1925年に勃発した五・三〇事件を題材に、貿易商社・GEやAEGなどの国際的企業人、国で食っていけない流れもの、ロシア人亡命者、港湾の苦力、インド人商人、そして売笑婦。彼らとまじりあう日本人会社員・参木と甲谷の姿を通して、猥雑なエネルギーに満ち満ちた上海の姿が活写される。
いわゆるモダニズムの手法を駆使して書かれた文体は新鮮だが、読みやすい。

・上海の街の姿、特に夜の露地の描写が群を抜いている。襤褸を纏って眠る苦力、欧米人に群がる極彩色に着飾った売笑婦、裏露地の猥雑な商店、怪しげな物売り……。現在の上海からは想像できない混沌が、目前に顕われるようだ。
・祖国を追われた白系ロシア人。もと上流階級の彼らに生きる術は少なく、若い女性となればなおさらだ。参木の腕を取りながら「モスコウに帰りたい」とつぶやくオルガの姿が印象的だ(p83)。
・二八章、お柳の中国人の旦那と、木材商・甲谷とのやり取りは圧巻だ。中国の大きさを見せつけられた最後には、阿片に溺れる姿を見せつけられる甲谷は何を思うだろう。
・やがて勃発するは、日系紡績工場での中国人工員による罷業と死人、そして日貨排斥の嵐。邦人が街角で襲撃され、上海全市で大規模なストライキが発生し、食糧難となる租界。そんな中でも参木は、甲谷は女を愛で、自らの死を思い、飢えた胃袋を肴に煙草を飲む。
・随所に顕われるは、中国人の底意地の悪さ。これは現代と変わらないか。
・巻末の「横光利一の『上海』を読む」は五・三〇事件の背景と経緯が中国人の視点から解説される。2012年の反日暴動。上海で、北京で、瀋陽で、日系デパートや自動車工場が破壊される有様が蘇った。なるほど、反帝国主義、現在まで続く「反日」の源流は1925年に溯るのだな。

巻末の解説で唐亜明氏が述べるように、「人類はまちがいなく交錯した歴史の流れのなかで生きてきた」(p341)ことに同感。歴史教科書の内容をアジアで統一しようとする試みなどは一笑を買うであろう。
著者は序文(初版)に書いている。「自分の住む惨めな東洋」と(p312)。作中、李の山口宛の書簡(p276)に記された、世界支配を目論む西洋白人への東洋人の対峙こそ、著者が問題にしたかったことなのだろう。

上海
著者:横光利一、岩波書店・1956年1月発行
2018年11月10日読了
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上海 (岩波文庫)
横光 利一
岩波書店
2008-02-15