻所収、THAN PHAN CUA TINH YEUよりp333、井川一久訳)
僕の歩いたハノイに戦争の痕跡は見えなかったけれど(ロンビエン橋の破損を除く)、2010年9月に読み終えたこの小説のことを思い出した。
なぜだろうと、街を見る。
猥雑なほどの活気に溢れた市場、バイクの群れが所狭しと疾走する大通り。国家建設に向けてであろうスローガンを大書きしたバナーがあちこちに翻り、希望に満ちた未来像を示すプロパガンダ・イラストが点在する街。
日本と何もかも違う。
違う。何かが異なるのだ。
そうだ、老人の姿が見えないのだ。
いないわけではない。けれども中国やEU諸国、北米大陸では元気に闊歩していた爺さん、婆さんの姿が圧倒的に少ないのだ。
戦争の影響がないはずがない。愕然とさせられる。かつて自らの国を占領し、統一後も故郷を攻撃し、果ては戦略爆撃機で攻撃し、近親者を殺害し続けた欧米人観光客を、昨日も今日も明日も笑顔で迎えなければならないハノイの人たち。
その苦悩、察するに余りあるが……強く生きるしかない。
ハノイ弾丸旅行記、終わりです。ありがとうございました。
- 204 ベトナム
男ひとり旅の美学 2014年9月 ハノイ その2
2014年9月14日、ハノイは快晴
■インドシナの中のパリ
朝食はフランス料理レストラン「Le Beaulieu ル・ボリュー」でビュッフェ。
まるでパリのレストランにいる感覚はとても快適だ。
クロワッサンが美味い。
ここは1901年創業の、フランスによるベトナム統治を象徴するホテルでもある。
今回の旅行ではここへの宿泊を決めていた。
非常に満足だ。
ホテル内のショップで、会社と自分への土産にマカロン45個を、家への土産に歯ブラシ立て(部屋の備品と同じもの)を買った。マカロンは預かっておいてもらう。
■ドンスアン市場
ホテルの外へ出ると、すごい湿気。眼鏡もカメラのレンズも曇る、本当に困る。
午前はLy Thai To ST.リータイトー通りを北へ。ドンスアン市場とロンビエン橋を目指して歩く、歩く。
ホアンキエム湖の北側一帯が旧市街で、ここのごちゃごちゃした通りをバイクに気を付けつつ、さらに歩く。
この旧市街だけではないが、歩道は「店の商品置き場、あるいはカフェのテーブル置き場」となる、そうでなければバイクの駐輪場となり、人の歩く余地はなく、人間様はバイクと車の行き交う車道を歩く羽目になるのだ。こうなると観光も景観もへったくれもないが、現地人にとって生きるためには仕方ないのだな。
サーグー通りを西へ、ハンドゥオン通りを北へ行き、Cho Dong Xuanドンスアン市場に着いた。
このファサードは、なるほど、新古典主義なのか。
中で働く男女はそんなこと、気にしてもいないんだろうな。
■東河門
旧ハノイ城の城門の一つで、18世紀の建築らしい。これほどの貴重な遺産が粗末に扱われているのはもったいない。
■ロンビエン橋
一度は観光リストから外したが、ホテルの宿泊階に掲示してあった旧時代の写真パネルを視て、足を運ぶことに決めた。
この写真パネルの影響なのです。
隣にはこんなパネルも。「安南」はベトナムの旧国名ですね。
さて、ここは1902年に完成した全長1.7kmの鉄道橋だ。当初はインドシナ総督の名から「Le Pont Doumerドゥメール橋」と呼ばれ、第二次世界大戦後にCau Long Bien ロンビエン橋と改名されたそうな。
ベトナム戦争中はアメリカ空軍による北爆で何度も破壊され、そのたびに補修を繰り返したそうな。
さぁ、歩こうか。
鉄道とバイク専用の橋であり、本当は人の歩行は禁止されているそうだが。
下に見えるは紅河だ。この河の畔に人類が住み着いたのが古(いにしえ)のハノイか。
紅河を見下ろしつつ、橋の上でたたずむ。バイクの往来が激しく気を抜けないが、ハノイの創生時代に思いを巡らせた。
Yen Phu ST.イェンフー通り。この30km先にノイバイ国際空港がある。
■ル・クラブバー
11時にホテルへ戻る。信じられん話だが、全身の汗で服が雑巾のようになってしまった。下着を含め、すべて着替えることとなった。
もう飛行機内用の長袖しか残っていないのに。
11時55分にチェックアウト。また泊まりたいな。
そのまま昼食を。ホテル内の著名なバー(昼間はカフェ)「Le Club Bar ル・クラブバー」でランチすることができた。嬉しいぞ。
パリ直系のフランス料理を堪能した。
スパークリングワインでのどを潤し、冷スープ「ガスパッテョ」をいただく。
赤ワインはフランス産。
メインはフォラグラとフィレステーキのコンビ「ロッシーニ」にした。これが最高の味だった。
カフェラテで締め。
満足度120%だ。
これで2,933,700ドン、14,000円。値段もパリと変わらない……。
お腹いっぱいで、続く。
男ひとり旅の美学 2014年9月 ハノイ その1
安南の古都へ1泊3日の弾丸旅行を敢行。フランス植民地時代の名残とホー・チ・ミン社会主義の雰囲気を楽しんできた。
【参考データ】
往路便
2014年9月13日 関西空港10時30分発VN331便、ハノイ行き
復路便
2014年9月15日 ノイバイ国際空港0時5分発VN330便、関西空港行き
ハノイ宿泊先:
Sofitel Legend Metropole Hanoi(1泊)
■2014年9月13日、出国、嬉しくない飛行機
ベトナム航空便は初搭乗。予約時に16Dを指定したのが間違いだった。客席乗務員の座席が客室の数か所に分散配置されている。その一つの真後ろだったのだが、足を延ばせない。冊子ポケットすらない。まぁ、おかげで往路は旅プラン作成に集中できたのだが。
機内にパーソナルモニタはない。トイレは機体最後尾に3か所集中配置なら、順番待ちも集まるわけで、後方座席の客にしてみれば迷惑でしかない。小型機のA321とは言え、なんて設計だ……。
10時40分に離陸、昼食は、もろエコノミークラス用。エールフランスやKLMには劣るが、まぁ悪くない。
現地時間12時55分に着地。ターミナルへはバス移動となるが、なんて暑さと湿気だ。
13時15分に入国。
20,000円を両替すると、3,780,000ドン。200,000ドン紙幣が普通に使われるんだな。
タクシーでホテルへ。
できたてほやほやの高速道路を通る。日本企業の広告も多いな。
ノイバイ国際空港はとても小さいが、現在、日本の協力で巨大な新ターミナルが建設されており、ほとんど完成した新ターミナルビルにはTAISEI 大成建設の表記があった。
ベトナムにはMitsubishi Heavy Industries, ltdによるボーイング737の翼工場があるのですよ。
所要時間45分で380,000(400,000)ドン。チップ50,000ドンを弾む。
これでも総額で2,100円程度。
ホテルの客室案内係(日本人女性)とドアマン・ポーターのチップで70,000ドン(336円)。金銭感覚がマヒしそうだ。
ホテルだけは、この国の周囲と別世界。ホッとできる。
飛行機の狭苦しい座席のせいだろうが、腰が痛む。それでも観光に出発だ。
■ベトナム国旗「金星紅旗」の翻る首都
オペラ・ウイング側のファサードを出る。さっそく方向音痴ぶりが発揮され、Ngan Hang Nha Nuoc国立銀行まで歩いてしまった。
このモダニズム・スタイルの建築物もなかなか良いのだが、Google MAPで道を確認し、反対方向へ歩みを修正する。
すると目前に、かつてオペラ・ハウスと呼ばれたNha Hat Lon Thanh Pho市劇場が現われた。イエローとホワイトを基調とした壁面が夕陽の照射を浴びて輝きを増す。頭上にはベトナム国旗「金星紅旗」が翻る。
パリのものとはまるで違うが、これはこれで良いな。
内部見学は無し。公演もこの1週間はなさそう。
■歴史博物館
市劇場から200mほど歩くと、Bao Tang Lich Su Quoc Gia 国立歴史博物館がある。
この博物館の特徴はその外観にある。深いバルコン付きの建築物には本当に風情がある。
まさにインドシナ様式の真髄。
チケットを購入して、外観を何度も鑑賞して、内部へ。
ガイドブックには「展示物の充実度はベトナムでも屈指」とあるが、首都にある国立歴史博物館として、この規模はどうなのか。
明石市立文化博物館よりは大きいが、神戸市立博物館より規模は小さいような……。
まぁ、限られた予算での運営は大変だから……とは言えないな。ここの職員のやる気の無さ!
16時20分に入館したのだが、どの職員=公務員もやる気なし。スマホ片手に客用ソファーに寝そべり、ダベり、手鏡をみて髪をいじり……何人かはもう私服に着替えて帰る気満々だし。
上海の交通博物館を思い出したぞ。
八角形のエントランスホールにはベトナム(安南)の古い地図が置かれ、興味を惹かれる。
ここは先史時代からフランス統治時代、ベトナム独立までの歴史資料が豊富に展示されている。時間の都合で近世・グエン朝以降の展示(2階)を鑑賞することにした。
・巨大な亀の像、千手観音像、軍船などに中国の影響が大きいのは、近世までの東洋の宿命か。
・フランスに占領されるまで、漢字が通用したんだな。
・庭園にも、各地で発掘された彫刻などが置かれている。
■チャンティエン大通りを行く
さて、フランス統治時代の面影濃いとされるチャンティエン大通りを歩こうか。
市劇場から見るとこんな感じ。コロニアル建築の集う姿は首都の証だ。
・思ったより小規模だった。
・すさまじきはバイクの洪水……
・いいな、この感じ
■ホアンキエム湖
ハノイ有数の憩いの場、それがHo Hoan Kiem ホアンキエム湖だ。
15世紀に中国・明朝の支配からベトナムを解放した英雄、レ・ロイの宝剣伝説に基づき建立されたのが湖の中央に立つ「亀の塔」で、この湖のシンボルともなっている。
夕涼みの湖畔には楽しげな家族連れ、新婚さん、ウエディングドレスをまとった新婦さん、と賑やかだ。
それでも「金をくれ」だの「ジャパニーズ・ボーイ」だの、怪しい人種も多い。気を付けないと。
湖の周りをぐるりと散歩。
途中、玉山祠に寄る。中国人の団体観光客がうるさいぞ。
湖の北西にあるカフェで休憩。ここのテラス席からは湖を一望できる。
店内にベトナム人はいない。外国人旅行客向けの価格に設定されているんだろうな。
アイスコーヒー+アイスクリームフロートを注文。チップ込みで80,000ドン、384円。これでも現地人にとっては高額なんだな。
(他の売店で、ペットボトルの水が10,000ドンだった。48円か。)
腹立たしいことが一つ。隣席の欧米人がでかい声で急に「ナンキン・ジェノサイド」の会話を始めやがった。
「ジャップ」と聞こえたぞ、この野郎!
レイシスト、インペリアリスト、ファシスト、ナチス、クー・クラックス・クラン、ベトナム人惨殺の責任を取れ、おまえ、実はアルカイダだろう……英語を話せない口惜しさよ。次はみていろよ。
18時30分、そのまま、階上のベトナム料理のレストラン「Dinh Lang Thuy Ta ディンラン・トウイータ」に入店した。
見晴らしに期待したが、カフェのテラス席には見劣りするなぁ。
19時頃よりベトナム伝統楽器の演奏会が始まった。良いぞ。
「赤とんぼ」を演奏してくれるとは思わなかったが、歌い手がわざわざ席にやってきて暗にチップを要求してくるとは、もっと思わなかった。
(会計時に50,000ドンを奮発してやった。)
で、ベトナム料理は二重丸。
ビール(333)2本、カニのス-プ、生春巻き、牛肉を葉で包んだ「ボー・ラー・ロット」、シーフード・ヌードル、コーヒーとケーキ。
満腹になるまで美味いものを食べて、810,000ドン(うちチップ100,000ドン)、3,900円。
世界経済とは何か。
あまりの格差に、ちょぴり絶望感すら沸いた。先進国がボリすぎているってことなのか。
ホアンキエム湖。夜に入るとロマンティックでいい感じになったぞ。一人旅の男にゃ関係ないが。
続く。