男ひとり旅の美学

33の国と地域、南極を含む七大陸を踏破! 海外旅行歴28回の「旅の恥は書き捨て」です。愛車BMW M3と読書感想文も。

- 900 日本国内

正月3日に思い立ち、前から訪れてみたかった竹原への男子ひとり旅を敢行した。
旅のテーマは『たまゆら』紀行、ついでに世界遺産・厳島神社への初詣だ。

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【参考データ】
2016/1/9土
新幹線 西明石09:07発~三原11:02着
JR呉線 三原11:19発~竹原11:53着

2016/1/10日
高速船 竹原港09:03発~大長港09:46着
高速船 大長港14:02発~竹原港14:46着
JR呉線 竹原17:12発~呉18:17着

2016/1/11月
JR呉線/山陽線 呉12:14発~宮島口13:28着
JRフェリー 宮島口13:40発~ 宮島13:50着
JRフェリー 宮島16:25発~ 宮島口16:35着
JR山陽線 宮島口16:59発~広島17:28着
新幹線 広島18:13発~西明石19:32着

竹原宿泊先:グリーンスカイホテル竹原(1泊)
呉宿泊先:コンフォートホテル呉(1泊)


■JR呉線 竹原駅の『おかえりなさい』を観る
2016年1月9日(土)

西明石9時7分発の新幹線は岡山乗り換え。車内販売のないレールスターには不満だが、通過列車待ちの間にホームで買い物ができるので、まぁ良しとしよう。

三原駅で新幹線からJR呉線に乗り換え。
二両編成の電車は満席。なんと驚いたことに、乗客の半数近くが若い外国人だ(中、韓、東亜)。
彼等は忠海駅で降車した。なるほど、うさぎパラダイスの大久野島が目当てなんだな。

JRでワンマンカー、って初めて経験したぞ。後ろの車両のドアは開かないのか……。(三原と竹原では開く。)
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11時19分に出発後、ひたすら海岸線を走るのだ。素晴らしい景色だ。文庫本なんて読んでる場合じゃない。
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11時53分に竹原駅に到着。コインロッカー(500円)にトロリーケースを預け、期待に胸を弾ませて竹原の散策を開始。
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おお、コンコースを出ると、あの『おかえりなさい』の七文字が。良いね。
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■浪漫てくてく「たけはら」
竹原駅を出て右手に観光案内所がある。『たまゆら』の大きな看板は嬉しいが、少し色褪せているので交換してほしいな。

観光目的地である「たけはら町並み保存地区」のパンフレットをもらう。初老の男性係員は先客の外国人との英会話に苦心されていた様子。大変ですな。

あいふる316商店街をてくてく歩く。おお、ももねこ様だ。
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ぽって「私が主役です」
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頼山陽先生の銅像。いつか『日本外史』を読んでみたいな。
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日の丸寫眞館! 感無量です。
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日の丸寫眞館の通りを北上して「たけはら町並み保存地区」に入る。おお、これが『マッサン』の竹鶴酒造ですか。
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■旧笠井邸 ここは天国
ここに立ちたかったんです。
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靴を脱いで中へ入る。一階はオーソドックスな展示
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で、急な階段を二階へ上ると……。
たまゆらワールドじゃないですか。
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卒業写真・第1部「芽」の絵コンテがある。かぐや姫に扮する巧美のシーンですね。
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hitotose最終話の「私たち展」で麻音の演出した物語、のこちゃんですね。
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旧式のラジオも良い。
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協賛金200円。ありがとうございました。
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■普明閣
西方寺への階段を昇ると、竹原の「甍の海」を見渡せる。
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普明閣
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西方寺の境内
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■サントリーとニッカ、マッサンとリタ

竹原市歴史民俗資料館では、竹鶴政孝生誕の地である竹原と、マッサンとリタの暮らした小樽、ニッカ蒸溜所のある余市に関する事物が展示されていた。
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なるほど、大日本果汁→ニッカ(日果)ウヰスキーなのか。


■町並み保存地区を歩く、歩く
江戸時代後期のお屋敷と町並み。製塩業と酒造業で繁栄したとある。
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本町通りの突き当りに胡堂。
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右手を昇ると、照蓮寺。
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中ノ小路を行く。藤井酒造、光本邸を経て、大小路。左手に復古館。
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おかかえ地蔵。抱える勇気はないですが。
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お好み焼き「ほり川」で『ほぼろ焼き・極』をいただきました。
ハンバーグ入りお好み焼きは斬新でした。
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ぎゃらりい梅谷でクリアファイルを購入。
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竹楽で、かぐや姫の竹人形をお土産に購入。
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■松坂邸
塩田で栄えた274坪の大邸宅。
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庭園から普明閣が見えます。
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一日目の観光は終了。竹原駅へ戻って荷物を回収し、ホテルへ向かう。

おお、グリーンスカイホテル竹原のロビーには『たまゆら』コーナーが設けられ、劇場版色紙などが展示されていた。嬉しいぞ。
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近傍に飲食店がない! 駅前にコンビニすらない(徒歩10分)ので、ホテルで夕食。
ステーキ&さしみ定食とビールとスイーツとコーヒーで5,000円弱、う~ん。

まずまず快適なホテルだったと思う。

続きます、なので。

以前に神戸新聞で記事を読み、ずっっと気になっていた。天気も良いし、たつの市まで愛車を走らせた。(2008年3月16日)

うすくち龍野醤油資料館・本館へ。
ここは当たり! レトロな外観、懐かしさと当時の先進的な活動を偲ばせる展示の数々。
ゆっくりとした時間の流れを存分に楽しめた。

あまり紹介されないが、別館も気に入った。入り口のアーチと煉瓦造りの外観がとても素晴らしい。「図書室」に残る数々の資料も貴重だが、特に印象に残ったのは、いま見ても実に洗練された応接室だ。
受付窓口兼事務室で黙々と事務処理をこなす初老のおじさんの背中、いまも現役で動いているのは大正時代のゼンマイ時計。なんとMade in U.S.A.だ! そしてこのおじさんも印象が良かった。

実はここら一体は観光産業に力が入れられているようで、魅力ある街並みだった。しかも街全体がこじんまりとして、十分に歩ける距離だ。

龍野城を訪れると、そこにあるのは普通の館。その背後にある鶏籠山(けいろうさん)の頂上に、旧天守閣跡があるらしい。一念発起して上ることにした。急勾配にもめげずに延々と20分。終点の二の丸跡に着いた。景色が素晴らしい。よって疲れは無い。
(実はその先に本丸石垣跡があったらしい。地図がないとこうなる。)

醤油資料館とは別の、もう一つのお目当て、明治三四年創業の本屋「伏見屋」をやっと探し出したのだが、すでに閉店の時間らしく、扉が閉ざされていた……。

たつの市立龍野歴史文化資料館では、「描かれた船 室乃津 賀茂神社の文化財」展を観た。江戸長崎出島時代のオランダ商船をはじめ、歴史絵画を楽しめた。(でも、それだけ。悪いけれど、心に"ビビッ"とくる作品は無かった。)

3月23日まで、龍野城下町をあげての「龍野ひなまつリ」が開催されており、店先や長屋の奥に飾られた「由緒正しく」「年季の入った」雛人形が観光客の目を楽しませていた。本当に、町を挙げてのイベントであることが感じられ、地域共同体の良さが表れた成功例だと思う。
うん、龍野城下町は合格点。一日かけて散策するのにもってこいだ。

夕食は加古郡稲美町の、洋食屋ポム・ド・テール(Pommes de Terru)。
前からずっと気になっていて、今日初めて入ったのだが……。
コース料理を頼んだ。オードブルとスープ、魚料理(エビフライまたは海老のマヨネーズ焼き)までは合格点。ビーフシチューは、これってシチューか? ソースの多いステーキじゃないの? と言いたくなった。味は悪くないのだが、少し違和感あり。ところで、パンが来ない。ウェイトレスを呼ぶと「お茶漬けが出ます」って???
本当に出た。なんと「ステーキ茶漬け」(@_@)
ステーキ肉は軟らかくて良いのだが、これって料理として、どうなんだ??
食後のデザートは落第点。シャーベットはカスカスじゃないか!
もう行く気がしないなぁ……。
なお最寄り駅はJR土山駅で、そこから車で20分です(笑)。

・うすくち龍野醤油資料館・本館

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・うすくち龍野醤油資料館・別館
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・龍野城・二の丸跡より南の城下町を見下ろす。

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神戸新聞より。
城下に映える「赤レンガ」 龍野・モダン建築
http://club.kobe-np.co.jp/mint/article/odekake/kindaisanpo20070417.html

石見銀山が世界遺産に登録され、「そう言やぁ、兵庫には生野銀山があるなぁ」と思い立ち、播但自動車道を飛ばして行ってきた。(2007年12月1日)

神戸は快晴なのに、福崎~生野あたりは雨だ。(それが、坑道内の雰囲気を良いものにしてくれたのだが。結果オーライ。)

開抗は西暦807年。細々と採掘を続け、14世紀から本格的な事業となり、江戸幕府の「銀山奉行」と「生野代官」所の開設により、最盛期を迎える、か。
明治になるとフランス人技師を招き、最先端技術による坑道の増設を行い、それを引き継いだ三菱が、国内有数の大鉱山に発展させたとある。坑道は地下1Kmまで掘られた? まったくの驚きだ。

900円を払って入場すると、生野代官所の立派な門構えが……。庭園も悪くない。坑道の入り口はシンプルで、その後の「予想以上のワンダーワールド」を発見する楽しみを残してくれる演出かな?(手抜きでないと信じたい。)

観光坑道は意外と長く、のべ1Km、小一時間の小旅が楽しめた。天井が低いのは仕方ないし、天然の施設なのだから、雨水が頭上から落ちてくるのもまた一興だ。
内部では、中世~近代の採掘作業が再現されている。江戸期の貧しい男女と少年労働者(15歳以下)の働く姿、近代削岩機器、発破作業の実物大ジオラマが楽しい。
三菱鉱業(三菱マテリアル)の作業員の作業服は、見覚えのあるものだ。(平成1年9月までの三菱重工の作業服に同じだ!)
ハイライトは奥のエレベータ室と捲揚機だ。これが動けば、もっと良かったのだが。
苦言を呈すれば、あのライブラリーゾーンは「無いほうがマシ」だ。

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鉱山資料館、吹屋資料館は、まぁ良しとしよう。
水力発電機の現物が置いてあったのには興味が沸いた。
「KOBE WORKS MITSUBISHI ZOSEN KAISHA LTD. No.17 JUL. 1918」とある。90年近く前のものか!
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それにしても……。「生野銀山開坑1200年」を記念しているのなら、もう少し派手なイベントがあっても良いのでは? おみやげ屋も閑散としているし、店員も「待ち」の姿勢。これだけの施設を有効活用しないのはもったいないと思う。

http://www.ikuno-ginzan.co.jp/index.html

三菱グループの始祖、岩崎家の本宅として明治29年に建築された重要文化財。出張の空き時間を利用して行ってきました。

上層階級の大邸宅です。設計を請け負った英国人のコンドル氏による洋館の設計図は石造りだったのですが、岩崎氏の強い要望によって木造二階建て+地下室に変更されたらしいです。(そのため、当初計画の三分の二のサイズになった。)

洋館2階には広いベランダがあります。これ、日本初のベランダだそうです。欧州にはベランダはなく、東南アジアの様式を模倣して設計されたとか。

すべての洋室に暖炉があり、すべて異なるデザインでした。凝ってますね。明治29年に建築された後、明治41年にガスが引かれ、暖炉はガスストーブに改造されたそうです。個人の邸宅にガスを引く。これも日本初だそうです。

2階の客室(12畳以上が4室)には大鏡が据え付けられています。ガラスは波打っていたのに、これは現在の鏡と変わらない! これも日本初。当時のガラス工芸技術の粋で、姿見ではなく装飾の一種とされたそうです。シャンデリアみたいなもん?

2階の客室の壁紙は、明治の技法で2003年に復元されました。和紙に錫を塗り、ワニスを塗ると、黄金色に。凹凸の凹部に塗料を塗り、豪華絢爛な壁紙の完成です。すべて手作業になるこの芸術品、日本では参議院、一部の大臣室にしかなく、パンピーが見ることができるのはここだけだそうです。

サラリーマン(サラリーマシン?)には時間がありません。1階はゆっくりと見られませんでした。残念!
小貫さん(ボランティア・ガイド。初老の紳士)、丁寧な解説をどうもありがとう。

それにしても、周囲のマンション群と国の合同庁舎が景観をぶちこわしです! 近くの湯島神社には外国人観光客が訪れていたが、なんて思っただろうか?
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(奥に見えるのは東大病院)

国道175号線と県道17号線に挟まれた加古川の一部で、川の床一面に起伏の大きな岩が隆起し、まるで龍が躍動するような光景(と古人は詠んだ)で、ガイドブック(るるぶ)には"加古川随一の奇観"とあります。
兵庫県・滝野町の貴重な観光資源でもあります。
それにしては(175号線からだと)駐車場のわかりにくいこと!

この辺りは鮎漁の解禁が早く、6月以降、周辺の料理旅館で鮎料理が振る舞われます。賞味した家族曰く「美味」だったとのこと。
光景は一度見たら十分かな、と(失礼!)。それよりも興味を引いたのは、闘龍灘沿いの細い路地です。家族曰く「15年前は舗装していなかった」そうで、周辺の古い町並み(宿場町のよう)と道幅からして、これこそ旧時代の街道そのものではないかと思えるのです。
こういう道をのんびりと歩くの、一度やってみたいですね。

デジカメ写真は愛機、KODAK V570によるもの。

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なんで入場料を300円も取られるんだ!
と思いきや、中に入ると昭和30年代の町並みが拡がるのでした。
心地良いノスタルジア! 昭和33年だから生まれていないのですが、高度成長期の日本の活力が伝わってきます。
ラーメンだけではなく、小規模ではありますが当時の裏路地(?)が楽しかったりします。
(連れ込み旅館もあるぞ! 入れませんが)
今回は出張のついでに立ち寄っただけでしたが、また来たいな!
(ラーメンは少し高め。でも美味。)

写真は映画「地球防衛軍」看板から。20060307_1

兵庫県は西脇市にある旧来住家(きしけ)住宅へ行ってきました。
正確にはドライブの最中に立ち寄っただけなのですが、大当たりでした。
http://www.city.nishiwaki.hyogo.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1128582449572&SiteID=0

大正7年当時の価格で8万円、現在なら50億円にも達する金額を費やした民家は、これぞ「戦前日本ブルジョワ階級のお屋敷」といった趣で、見所がたくさんです。
敷地は390坪あります。個人の民家です。犬養毅首相や宮家の面々も宿泊したそうです。
間取りその他の解説は公式HPに譲るとして、特定方向に反った松の木を数本、ふんだんに使用した梁が印象に残りました。

だだっ広いだけでなく、調達品その他も豪華なものです。庶民の掘立て小屋とはまったく異なるものです。でも、使用人の部屋は八畳一間、女中部屋は四畳半……こんなところに戦前の階級社会が垣間見えます。主人と客は夕方から夜更けにかけて贅を尽くし、下々の者は狭いところへ押し込める、と。やがて来るであろう未来の日本住宅事情を暗示するようです。

戦後、住宅都市整備公団の設計した2DK、3DKからはじまり、近年の流行である3LDKや4LDKの間取りには、何か物足りない思いがします。それは「客間」です。20年くらい前の一戸建て住宅には応接室なるものがあり、一番良い調達品を揃えていた、そんな記憶があります。いまではリビング中心の間取りとなってしまい、来客に「家族の居間を見せる」ことが当たり前となってしまいました。それがイヤなら茶店かファミレスを利用するしかないわけで、ゆとりの無い生活を助長するように思えてなりません。(借家よりは、コンパクトでも良いからマイ・ホームを獲得する。その夢を実現するためには贅沢は言っていられませんが。)

ひとつ問題が……。駐車場が無いのです。無いのですが、ガイドさんによると、目の前にある西脇市コミュニティセンター駐車場か、コープの駐車場に停めてOKとのことでした。
(それならそうとパンフレットに書いて欲しかったですが。)

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